共生社会への欲を持て
人が集まり、対話が生まれる場所
やっと行けました。
岡山大学 Jテラス(Junko Fukutake Terrace) 。設計は SANAA(サナア)。
内と外の境目が消えて行く感覚が心地よきかな。
コンセプトは岡山大学構内にある「人が集まり、対話が生まれる場所」。
段差がない。壁がない。細い柱があるだけで、どこからでも入れ、どこからでも出られる。その境界はしっかりあるけれど、道なのか部屋なのか広場なのか。
もし対話が生まれる場所があるとしたら、対等性が担保されやすい場所であり安心感のある場所なのでしょう。Jテラスにはそんなイメージが込められているのかもしれません。
・・・にしても
岡大はキャンパス、でーれー広れーのー。(たしかその昔 センター試験の時に来たことあるけれど)こんなに広かったっけ。。
雪の結晶のように。相互依存型のリーダーシップ
権威ある人にすべて任せる。それとも、それぞれが好き勝手やる。
これだとどちらも「メカニズムそのもの」へ働きかけることが難しい。
例えば 学校。
校長先生に丸投げするだけでも、小さなことを生徒がするだけでもブラック校則は変わりにくい。オルタナティブな優れた校則にいつでも差し替えられる「やさしいメカニズム」を作ろうと思ったのなら先生も校長先生も教育委員会も、それ以上に生徒も生徒会も親御さんもみんなが繋がりあってリーダーシップを取らないといけない。それが相互依存型のリーダーシップです。
水の分子が、バラバラでもなく固まるでもなく。相互に繋がり合いながら対話を繰り返し「雪の結晶」としての形を作るように。なのでスノーフレーク・リーダーシップとも呼ばれます。スノーフレークだからこそ余白があり、結晶そのものが常に変化し続けるイノベーティブな力が生まれるのです。
権威ある人にすべて任せるのでもなく、それぞれが好き勝手やるのでもなく。それぞれの人が能力やひらめきを自由に使うけれど、より良い大きな豊かなビジョンに向かって関わり合っていく。
それが「メカニズムそのもの」へ働きかけられるリーダーシップです。そこには対話が欠かせません。
だから「リーダーが誰?」と聞かれたら、それは「わたしも あなたも あの人も」なのでしょう。
一部の人だけが喜ぶ古びたメカニズムは、たくさんの犠牲を外部化してしまいます。より多くの人(や生き物)が喜ぶエシカルなメカニズムをまわしてごーらん。
それは、偉い人はもとより
もっと多くの「ぼくら」でやらねば。
共生社会への欲を持て (エシカルを軸にキャリアを育てよう)
2024年7月のRyo`s Messageは、共生社会へ向けて重要な考え方である「エシカル」について。社会に散らばる問題を包括的に結びつけながらエシカルを進めていくための基本的な考え方、そして個人の人が陥りやすいエシカルの誤解など、個人ブランディングの視点を交えて語っています。
きっと必要なことは、ふつうの人・市井の人、いやペットも動物も虫も鳥も草花も「パワー」を取り戻すことにもっっともっっと欲深くなる、ことなんだよなー。