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12-4.将軍との謁見

ついに将軍へ拝謁

12月7日、ハリスはついに江戸城にて将軍家定に拝謁しました。ハリスは日記に、城内の広さ、装飾の様子など細かに記載しています。ハリスもヒュースケンも、この時のための正装を身に着けています。実際の謁見は午前11時ごろでしょうか。呼ばれて将軍のいる部屋に入ったハリスは、その入り口で一度、部屋の中央でもう一度頭を下げたあと、以下のように述べました。

「陛下よ。合衆国大統領よりの私の信任状を呈するにあたり、私は陛下の健康と幸福を、また陛下の領土の繁栄を、大統領が切に希望していることを陛下に述べるように命ぜられた。私は陛下の宮廷において、合衆国の全権大使たる高く且つ重い地位を占めるために選ばれたことを、大なる光栄と考える。そして、私の熱誠な願いは、永続的な友誼の絆によって、より親密に両国を結ばんとするにある。よって、その幸福な目的の達成のために、私は不断の努力をそそぐであろう」。(出所:「ハリス日本滞在記(下)/坂田精一訳」P74〜75)

それに対する将軍の様子とその返答をハリスはこう書いています。
 
「ここで、私は言葉を止めて、そして頭を下げた。短い沈黙ののち、大君たいくんは自分の頭を、その左肩をこえて、後方へぐいっと反らしはじめた。同時に右足をふみ鳴らした。これが三、四回くりかえされた。それから彼は、よく聞こえる、気持ちのよい、しっかりした声で、次のような意味のことを言った。『遠方の国から、使節をもって送られた書翰しょかんに満足する。同じく、使節の口上に満足する。両国の交際は、永久に続くであろう』」。(出所「ハリス日本滞在記(下)/坂田精一訳」P75)
 
家定が今で言う脳性麻痺の疑いがあったとは前述しました。この時、その症状がでたのでしょうか。これについての感想は、ハリスもヒュースケンも記してはいません。彼らは、日本の宮廷であるところの江戸城の様子や、将軍や家来たちの衣服をこまかく観察し、この日の日記で記しています。彼らの感想を見てみましょう。

二人がみた城内の感想

「大君の衣服は、絹布けんぷでできており、それに少々の金刺繍がほどこしてあった。だが、それは想像されうるような王者らしい豪華さの何ものからも遠いものであった。(中略)そして、むしろ、私の衣服の方が彼のものよりも遥かに高値であったといっても過言ではない」。(出所「ハリス日本滞在記(下)/坂田精一訳」P80)
 
「日本の宮廷は、たしかに人目を惹くほどの豪奢さはない。廷臣は大勢いたが、ダイヤモンドが光って見えるようなことは一度もなかった。わずかに刀の柄に小さな金の飾りが認められるくらいだった。シャムの宮廷の貴族は、その未開さを泥臭い贅沢で隠そうとして、金や宝石で飾り立てていた。しかし江戸の宮廷の簡素なこと、気品と威厳を備えた廷臣たちの態度、名だたる宮廷に栄光をそえる洗練された作法、そういったものはインド諸国のすべてのダイヤモンドよりもはるかに眩い光を放っていた」。(「ヒュースケン日本日記/青木枝郎」P220)
 
なお、幕府は城内で2人の昼食の準備をしていましたが、ハリスに「大君の家族の1人か宰相かが、私と食事を共にするならば」という条件をつけたところ拒絶され、結局それはハリスの宿舎に届けられることとなりました。三汁九菜の豪華なものでした(そのメニューは残っています)。

ハリスは、からだの具合が悪く一口も食べられなかったらしいですが、「日本式の料理法によって、大変美しかった」(「ハリス日本滞在記(下)/坂田精一訳」P81)と感想を書いています。ハリスの体調不良(風邪だったらしい)に対して、井上は医師(もちろん蘭方医)の手配をしています。

この医師は、伊藤貫斎かんさい。下田でも会っていたとあり、ハリスは医学的知識が豊富であると記しています。

ヒュースケンの思い

ヒュースケンは、将軍と謁見を果たしたこの日の日記でこんなことを書いています。

「しかしながら、いまや私がいとしさを覚えはじめている国よ、この進歩はほんとうに進歩なのか?この文明はほんとうにお前のための文明なのか?この国の人々の質樸しつぼくな習俗とともに、その飾り気のなさを私は賛美する。この国土の豊かさを見、いたるところに満ちている子供たちのたのしい笑声を聞き、そしてどこにも悲惨なものを見いだすことができなかった私には、おお神よ、この幸福な情景がいまや終わりを迎えようとしており、西洋の人々が彼らの重大な悪徳をもちこもうとしているように思われてならないのである」(「ヒュースケン日本日記/青木枝朗訳」P221)。

前述したハリスのやや控えめな罪悪感(「12-1.江戸への道中」)とは異なり、かなりはっきりとそれを著していると同時に、深い悲しみをも表しているようにも思えます。ヒュースケンはこの時25歳でした。

ちなみに、この日のヒュースケンの日記にある「この幸福な情景がいまや終わりを迎えようとしており、西洋の人々が彼らの重大な悪徳をもちこもうとしているように思われてならないのである」と、同じ思いを記したイギリス人がいます。この8ヶ月後の1858年8月に来日するイギリスからの全権使節エルギン卿の秘書であったオリファントです。彼もまた、「日本にとって、この光明の後からきわめて深い暗黒がやってくることがなければ幸いである」と記している(出所:「エルギン卿遣日使節録/岡田章雄訳」P188)。

続く


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