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13-21.第9回会談(2月8日)その3
神奈川の遊歩範囲
ハリスは話を転じ、神奈川の遊歩範囲を尋ねました。日本側は、東北は六郷川、西南は境木までと具体に範囲を述べますが、北は幕府の土地ではないため現時点では回答できないと返答します。
これは東北、西南までそれぞれ二里半の距離でした。ハリスはそんな狭い範囲では、「自然病を生じ、狂人と相成り申す可く候」(「近世日本国民史/堀田正睦(四)/徳富蘇峰」Kindle版P四三一)と述べ(ずいぶんと大袈裟な物言いだと思うが)、六郷川までを除く、他三方向は10里ずつの距離を求めました。
ハリスはさらに「一時滞留の者にても、下田・箱館の通り、七里・五里御免しに相成り候。況んや連綿居住の者、右様の御処置にて、至当の筋と申し上ぐ可きや。得と御勘考下さる可く候」(徳富同書P431)と言うのです。
これはハリスの主張ももっともなことだと思います。
日本側は、ハリスの求める10里四方という範囲と、以前紛糾した外国人の国内旅行を重ねたのでしょう、「第7条(国内旅行)を除くつもりはないのか」と尋ねました。
ハリスは、それとこれとは別だとし、条約に遊歩範囲の里数がなければ、国中どこでも歩き回ってしまうこともできるので、条約には必ず載せなければならないと返答しました。ハリスはそこに10里と載せたかったわけです。
日本側はその距離に言い返します、そんな距離は1日では往復できず、宿泊することが必要になると。ハリスは、そのどこに不都合があるのかと逆に尋ね、西洋人の習慣では極めて普通のことだと言って日本側を困惑、「右様の掛合ひのみにては、ただあきれ果て候までの事に候」(徳富同書P434)と呆れさせました。
ハリスはその理由を尋ねます。日本側は「宿泊などとんでもない」と返答しました。日本側にとって、この問題も全くの想定外の要求だったと思います。
ハリスはさらに言います、「旅宿へ泊まるのに何の問題もないだろう」。それに対して、「旅籠屋は東海道筋のみにしかなく、脇へそれれば一切ない」と返答すると「そのないところへは行かない、外国人は高い山へ登るのが好きなので、10里の距離は譲れない」とハリスは主張しました。
まだ続きます。「5里と定めても往復すれば10里になるではないか。10里としなくても十分だ」と日本側は反論します。「自国には1日20里も歩く者が沢山いる」とハリスは言いますが、「我が国にもそのような者もいるが、5里も遊歩すれば運動には十分であり、その範囲が狭いからといって病気になるなどの事は絶対にない」と、日本側も負けてはいません。
5里か10里か
ここで、日本側は歩み寄りを引き出そうと「これまで破格の好意をもって、江戸・神奈川・大坂・堺を開いてきたではないか。この遊歩範囲については、こちらの申し入れ通りで承諾してくれないか」と述べます。
ハリスは「それはわかるからこそ、堺・大坂・江戸は追って決めようとしたのだ。しかし、神奈川は北の六郷川までは承諾するが、それ以外の三方は十分な広さを求めたい。堺・大坂は京都に近いということを理解し、いずれ公使が貴国の事情を斟酌しながら評議すこととしたが、神奈川は特に差し支えないではないか。なぜ今決められないのか」と反論します。
日本側はいずれも現地と相談、確認が必要であると言いながら、とても10里という距離はのめないと答えました。
ハリスはさらに続けます。下田のような山が迫っているところでも7里を許したのに、その距離を平坦な場所であてはめれば20里にも匹敵すると言うのです。
日本側は、こちらとしても1里、半里を争って言っていることではなく、将来にも禍根を残さないようするために、現地確認の上で決めたいとし、決して外国人を窮屈に取り扱っているわけではないと返答しました。
結論持ち越し
日米双方とも、条約に遊歩範囲を載せなければならないという事に関しては一致していましたが、その範囲で紛糾し、かつハリスは神奈川だけはこの場での決定を迫ってきます。
ハリスは、「下田は一時的居留者のために7里、神奈川は居留者のために2里半という決定は穏当であろうか」と日本側にたたみかけます。そうして、国内旅行の件をからませて「10里としても、居留者にとっては窮屈ではあるが、1年経った後には国内の旅行ができるようになればよいが、それも一旦は取り下げた。そのため私が20里として要求しても問題はないはずだ。世界中、日本以外はどこも旅行できない場所を取り決めてはいない。日本政府がアメリカ政府に対し、懇親の情を持っていれば、里数の制限などしないはずではないか。日本政府の里数制限など、獄舎に繋がれているのと変わりはない。それに、10里と決めても、そうそうその極限まで出かける人間はいないはずだ」と述べるのです。
これは、ハリスの言うことがもっともなことだと思います。下田も箱館もこの時点で決められていた遊歩範囲は、「一時的」居留者のためで、ハリスが勝ち取ろうとしたのは、「居留者」つまりそこに住む者のためのものなので、下田・箱館と同等でも決して納得しなかったと思います。
これには、日本側も困ったことでしょう。「言っていることはよくわかるが、この場では結論を出すことができない。よく現場とも相談した上で回答する」と返すのが精一杯でした。どこまでいっても平行線でしたが、条約にて里数を明記することは双方合意を得ました。
続く