見出し画像

13-11.第5回目(2月1日)その2

居留・逗留・妻子帯同に関する応酬

ハリスは、「妻子を伴わなければ居留はゆるされるのか」と、一歩下がった質問をします。「逗留ならば、どれだけ長くいようと何の問題もない」(原文は「30日でも40日でも、ないしは60日でも」(「近世日本国民史/堀田正睦(四)/徳富蘇峰」P33))と回答します。

ハリスは納得しません。「江戸での商売を許し、長期の逗留も問題ない。ただ妻子の帯同のみ許さないでは、妻子を嫌っているとしか考えられない」と反論します。

これに対しては、日本側も決してそうではなく、ただただ人心の折り合い方からそのようにしたいのだと反論し、続けてずっとそのような措置をとるわけではない、まず神奈川を開いて、それから数年もたてば人心の折り合いもつくはずで、そうなったらその措置も変更される。現段階での措置を変更しないということでないと説明します。

ハリスはまだ続けます。

「商売の逗留が1年になる場合は認められるのか」に対しては「問題ない」と返され、「妻子を神奈川へおいたまま、商売のため1年も2年も江戸にいるのはどうなのか」も同じく「問題はない」と返されます。

ここで、「ならば、やはり妻子を嫌っての措置ではないか」と、ハリスは声を荒げたかも知れません。

しかし、冷静に日本側も反論します。「何度も言っているように、妻子の問題ではない」と述べ、「居住と逗留との名義を重んじ候故にこれ有り候」(徳富同書P331〜332)と返すのです。

つまり、「居留」とは恒久的なもの、「逗留」とは一時的なものという言葉の定義にこだわったのです。

一時的なものが、どれほど長引こうが、あくまでも一時的と言えるからです。決して言葉遊びではなく、条約に「居留(居住)」と書くのか「逗留」と書くのかは、日本国内において大問題だったからです。

「人心折り合い」のため、ここは明確に区別する必要があったのです。以下に日本側の意図がよく尽くされています。

「単身なれば、事済み次第引払ひ候意は、自然に相備へ、妻子携へ居り候ては、先づは居住の姿に相成り候につき、妻子同道相成らずと申したっし候儀にこれ有り。しかし、只今も申し入れ候通り、五个年も六个年も、人心居合はずと申す義これ有るまじく、居合ひ次第便宜の取計らひ方もこれ有る事に候間、夫れまでの処、承伏しょうふく成り難しとの筋合ひはこれ無き事と存じ候」(徳富同書P332)

しかし、ここまで説明されても「妻子を捨て、商売致すべしとは、何分条約にしたため難く候」(徳富同書P333)と、ハリスは引き下がりませんでした。

「条約に載せるのが不都合ならば、別紙で」との日本側の提案も拒否し、条文案を示しました(その場でハリスが作成したものをオランダ語にしたもの)。

「一八六三年第一月第一日の後、江都こうと(筆者注:江戸)を、亜墨利加アメリカ国人に、事をなす為に開く可く、の者其の事のためすわる所の場所は、亜墨利加国のヂプロマチーキ・アゲントと、日本政府とにて取計らふ可き事」(徳富同書P333)

日本側は「これでは居留・滞留の区別がなく、不都合である」と述べ、その修正に応じたハリスから再度示されたところで、この日の交渉は終わります。内容の吟味は明日に持ち込まれました。
 
この日ハリスは、こう日記に書いています。

「例刻に日本委員と会見する。彼らは、次のような提案をもって交渉を開始する。『アメリカ人は神奈川に常住するものとする。一八六三年一月一日以後、売買するアメリカ人の一時的居住のために、江戸に一街を開くこととする』。江戸に関する色々な提案をやったり、討議したりして、ほとんど三時間を費やす。―日本人は上述以上の譲歩に根気強く反対するのだ」(「ハリス日本滞在記(下)/坂田精一訳」P143)

続く

いいなと思ったら応援しよう!