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11-4.条約の中身

江戸の反応

この水野らの独断について、最終的に江戸は現場のそれを追認したのですが、評定座、諸有司の中ではこれまで通りに意見は別れています。

先鋭的な貿易論者であった目付系の海防掛は「船数・貿易額の制限撤廃」をもって自由貿易と理解していたらしく、以前ハリスが提出した諸条約と同じものだと理解しており、他国ともこれを基準にして貿易規定を決めるべきであると意見を出しています。

一方、勘定系の海防掛は、貿易額の制限撤廃に対しては、国を疲弊させてしまうとして懸念を表明しています。

「キリスト教」については、全員が禁止条項を盛り込むことで意見が一致しています。「踏み絵」の廃止については、それが外国人を仇視するものだという苦情がでてくる恐れがあることから、適当な措置として表明されています。

条約の中身

結ばれた追加条約の内容を見てみます。

オランダとの条約がベースとなったので、この日蘭・露の2カ国の条約内容はほぼ同一でした(日露条約には、国境の定めが記載)。これは「1856年1月30日長崎において日蘭両国間に締結された条約の一部を修正するため締結されたる追加条約」として、全40条並びに追加2条となっているもので、

まず第1条では「長崎と箱館において今後貿易を許す」とうたわれています。

ついで、第2条で入港船舶に対する「トン税」が規定されています。第5条では「船数及び貿易額の制限」が撤廃、第6条では「公開の競売において、あるいは商人に売却」した商品の売上に対しては一律35%の関税が課されることが明記、ただしこの関税は、会所が直接買い上げた商品には適用しないとされました。従来の本方荷物(幕府による公貿易)は残されたことになります。

続く第7条では「商品は検査後会所にて競売をおこなう」とされ、内外の商人同士の自由な直接取引ではなく、「会所」を仲介とすることが規定されました。

つまり、日本の商人がオランダの商人と直接取引することはできませんでした。それにしたがって、決済方法についても必ず会所を仲介とすることが規定されています。オランダ商人が外国貨幣で日本の商品を買うこと、日本の商人が外国貨幣を使用することもできるよう決められました。

また、これまでオランダからの商品の対価として支払われていた「銅」の輸出が、幕府の注文品の対価として以外は禁止されることとなりました。軍需資材として重要でもあった銅が、商取引が増えることにより、日常で使用されるような商品の代価として出ていくことを許すことはできなかったからです。

第29条以降は、オランダ人の待遇について規定されています。第31条では、「休憩所、茶屋及び寺院における消費、あるいは店内における日用の買物」については、会所の発行する紙幣をもってという条件はありましたが、認められることになりました。また、第33条において「各自の住居内及び彼らのための墓地内において、各自の宗教またはキリスト教の祭祀をおこなう自由を有す」と規定されました。前述したように当初、水野らはこれに続き禁制品としてキリスト教関係の書籍、画像類を日本人に渡さないという規定を盛り込んでいたのですが、プチャーチンの強硬な反対にあい、日蘭条約からもそれは削除されたのです。

つづく


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