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9-2.スターリングとの交渉

音吉の能力不足発覚

水野とスターリングとの交渉過程は「和親条約と日蘭関係/西澤美穂子」に詳しく記されています。以下、同書を参考にその過程を見ていきます。

最初の会談は、10月4日。イギリス側が、長崎に上陸して会談が行われました。ここで、イギリス側の通訳音吉の能力不足が露見します。クルチウスの覚え書によれば、長崎奉行水野は音吉の話す日本語すら理解できず、音吉はまず通詞にそれを話して、通詞がそれを正しい日本語にして水野に伝えたらしい(出所:「覚え書」P96)。水野はイギリス側の要求を詳しく文章にしたものを要求します。なお、この頃はイギリスを「ブリタニア(貌利太泥亜)」としていました。

英語→オランダ語→日本語

翌10月5日、スターリングから上記の英語の文書が届けられました。6日、水野はクルチウスに蘭訳を依頼、7日に和訳(クルチウスの蘭語を通詞が日本語へ翻訳)が出来上がりました。戦争当事国、つまりはイギリスの軍艦が日本の港に入る条件を規定した内容でした。西澤氏にならって、これを「草案A」とします。

10月9日、第2回目の会談。水野は「戦争を目的とする日本の港の使用を禁じ、あくまでも必需品の供給と船体修理に限って許可する」と返答、その返答書をオランダ語で提出しました。当初のスターリングの要求を拒否したわけです。

10から11日にかけて、日本側の返答の具体的な内容をオランダ語でイギリス側に提出。これを「草案B」とします。

すると、12日には早くもイギリス側から「草案B」を叩き台とした文書が奉行へ提出されました。これが「草案C」。すぐにクルチウスが蘭訳し、13日に和訳が整えられると、水野は「草案C」に対して加筆する形で「草案D」をイギリスへ提出(蘭語)しました(西澤氏同書によれば、この「D」に該当する文書は見当たらないが、14日におこなわれた第3回目の会談で、Cに対して加筆したDの存在を前提としなければ成立しない会話がでてくるからとしています)。すると、直ちにこの「D」に対する回答がイギリスから返ってきました。これが「草案E」となります。

締結

10月14日、第3回目の会談において、「草案E」に対する加筆・修正が加えられ、これが正式な条約文となって「日英約定」となって締結されることになるのです。「約定」は、後世の言葉使いです。日本語での正式名称は「日本の港内に貌利太泥亜の船々入帆免許の規定取極」となっています。スターリングが全権をもった使節ではなかったため、「条約」ではなく「約定(協約とも)」と定義されたのです。

西澤氏は、この交渉では戦争状態が前提であった「草案A」を、日本が戦争色のない「草案B」に修正、以後検討される内容には戦争色が排除された、一般的な入港規則となっていることから、日本側の主体性を指摘しています。

そもそも、スターリングは条約の締結を求めて来航したわけではなく、軍事上の作戦遂行のために必要な措置を求めて来航したにすぎなかったのです。それを日本が理解できずに先走ってしまった、したがって、「日英約定」を結ぶ必要のなかったものと捉える見方もあるようです。幕府(水野)の勇み足だったというのです(出所:西澤同書P119)。

西澤氏の意見

それに対して、西澤氏は「和親条約又はそれに類する交際の端緒となる取決を結ぶことなく、ある事項に焦点を当てた具体的な取決を、当時の日本が締結することができたであろうか」と、「必要ではなかった」とする見方に疑問を呈し、続けて「日米和親条約を締結したばかりのこの時期に、日本の欧米列強への対応は、和親条約を結ぶか、戦争をするかの2つしかない。そこへ巨大なイギリスの軍事力や、クリミア戦争への危機感という条件が加われば、戦争ではなく和親条約を日本が選択するのは、適切というよりは、むしろ必然のこととなろう」(出所:「西澤同書」P119)として、日本の対策(約定の締結)を肯定的に捉えています。

そして、さらに
 
「『条約』は日本だけを縛るのではなく、取り交わした相手国も規制する。ロシア船とイギリス船が日本の港内で戦闘を行ない、日本はそれをただ見守るしかないという最悪のシナリオが想定されていた中で、『条約』締結は、その状況を少しでも回避するものとして効果を見出されていたのではないだろうか。如何に衝突を少なく、しかし日本にとって好都合で、緩衝装置としての『条約』を設定するのか、日英約定交渉は、『条約』を、欧米列強を牽制する手段として捉え直していく過程でもあったと考えるのである。」(出所:西澤同書P120)
 
としています。事実、締結されたことにより、イギリスに対して開かれることになる「長崎」「箱館」での規則遵守がイギリスに対しても課されることになっています。規則により、日本の港内での戦闘行為の抑制を図ったことになったのです。

続く

タイトル画像:水野忠徳(当時の長崎奉行)


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