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13-24.会談の合間に

2月12日

この日は、旧暦の12月29日(安政4年)となる年の瀬です。ヒュースケンの日記によれば、午前中に森山栄之助、午後に井上清直がハリスのもとへ訪れたとあります。
 
「今朝、森山がきた。彼は貿易章程と関税については、もう何もむずかしいことはないと考えている。『金銭については』彼は言った、『何の障碍もない。大名は金銭や税金、関税に関心がない。彼らはこうした事柄をまったく口に出さない。われわれは貿易のことは何もわからないので、この規定が日本のためになるというあなたの言葉を信ずるほかはない。しかし、いったん事が条約上の大きな譲歩ということになると、これは大名たちの側からの圧力が予想される問題である』と言った」(「ヒュースケン日本日記/青木枝朗」)P259)。
 
午後の井上の訪問については、こうあります。
 
「それから彼は、自分はハリス氏と友人で、あなたともまた友人なのだから、あなたが新年の第二日めに江戸市中に出かけるという余地に固執しないように願うと言った」(ヒュースケン同書P260)。
 
井上は、新年参賀で江戸在住の全大名の登城となり、かつその行列規模もいつもより大きくなるため、万が一の事故を恐れて、二人に「でかけようなどとは思わないでくれ」と依頼したのです。彼ら二人にはその自由は与えらてはいませんが、その念押しの意味があったのでしょう。

一方、ハリスの日記には次のようにあります。
 
「今日、信濃守が私を訪れた。彼は言った。年末にあたり我々はみな年次報告書の作成に多忙を極めているが、しかし内々で、ちょっとお邪魔をしたいと。内談の後、間もなく、彼は開港、開市の場所の境界と、領事の国内旅行権の問題を持ちだした。彼は屢々しばしば大名について話したが、それらの件で大名たちとの間で紛争の生ずることを私は覚悟している」(「ハリス日本滞在記(下)/坂田精一訳」P164)。

幕府は、水戸の浪士を捕縛して以来、ハリスの宿舎周辺の厳重な警戒を続けていたが、ハリスはそれを、ただ恐怖を煽るための作り話だと思い込んでいた。

2月14〜16日
旧暦正月の元日にあたる2月14日の朝、岩瀬が宿舎を訪れました。しかし、2人とも就寝中であったため、ハリスに5本、ヒュースケンに3本の扇子を贈り物として残していきました(出所:ヒュースケン同書P262)。

2月16日。井上が訪れ、明日正午からの会談を申し入れています。

続く

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