13-6.第2回目(1月26日)その2
外交官の国内旅行問題
次の議題は、ハリスから出されました。「公使・領事」のいわゆる外交官の国内旅行問題です。昨日日本側から「公務に限り認められる」と回答があったことへの確認でした。
「公務というのはどういうことか。神奈川にいる領事が特に用事もなく江戸の公使のもとを訪ねたり、あるいは箱館の領事が同様のことをしたいとなったら、それは公務となるのか、誰が『公務』であるか否かを決めるのだ」(出所:「近世日本国民史/堀田正睦(四)/徳富蘇峰」Kindle版P220)と、極めて真っ当な質問をしました。
それに対して日本側は、「それらは全て公務だと認識している。その内容の詮索は考えていない」と回答しました。ハリスは重ねて、今度は具体例をもって聞きます。議事録にはこうあります。
「江戸在住のミニストル、炎暑に堪へかね、富士山へ登り見渡しと存じ候節、公務にはこれ無く候へども、諸州共右等の自由を得る権これ有り候」
「右は役人たるものの権を以て、免しを受け候場合に限りを御立てなされ候筋に御座候。既に五月中御取替せ仕り候条約に、日本旅行の権ある事を書載(かきの)せ、御約し申し置候」(以上:徳富同書P220)。
公務か否か
完全に公務ではないが、避暑へ出かける自由はあるのか、ということの確認と、これはあくまでも役人(外交官)の権利を求めたものであり、昨年5月に結んだ「下田協約」ではそれを認めているではないか、と言うのです。
下田協約でのそれ(第6条)は、アメリカ領事の国内旅行の自由を原則的に承認しているが、緊急時を除いてその権利行使は延期されるという妥協がなっていた条項を指しています。
日本側は、それは承知しているけれども、「|兎角《とかく》人心居り合ひ、それぞれ規則相心得候まで、右の通りにいたし度く候」(徳富同書P220)と、「人心居り合ひ」のつくまで「公務」の字句は必要だと言います。一方、ハリスは「公務」の二字を削除することを主張します。
応酬はさらに続きます。日本側は、公使が富士山へ避暑へ行くことでも、我々はそれを公務とみなすということに対し、承諾できないとハリスは重ねて言います。加えて「公務でもない旅行でも公務とみなすと言うのは、虚偽ではないか」と言うのです。
それに対しても、「ミニストル日本え来り居り候は、即ち公務にこれ有り、右公務中の事ゆへ、すべて公務と見候事に候」(徳富同書P222)と、日本側はその主張を変えません。
現在からみれば、どうでもよいような内容のように思えますが、当時は「こんな事」すら揺るがせにできない大問題だったのです。日本側は「右は国中下民共えも触示し候事故、此の字入れ置き度く候」(徳富同書P222)と譲りません。一方のハリスも、「公使の権利を減じるものだ」として、拒否し続けました。
ここで日本側は「ならば、公使に限り『公務』の字は削ってもいい。しかし、その他の官吏は別だ。普通の官吏ならば公務の以外に開港場所の境を越えることはないだろうから」と、少し譲歩した提案をします。
しかし、これについてもハリスは噛み付きます「普通の官吏でも、国中を旅行することもある。そもそも、このような内容ではイギリスは決して承諾しない」と、イギリスを使う常套文句です。
日本側は、この問題について「追々は兎に角、今速やかに普通官吏まで差免し候は、不都合に候」(徳富同書P223」)と、それ以上の譲歩はせず、この問題は後日への持ち越しとなりました。
第2条問題
第2条は、「アメリカの仲裁と、アメリカ軍艦による日本船の扶助」など、アメリカの好意を日本へ示すために入れられた条項ですが、これは即座に日本側に承認されました。ハリスは、こう書いています。
「この箇条は、条約の規定を必要とするものではないが、日本の政府と国民によい印象をあたえるために、私がそれを挿入したものである。それは効果があった。この箇条は躊躇なく承認された」(「ハリス日本滞在記(下)/坂田精一訳」P130)
開港場をめぐる応酬
次に議題となったのは、開港場の問題(草案第3条)です。
ハリスは、日本ほどの長い海岸線を有している国はヨーロッパにもほとんどない事を告げ、長崎・箱館・下田の3港では少なすぎる、新たな港を開くことが絶対に必要なことを説明します。
続けて、「江戸を御開きに相成り、自国・他国の者共、店を開き、租税を納め候へば、御開きの後、五个年よりは壱个年の税、五〇万両づつは、御収納相成り可く候」、「樟脳・茶・漆器・銅・反物類を買ひて、他国へ輸出して、大利に相成り候」、「京・大阪共、御開き後五个年を経て、江戸同様の利に相成り申す可く候」(以上:徳富同書P225〜226)と、港を開くことがアメリカのためではなく、日本の利益のためになることを説明し、開く港が多ければそれだけ日本の利益も増すのだと滔々と説明しました。また、考えられる輸出品目の例をも示しています。
※樟脳は原料を楠とする天然の化学物質。医薬品・防虫剤・香料として使われ、輸出品目の一つであった。九州に多く産出。薩摩藩の専売品でもあった。その後その使用用途は変わっていくが、戦前、日本は世界最大の生産国であり、戦後1960年代まで政府の専売品の一つであった。
そして、「開港は、条約の活路に御座候」と最重要であるといい、そのため「江戸・大阪・京都にて自由に外国人と交際商買いたし候様仕向けこれ無く候ては、十分の御益はこれ無く候」(徳富同書P230)と述べ、
続けて「港を開き候へば、商法繁昌いたし、繁昌すれば、其の国益に相成り候。続きては右様御開港に相成り候へば、外国諸州も承伏いたし、事治り申し候。もし開港を御拒みなされ候へば、欧羅巴諸州にて決して承伏仕らず候」(徳富同書P230)と言います。
そして最後には「日本が新たな開港地を承諾すれば、ヨーロッパ諸国も好意を持つだろう。だがそれを拒めば、大統領のいう通り、日本に大きな危機が訪れると言う事の他に、もはや説明することはない」として、この問題についての説明を終えました。
「彼らは前にしばしば述べた陳腐な反対理由をくりかえした。これに対して、私は言った。日本の平和と名誉と繁栄を確保するためには、申分のない条約がつくられなければならない。貿易の自由は、かかる条約の本質的な部分である。港なくして、貿易について語ることは、馬鹿々しいことであると」(「ハリス日本滞在記(下)/坂田精一訳」P131)
ハリスはこう書いています。
岩瀬はこのハリスの説明をどんな思いで聞いていたのでしょうか。「貿易を通じて国を富ます」ことについては、自身が目論んでいたことですが、その条件としてハリスから出てきた「大阪・京都」を含む複数の開港、特にそこに京都があったことについては、その実現不可能なことを思い、暗澹たる気持ちになったのではないでしょうか。この議題は次回に持ち込まれることになります。
続く