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13-4.第1回目(1月25日)その2

居留地問題

次に、日本側は開港地における居留について、長崎・箱館に滞在するアメリカ人の居留についての取り決めは、すべて神奈川と同じにしたいと、外国人の居留地問題について述べます。

そして、居留地は開港地の土地の広狭もあるので、一様に決めることはできないと続けました。これに対し、「出島のように一カ所にまとめようというのか」とハリスから返されます。

日本側は基本的にはそうであるが、出島のように門番を置き、出入りを厳重にするなどは考えていないと回答します。その理由は、やはり一般の国民と雑居では、必ず手違いが起こるからだとします。

そして、続けて「開港地、公使駐箚、交易については、これまで述べた通りであるが、商法についてはオランダ・ロシアとの条約を基本とし、年限を決めて試み、慣れてきたらさらに新たな開港地を開こうと考えている」と述べました。あくまでも、オランダ・ロシアとの条約で押し切るつもりであったからです。

ハリスは、日本側から他にいうべき意見はないと確認して、反撃に出ます。

ハリスの反撃

ハリスは、まずこう切り出します。「日本の通用金銀をアメリカ人が交換できるのか」と言うのです。これに対してオランダ・ロシアとの条約に定められているとおり、金銀ではなく銀札を渡すと答えました。硬貨ではなく紙幣で交換することが決められていると言うのです。

ハリスはさらに続けます。「たとえば、日本の商人が神奈川で商売を試みようと、商品をその自宅で並べて店を開いた。そこから我々は何をもって支払えばいいのか」という質問をしました。これに対し、「当面、2国に許している交易方法は、商人居宅において商売は許していない。交易場と称する広い場所を港ごとに設定し、そこに売る方も買う方も集まってそこで入札で取引する形態である」と説明しました。

ハリスは、「右にては自由の商売にはこれ無く、矢張り役人立合ひの交易に御座候」(「近世日本国民史/堀田正睦(四)/徳富蘇峰」KIndle版P180)と、それは自由貿易ではないと、おそらく半ば呆れたような口調だったと想像しますが、こう言いました。日本側は、その場所に役人が関わることはない、誰もがそこで売ることも買うこともできると続けて説明しました(「随意に取引いたし候ことにて、即ち勝手の交易にこれ有り候」(徳富同書P180)

おそらく、これでハリスの怒りが爆発したと思います。「そんな内容では議論もできない」と言った後、
 
「魯・蘭の条約は、得と熟覧いたし候処そうろうところ、交易のせんは少しもこれ無く、ただ紙の値のみにて、一向たっとからざるものに御座候」(徳富同書P180)
 
と言い放つのです。その条約は「紙の価値しかない」とは、切って捨てたような言い方です。交渉はハリスの英語をヒュースケンがオランダ語で通訳森山に伝え、森山の口から日本語で伝えられます。これを口にしなければならなかった森山はどんな思いだったでしょうか。ハリスはこの事を日記に以下のように書いています。

「ロシア・オランダの両条約について言えば、それの条件は、それらの締結にしたがったあらゆる関係者にとって不面目なものであり、貿易に関する限り、それらの文書は、それらの書かれた用紙にも値しない。もし、私がこのような条項に署名するとすれば、大統領は私に不名誉な召喚を命ずるであろうと。それから私は、『貿易の自由を許容しよう』という大君の約束がよく守られるように要求した」(「ハリス日本滞在記(下)/坂田精一訳」P120)。

キリスト教問題

ハリスは思いの丈を口にしたあと、この問題を打ち切り、続けて第8条のキリスト教問題について尋ねました。しかし、これについてはハリスも驚くほどの内容があっさりと返ってきました。即ち、アメリカ人に信仰の自由を許したのです。しかも、日本側は「定めの場所」において教会を建てるのも問題ないと回答しました。定めの場所とは、日本が想定している居留地です。さらに、「踏み絵」の廃止についても承認するといったのです。
 
「この第八条は、それが通るという希望をほとんど持たずに、私が挿入しておいたものだった。それは、アメリカ人が適当な礼拝堂をたてる権利と、アメリカ人がその宗教を自由に行使しうること、ならびに、日本人が踏絵の風習を廃止することを規定したものだ。私が驚き、そして喜んだことには、この箇条が承認されたのである!」(ハリス同書P124)
 
ハリスは、第8条がそのまま受け入れられた事を驚きと喜びをもって、こう書きつけています。ただ、ここでも出てきた「居留地」について、「支那やその他の国、いずれにおいても、外国人とその国の人々は雑居している」と述べ、外国人を囲おうとするそれを非難します。これについては、「いずれ人心の折り合いがついたら別だが、当面は心配することの方が多い」として、日本側はその妥当性を繰り返しました。

ハリスからの草案趣旨の説明

ハリスは自らが提出した草案内容と、その背景を述べ始めます。先日(12月12日)の大演説と似たような内容です。つまり、ヨーロッパからの危機を煽り、そのまえにアメリカと条約を結ぶべきだということです。そして、江戸への公使駐箚、自由貿易の条項は、ヨーロッパからも必ず要求されることである、彼らは今日本側が述べた内容では絶対に納得しないと述べました。

そして、井上と岩瀬に向かって「あなた方は、私だけでなくヨーロッパとも相対している」と言うのです。だから、「私の申し上げた事をよく考えた上で条約を結べば、それはヨーロッパと条約を結んだことと同じことになる」と続けました。それには「江戸での公使駐箚」と「完全な自由貿易」を避けては通れないと。

さらに「公使」の役割と江戸に駐箚することの必要性を述べ、最後にハリスはこうまとめます。

「右ミニストル箇条は、先刻仰せの趣にては、とても御談判行届き難く、今一応今晩熟考下され度く、ほか条も、尚追々おいおい御談じ申し上ぐ可く」(徳富同書P190)

日本側の反論

日本側は、これに答えて「支那がミニストルを置かないのは、軽蔑や忌避なのかわからないが」と前置きしたあと、わが国においては人心が折り合わないのだ、だから多くの差し支えがあり、仕方なくそうするしかないのだとし、

「当方に於ては、何事もぜんを以て主といたし、急速には参り難し習風しゅうふうに候へども、夫是それこれ熟考の上、右の通り申し入れ候事にて、元来懇切の上の談判ゆえその国の儀も相察し、当方の都合も斟酌いたし、其許そこもとまで談判に及び候事故ことゆえ、其方に於ても、我が国風習を相考へ、互ひに歩行あゆみ合ひ、両全の談判いたしく事に候」(徳富同書P192)

と、極めて真っ当な意見を述べました。要するに「何事も急にはいかない、時間が必要なこともある」、「わが国の国情にも斟酌してほしい」と述べたのです。

初回会談の終了

初回の会談はこれで終わります(ハリスの日記によれば、午後5時に終わったらしい)。ここで、双方の認識が明確になったわけですが、ハリスはここでも「欧州列国からの危機」を強調、一方の日本側は「人心居合い(折り合い)」という言葉で日本の立場を説明しています。2回目の会談は明日(1月26日)と決められました。

貿易規定の話がでたとき、ハリスは「時計の針を動かす仕掛けが、たった一本の髪の毛で動かなくなるように、貿易についても同じで、どんな些細な問題も揺るがせにはできない」と比喩を用いた言い方をした。それに対し、日本側は「それはよくわかるが、時期の到来していない時にあえてそれをすることも同じ事だ」と、「時期の到来」がハリスの例えた髪の毛にあたると見事に返している(出所:徳富同書P194)。

井上、岩瀬も時計の仕組みをきちんと理解していたわけだし、徳富蘇峰もその返し方を褒めている。

岩瀬の胸中

さて、岩瀬はこの会談を終えてどう思ったのでしょう。数ヶ月前「只々英将渡来無之者遺憾之極ただただえいしょうとらいこれなきものいかんのきわみに御座候」とまで手紙に書いた条約締結についての自信は、打ち砕かれたかも知れません。しかも全くの想定外であった公使駐箚問題が最重要として出てきました。

ただ、わたしは岩瀬は一層の闘志を燃やしたのではないかと思っています。岩瀬にとって条約締結は手段に過ぎず、彼はその先の未来を見据えていたに違いないからです。

続く



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