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13-15.第7回会談(2月4日)その2

アメリカ海軍補給基地設置

これは、アメリカ海軍の軍需品に関して、関税を支払わずに陸揚げされ、アメリカ官吏の監督のもとで倉庫に納めておくことができるという草案第4条にある内容です。

アメリカは同様のものを香港にもっていました。それを日本に移したかったのです。倉庫に納められたもののうち、損じた物などは払い下げすることができるが、払い受けた者はそのとき規定の関税を納めるとされていました。

日本側は、そこに納められる物に火薬があるかを心配して、それを尋ねますがハリスからはその心配には及ばず、それらについては、日本政府に預けても差し支えはないと答えています。この倉庫は箱館、神奈川、長崎の3港に置かれることが明記されることとなりました。ハリスは日記にこう書いています。

「これによって、私は、世界で最も健康に恵まれた気候を有する国において、東洋の我が海軍の物資補給地として三つの良港を選取したのである。この国では水夫の脱艦は不可能であるし、我々の権利を尊重するだけの十分な礼節をわきまえた政府が存在し、それにイギリスのような我が国と断交の恐れのある国でないことが何よりだ。私は、この条項が極めて重要なものであると考えている。今や、あの不愉快な土地、香港から補給基地を移し、イギリスの勢力外に貯蔵物資を移すことができるからである」(「ハリス日本滞在記(下)/坂田精一訳」P一五二)。

ハリスが、この条項の合意に喜んだことがわかります。前述しましたが、当時のアメリカにとってのイギリスは、再び戦争が起きるかも知れないライバル国でもあったのです。

再び関税についての文言

ハリスは、商品が陸揚げされ、その地で関税が支払われれば、「日本領のある部へ輸送することできる」とし、その後の港で関税の支払い義務はないことを、草案第4条に記していました。

これについて、日本側が「ある部」を「開きたる場所」と修正したいと述べました。

ハリスは、第3条において遊歩は制限されるし、第7条の国内旅行の件も取り下げたので、外国人が自ら全国へ商品をもっていけないことは明白であるとし、「外国人は持っていけないが、いずれ日本人を雇って日本人が全国へ売り歩くようになるし、関税支払い済みの物は、日本国中どこへ持って行っても、再度の関税支払い義務はないことを取り決めたい」(出所:「近世日本国民史/堀田正睦(四)/徳富蘇峰」Kindle版P377)と回答します。

日本側は、それならば「関税支払い済みの物は、どこの日本人へ売り渡しても再度の関税はかからない」と記せばよいとし、ハリスはそれを了承し、本文は修正せず、「第3条で決めた場所以外へは外国人がでることはできない」という文章を追加することで了承しました。

日本側は、さきの「居留」と「逗留」問題でもみたように、条約に記載される一言一句までも揺るがせにせずに交渉をおこなったことがわかります。単なる言葉上だけの問題ではなく、それがどのような印象を与える事になるのかを考えての事でした。

岩瀬にとってみれば、水野とともに取りまとめたオランダとの追加条約の経験が大いに役立ったと思います。

貨幣条項

次に、ハリスは草案第5条を持ち出してきました。そこには日本の貨幣とアメリカの貨幣を同種同量をもって交換すること、並びに貨幣改鋳費用として6%を上載せ、さらに日本貨幣の輸出を禁止する一方で、外国金銀の輸出は自由と記されていました。

「同種同量交換」と「6%の改鋳費」は、下田においてハリスと井上が散々にやりあってきた問題です。同様のことをハリスは新たな条約でも明記したわけです。

日本側は「外国の金銀は輸入し、自国のそれは禁止するというのは公平ではないように思える。追々それも改革するつもりであるが、まずは別紙で取り決める」と述べました。ハリスは、15年の間には、差し障りのないような状態にはなるはずと応じますが、日本側は続けて「是れ式の儀、一五年を待たざるを心得に候」(徳富同書P378)と意気軒昂な様子を見せています。

この日の会談はこれをもって終了しました。次回は2月6日と決められます。

続く



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