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9-14.カッテンディーケの見た日本その2
日本のこどもたち
「子供らがどんなにヤンチャでも、親たちがその子供を窘めているところなど殆ど見ることがない。ましてや叱ったり懲らしなどしている有様はおよそ見たことがない。日本の子供は恐らく世界中で一番厄介な子供であり、少年は最大の腕白小僧であるが、また彼等ほど愉快な楽しそうな子供たちは他所ではみられない。」(「長崎海軍伝習所の日々/カッテンディーケ著・水田信利訳」P203)
日本人の自惚れ
「私は或る階級の日本人全部の特徴である自惚れと自負は、すべて教育の罪だと思う。」(同書P203)
「彼等は人倫を儒教によって学び、徳を磨くことに無限の愛を感じ、両親、年長者および教師に対し、最上の敬意を払い、政府の力や法規を尊重すること、あたかも天性のごとくである。その反対に、最も慎重に扱わねばならぬ事柄でも茶化してしまうような、軽薄な国民でもある。」(同書P204)
礼儀
「日本人の悪い一面は不正直な点である。」(同書P205)
「礼儀は赤ん坊の時代から、徳の一つとして教え込まれており、礼儀は適度を越して滑稽なところまで行っている。」(同書P205)
「こうした極端に走った礼儀、および上流者一般の癖である威張った様子でもって外国人を引き付けるが、彼等はこれによって彼等の感心できない一面をうまく隠しているのである。私は彼等を高慢な、うわべを飾る、すれからしの、何でもむずかしいことは嘘をついて片づけてしまうという手合いと思っている。この他では、日本はつき合ってまことに気持ちの良い国民である。しかし決して物事を共にすべき相手ではない。」(同書P205)
不行儀
「散財をやる時には彼等はだらしなくなり、またどの芸妓が一番美しいかをよく知っていて、座席にその芸妓を呼ぶ。決して日本が一ばん不行儀な国とは言わないが、しかしまた文明国民の中で、日本人ほど男も女も羞恥心の少ない国民もないように思われる。風呂は大人の男も女も、また若い男女も皆一緒に入るのであるが(後略)。」(同書P205)
武士的な国民
「さて、日本人を批判するに当たっては、同時に、彼等がザッと二世紀の長い平和時代を過ごしたにもかかわらず、非常に武士的な感情を抱持する国民であること、また彼等が真のローマ帝国時代の雄渾な精神を持っている数多の実例を顕示したことを認めないならば、正鵠を失するであろう。」(同書P207)
死を恐れぬ国民
「日本人の死を恐れないことは格別である。むろん日本人とても、その近親の死に対して悲しまないというようなことはないが、現世から彼の世に移ることは、ごく平気に考えているようだ。彼等はその肉身の死について、まるで茶飯事のように話し、地震火事その他の天災をば茶化してしまう。だから私は仮りに外国人が、日本の大都会に砲撃を加え、もってこの国民をしてヨーロッパ人の思想に馴致せしめるような強硬手段をとっても、とうてい甲斐はなかろうと信ずる。そんなことよりも、ただ時を俟つのが最善の方法であろう。」(同書P130)
日本を去るにあたって
「ああ日本、その国こそは、私がその国民と結んだ交際並びに日夜眺めた荘厳な自然の光景とともに、永く愉快な記憶に残るであろう。私は日毎に黒毛の駒に跨って、長崎市の府県を到るところ駆け回り、遂に近所の百姓の子供たちまで『隊長さん』と呼んでくれるようにまでなったが、さぞかし、これから何度となくあの美しい長崎市の付近の光景を思い浮かべることであろう。あの千姿万容の景色を現わす山や谷、そうして自然美というものを初めて知ったあの美しい山や谷は、私の永遠に忘れることのできないものである。私は心の中でどうか今一度ここに来て、この美しい国を見る幸運にめぐり合わしたいものだと密かに希った。しかし同時に私は、また日本はこれまで実に幸福に恵まれていたが、今後はどれほど多くの災難に出逢うことかと思えば、恐ろしさに耐えなかった故に、心も自然に暗くなった。」(同書P207〜208)
最後のこの文章は、私にとってとても印象的なものです。彼のいう「どれほど多くの災難」の極め付けが、彼がこよなく愛した長崎に落とされた原子爆弾だったと思っています。
これで、「9.続く条約締結」は終わります。次回からは、いよいよ「開国」へ向けて舵をとる幕府の様子を見ていきます。
続く