恩送り(20代の僕に伝えたいことを書くシリーズ)
恩という言葉には
他人から与えらえた「恵(めぐみ)」といった意味があるらしいです。
鶴の恩返しの物語なんか、わりと身近ですが
助けてもらった鶴が人の姿で現れてお礼する、的な。
ここでは僕が生き方のベースとしている考え方
「恩送り」の価値観について呟きたいと思います。
Take and Giveだった過去の考え方
僕は昔どんな考え方をしていたかというと
人からやってもらってナンボみたいな感覚が強い人でした。
母親からは世話を受けて当たり前という気持ちが強かったですし
周りの友人知人との関係も、何かをしてもらって
初めて自分が何かをするという感覚でした。
順番が①他人に何か与えてもらうこと→②自分がする
じゃないと何か損した気分になっていました
自分から何かをしても、返してもらえなかったら損じゃないか
もらうことがプラスで、何かを与えるとマイナスになるイメージ
基本「子ども」のポジションだったんですね。
限界と転換点
でもそれだと基本的に苦しい関係性しか人と結べなかったんですね
経験談として。
たぶん一般的にもこの理解は間違っていないのかなと思いますが
基本的に関係性の主体者が自分以外の他の人になってしまっていて
相手から何かしてもらえないと動けないということなので。
なので、日々「苦しい!」と叫んで生きていたわけではないですが
生きにくい人生を選択していたなぁと振り返って感じます。
ありがたいことに(いつもの話ですけど)、人には恵まれるタイプで
たくさんの人生経験豊富なメンター的な存在の人たちがいてて
その人たちの生き方を参考にさせてもらうことが多かったです。
その人たちは自分自身の経験を人の役に立てよう。
自分たちも与えられて変化し成長してこれたから
感謝の気持ちをもって役立ちたいと本気で考えていて
無償でもらったものを無償で手渡していく
そんな姿勢で活動されている人たちでした。
僕に対してもその人たちは同じように穏やかに接してくれて
「まず与えること」の大切さを説いてくれました。
おお、なんか宗教っぽくなってきたな(笑)と書いていて思いましたが
別に説法を聞くわけではないのですが
普段のコミュニケーションを通じて伝えてもらっていた気がします。
単純に僕は自分が変わりたい
生き方、考え方を変えていかないとしんどいなあ
と考えだしたタイミングと重なったこともあり
その人たちから積極的に見て学ぶようになっていきました。
「大人」の責任ある主体性を身につけるには
徐々に変化していったプロセスの中で
誰かのために何かをするという生き方を取り入れていきました。
それはそんなに大げさなことではなく、
プレゼントとかそういう物と手渡すという話でもなく
どちらかというと、僕自身の在り方というか、姿勢というか
謙虚に感謝の気持ちをもって役立とうとする姿勢を持つことでした。
やってもらってナンボの「子ども」的なポジションから
自分が主体的に人との関係性の中で役立っていこう、という
共同体の中での責任を果たす「大人」なポジションへの変化でした。
例えば仕事の中でもそうですし
人間関係、家族関係とか、すべてに当てはまることでした。
自分にも家族ができ子どもができ、
物理的にも変化したからかもしれませんが。
社会の中で責任ある生き方をしていくということ、
イコール、自分の人生にも責任をもって生きていくこと
という自分の中の成長変化がありました。
これは自分にとっての大きな変化でした。
自分がしてもらう側にいるのではなく
何かをする側に回ること
与えられる側でなく与える側に。
それによって自分自身が主体的に学び成長する機会になって
苦しさから解放され、自分自身が変化し
圧倒的に生きやすくなりました。
ここでもキーワードは主体性
変わるのは自分
周りに任せるのでもなく、周りが変化するわけでもなく。
絶対に死ぬという事実から学ぶ
さて、最後に
人生は有限で時間は限られていますよねという話。
限られた人生で何をするか?
自分自身が一度死にかけたからというのもありますけど
死生観というか、時間に関する価値観ははっきりしています。
長くても100年くらいの自分自身の人生
ボーっとしててもあっという間に終わる人生
あなたは何をしますか?
この命題は普段から考えているわけではないですが
節目節目で生き方を振り返る上での大切な問いかけだと思っています。
ちょっと不正確な記憶をたどった引用ですが。
その昔、お釈迦様は、自分自身の回復を自分のものだけにせず、
まだ苦しんでいる人にその経験を受け渡していくことを選ばれたそうで、
その利己から利他への慈悲深い行動により仏陀になった
的な文章を読みました。
で、いろいろ僕なりに考えた内容が以下
たとえば200年前に生きた一般的な人たちのことを
僕らがまったく記憶していないように
200年後の未来に僕の存在を覚えてくれている人なんていなくて
この瞬間あくせく生きていることの価値なんて大したことないかも
と感じる瞬間もあり
記録、記憶、とかそういうたぐいのものだと確かに「無」に等しいかも
でも先人たちから脈々と受け継がれてきたものが間違いなくあって
それは生き方とか伝統文化とか青い地球とかなんでもいいんですけど
自分たちが学び変化成長してこれた「何か」があると思っています。
それを次の人たちに自分の経験も踏まえて延べ伝えていくこと
自分の存在は消えてなくなり、
たんぱく質としての人生はどこかで終えるわけですが、
その後も伝えられていく「何か」を受け渡していく連鎖の一つとなること
これこそが自分の人生に与えられたミッションであろうと思っています。