メディアリテラシー(続編)
(デスクイメージ by アマナイメージズ)
前回、ではなく前々回で自分なりにメディアリテラシーについてお話ししました。今回はその補足です。
ネットの普及により情報の選択の自由も増えた現在、テレビや新聞のような従来のマスメディアに対する万能感や大きな信頼感も無くなりました。
新聞やテレビでは報道されない事実をネットで知ったり、また1つの事実や事件に対しても違った切り口で見たりすることもできます。
一方で従来のマスメディアを批判的に見る傾向も増してきました。ネット上の掲示板には「マスゴミ」「アカヒ新聞」「T豚S」「ウジテレビ」のように、大手マスメディアに対する侮蔑的な表現もよく見られます。
だが、待ってほしい(それこそ、朝日新聞風に)。私はその批判のあり方に違和感のようなものを感じていました。
どうもそういう人たちは、大手マスメディアが国民を「騙している」、「欺いている」ことに腹を立てているそうです。
しかし、マスメディアといえど「仕事」です。庇うわけではないのですが、彼らからしてみれば、まず「売れる」必要があるのです。
メディアも商品であり、あくまでコンテンツである以上、まず第一に「売れる」ことを最初の目的にしていてもおかしくありません。
そこで我々が注意しなければいけないことですが、コンテンツとは、受け取る側に取って気持ちよくなって貰えるものを意識して作っていることがある、ということをまず忘れてはいけません。
というか、科学的に嘘の内容を放送した方がテレビ的には受けます。例えば、楽して痩せる、運動しなくても痩せる、などといった通年の社会常識を覆すようや衝撃の内容を放送した方がウケは良いです。
バナナダイエットなんてまさに、キツイ運動はしたくないけど痩せたい、という人の需要を満たすコンテンツですね。
かと言って嘘ばかり並べていては情報源としての信頼を失くしますから、あまりにも事実や実際の数字と異なる報道は出来ません。事実と誇張した表現との間の微妙なバランス取りが大切です。
また、創り手が個人であれ集団であれ人間である以上、多少の主義主張は入ります。そこで、発信者にとって都合のいい事実だけを報道する、または恣意的に解釈した内容を流布するために報道する、といったことは容易に想像できます。
そして、このようにして生まれた報道やニュースが無料でも有料でも、選択して受信するのは個人の自由です。そこで、「騙された」とか「裏切られた」という捉え方には多少の違和感を感じます。
同じことが、有料ブログやメルマガにも言えるでしょう。受信するのはあくまで個人の自由なのですから。
と、若干マスメディアを庇いがちに書いてきましたが、無論どうしても許されない報道の仕方もあります。
それは、個人や国の尊厳を著しく踏み躙り、場合によっては多大な損害を与えてしまうような誤報です。例えば、目先の利益やウケを優先するあまりに信憑性を蔑ろにしたまま記事を書いたら、それがある冤罪の切っ掛けになってしまった。そんなことは、本当に取り返しの付かないことです。
いくら何でもこれは個人の力では抗いようがありません。マスメディアは未だに大きな力を持つのだから、気を付けて頂きたい。
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