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大運天中殺の置き土産。
「地に足つけて生活する」とはこういうことなんだろうか。
最近の自分の「感覚」に戸惑うことがある。
もしかしたら、これは大運天中殺の副作用というか後遺症というか、そういうものなんじゃないか、とお風呂に入りながら、ふと思った。
私が「今、自分は大運天中殺の真っただ中にいる。」と知ったのは、29歳から始まった大運天中殺が始まって10年ほどたったある日だったと思う。
「ブラックホールみたいに、上も下もない、重力のない世界」
みたいに言われるのが、「ああ、どおりで!」とストーンと腑に落ちるほどの状態にあった。
29歳になった瞬間始まったのでは?と振り返ってみて驚いた、怖すぎた。
まるで自分の人生じゃないみたいなこと…それこそ、芸能人が一発芸であたる、みたいなことがどんどん起こって、扉がどんどん開いた。
明らかに、自分の実力以上に光を浴びて、まるでだんじり祭りのてっぺんに乗せられて90度くらいの街角を猛スピードで運ばれているような…自分の意図とは別に人生が進んでいった。もはや、コントロール外。
ただ、その中で、私のブレーキになったものは「子供」の存在であった。
このまま、まるで宇宙に放り出されそうな勢いの中、「行ってしまえ!」と思う自分と「いや、これ以上は危険なにおいがする」と冷静な自分。せめて、地球にはいなくては、みたいな。
子供が邪魔だったとか、そんな話ではない。ほんとは行きたかったのに!でもまったくない。ただ、自分の本能が「これ以上は危ない」とブレーキをかけた。
それでも、ブラックホール感を味わうには十分だった。20年も。
「へえ、これを大運天中殺っていうんだ」と知ってからでも10年。
あとから、たまきさんに「ホストクラブで一晩3000万円!みたいになれたとも思うけど、そうはしなかったんだよね。」と述べられて(笑)ああ、そうなんだなー、と妙に納得もした。
というのは、もはや昔話でもある。
大切なのは、着地してから。
なのかもしれない。私のみこし期間…大運天中殺は、昨年終わった。
途中から、「着地でケガするなよ!墜落するなよ!!」って家訓みたいに唱えてきたので、大けがせずに済んだ?済んだのか?まあ、生きてるからいいのか、なんとか着地した。ちょっと擦りむいたけど。
そうして、なんとか大地に降り立った私。はだしの私。
ヒザにキズパワーパッド貼らなくちゃ、とか考えつつ、今の気持ちは、
「え、足って地面につけるんでしたっけ。」
いくら「調子に乗りすぎないように制御した」とはいえ、完全に地から足が浮いて、エアーみこしに乗せられ、「よくわかんないけど、なんかすごい!!」みたいな20年を過ごしたあと、(しかも、結婚、離婚、出産、子育て、引っ越し4回、みたいな人生フルコンボ時代の20年間)
大地を踏みしめて立つ、みたいな立ち方を忘れているらしい。
本来、ヒトとして当たり前のことが、なんだか思い出せないのだ。
そうだ、これはそういうことなんだ、とお風呂に浸かりながら、これまた妙に納得した。私が今、「なんだろうなー、なんか違うんだよなー、落ち着かないなー」と思っている「これ」は、大運天中殺の…なんだろう、後遺症…副作用…いや、置き土産、なんだろうか。
「地面についている足の感触が、どうもなんだか。」
みたいなこと。
とはいえ、この20年間に血反吐吐くほどのこともあったし、簡単に乗り越えたわけでもない、それなりに自前のエネルギーとか、痛みに耐えて、みたいなことは必要だった。みこしの上でケガもした。いうて、生身のヒトでもある。←大切。
ただ、「あれは、ああいう期間だったんだな」という認識が欠けていたなと。期間限定の確変みたいなもの。777が揃う!!みたいなアドレナリンが噴き出るようなことがどんどん起こる、そんな期間は永遠ではない。
これからは、また地に足つけて、確変を狙うことなく、生きていくということなんだな。
「なんだか、しょーもないな」「えー普通じゃーん」みたいに感じちゃうそれこそも、置き土産みたいなもので。ついつい、私はそっちに寄るんだけれど(苦笑)
まあ、そんな自分も自分、と受け止めつつ。
まずは、靴を履こう。そして、ちゃんと立ってみよう。