「私と占いの歴史」#5算命学が子育てにたいそう役立った話
(TOP画像、あまりにもかわいいから使わせてもらいました。)
続きです。
自分の星を知って、(特に天将星)なるほどー、となり、次は子供たちの星を見てみよう…かな(怖いけどなー)という流れになりました。
特に…長男。
武勇伝というか、お困りエピソードというか、そういうものがめちゃくちゃ多くて。一番最初の子供が女の子だったから、そこまで「謎」がない子育てを繰り広げていたのに、突然生まれた不思議なヒト。生き物。それが男児。なんだこれは、どういうことだ、私の辞書にはない対応が求められる…そんな日々でしたので、まずは彼のことを紐解くことにしました。
素人ですから、まずは陽占を見ました。
「真ん中、貫索星」
おっとー、なるほどー。頑固、うん頑固。まげない絶対。
俺はオレであり、俺であり、OREである。みたいな。(阪神優勝のAREにあやかりました。笑)
ここで、わかりやすいエピソードをひとつ。
3歳くらいの頃、なんの理由だったか、泣いていた長男に
「そんな、男の子が泣かないよー。」
みたいなことを気軽に言ってしまったんですね。すると、
「オレが泣きたいから泣いてるねん。それやのに、なんで泣いていいとか、あかんとか、ママが決めるねん!男の子が泣いたらあかんって誰が決めてん!」
と言い返されました。めっちゃ泣きながら。(よくしゃべる3歳。鳳閣星ひとつ、調舒星ふたつ)言い返せない母…とにかく、彼は「俺には俺のやりかたあんねん」ってのが小さいころから秀逸?で。
(まあ、この件から、私も思い込み、刷り込みがすごくあるよなってことも気が付かされて、子供たちにはありがとうしかないね、本当に。)
でも、長女とか、そんなの全然ないわけですよ。次男も。同じ母親で育ってるのになんで。って思ってたけれど、ああ、もって生まれたものが違うのね、と腹の底から理解したんですよ。もって生まれた星が違うんだって、こういうことなんだねー、と。
なんか、自分の悩みって「自力でなんとか」って出来そうですけど、(いやできないのか汗)でも、子供のことって、マジ真剣悩むというか、何より責任あるし、みたいな重めの側面があって。そんなときに「こういう個性があります」みたいなものを展開してもらえると、親としての「もっていきかた」(旅行でいうところの、オススメ情報とか、アドバイスみたいなこと)わかるよなあ、ってなりました。
すごい山奥の滝を見に行くのに「ハイヒール向いてません。」みたいな、まあ、わかりやすくいえば、そんな感じ。
逆に、竹下通りいくのに「トレッキングシューズはどうかな、悪くはないんだけど。」「あーーー、原宿には、干物専門店はないんだよなー。最初に調べたらよかったね。」みたいな、まあそういうこと。
築地市場いくなら、夕方は閉店してるから早朝だよ、とか。
こうやって書くと、当たり前すぎてばかばかしいけれど、実は、子育てでも「そんなあほな!」ってことを繰り広げちゃってるんじゃないか、という視点を得ることができました。
私と、子供たちの「それ」は違う、ということがわかった。これはとても大きかった。ここまで書いてきたように「天将星」のエネルギーがデフォルトであり「あんたたちもそうでしょ!できるでしょ!」ということが「ダメ、絶対。」ということが、骨の髄から理解できたのです。
もちろん、毎日算命学を気にしながら子育てするわけはありません。そりゃ、毎日夜は失神ってくらい家事育児、仕事のマルチタスクの日々は多忙だからね。
でも、「これって…」と自分の中の辞書にないお困り事が出てきたときに、すごく役立ってくれたと思います。おかげで、うちの子供たちは、まったく違う個性に仕上がっていて、それぞれの輝き方をしてるんじゃないかなーって思ってるんです。ただ、ひとつ共通点があるのは、全員「表現の火」鳳閣と調舒だらけなので、「うるさい」です。全員がずっとしゃべってます。子育て全盛期は「ひとりずつしゃべって!!はい、じゃあ●●ちゃんから!」というまさかのドラフト制導入と、「おかーさん、聖徳太子違うねん!」というツッコミがセオリーになってました爆 まあこれも「星のなせるわざ」ってことで笑
こうして、私は「ありがとう算命学」という子育て時期を過ごしてきました。