今日、考えたこと。 〜『言葉』という第2の重力と社会を生きるための酸素〜
どうも。最近どうにも考えることが止まらず、色々やらなきゃいけないことがあると分かっていても、とにかく言葉がでてきてしまうのでまた書いてみます。
今回は、『言葉』という第2の重力についてです。
私がこう感じるようになったのは中学2年生のころで、ちょうど自分に自信もついてきて調子こいてた時期なのですが、ある日いじめを受けてありもしない妄想に頭を支配されてしまいました。今でも(というかまさに今)妄想が沸き上がってくる時があります。
そんなこんなでいじめの傷からひとまず立ち直った時に感じたのが『言葉』は第2の重力だ、ということでした。
実際そんなものがあるのか分からないし、誰かに信じてもらおうとも思いませんが、ただあの時たしかにそう感じたのは事実です。
『そんなことを考えたって仕方がない』と言われるのは分かっているし、だからそこに対処していく手立てを考えていくべきだ、というのも頷けます。全くその通りだと思います。そうできなくて苦しい自分がいるんですから。
しかし、正しいと分かっていても、納得ができないんです。あの時感じた重力の正体が気になって仕方がないんです。その重力を人のために使うことはできないのだろうか、と考える時間が日に日に増してくるのです。
何もかも合理的になって、合理的であることでしか社会を回せなくなっているのは、こうした『言葉の重み』を無視し続けた結果なのではないか、と本気で思うことがあるのです。
だからこうしてnoteで色々書いてみようと思うようになったのかもしれません。どうこう思われる以上に、書かずにはいられなくなったから、こうして書いているのだと思います。
こうして色々書いているうちに、自分の中で整理されてくる瞬間が訪れると信じています。今自分が求めているのは、このようにしてひたすら思いを綴ることです。
『文字を書くこと』が、自分にとってこの社会を生きる上での酸素になるかも、と少しずつ感じています。
呼吸するように出てくる、苦に思わないことを探す名目で、とにかく動いてみようと思った結果ですが、こうしてつらつらと役に立つかも分からないことを書くのも悪くないな、と思いつつあります。
まあそんなところで、今回はこんなもんで。それではまた気が向いた時に。