荒木古童翁ノ小伝
国立国会図書館デジタルライブラリー所蔵の同図書について、googleドキュメントによる文字起こしを試すとともに、現代風の文章に改めていく。
本文
googleの出力結果
以上が本文であるが、googleドキュメントに読み込ませた画像、出力結果は以下のとおり。
古いカタカナに弱すぎる点が目立つが、漢字の精度は十分であるように見える。旧字にも強く、表示できない文字でなければ変換の面倒くさそうな文字であってもちゃんと表示してくれている。
まさか横書きと認識されるのではと懸念していたが、縦書きの文であることも分かっているようだ。
現代訳
翁・荒木氏は半三郎と称し、古童と號した。父を亀三郎と言い加藤能登守に仕えた。荒木はその第三子で、幼くから尺八を好んだ。
旧幕臣・橫田筑後守の父某が尺八をよくする者で、退官した後は五柳と称していた。荒木は五柳の門前を過ぎる毎に垣根の近くに立ち、竹音を傾聴していたが、ある日門番を介して斯道を学ぶことを乞うた。五柳はこれを承諾し、ここで潮汲,安宅等の外曲数曲を授かる。この時荒木は十四歳であった。
荒木が浅草に仮住まいしていたところ、近隣に如風という者があり、すこぶる尺八に達していた。荒木は如風に就いて尺八を学ぼうとしたが、未だ機会を得なかった。
ある日某所にて一曲を奏すとたちまち隣室から声があった。曰く、「孺子、技は拙にして曲を成さず」と。
その人を窺うとすなわち如風その人であった。荒木は大いに憤怒し、良い師に就いて必ず如風の右に出ることを決意した。荒木の家は貧しく、虚無僧をなって托鉢して市街を徘徊した。
ある日、日本橋を過ぎる前面より一人の虚無僧が来るのを見る。その容貌は奇偉であった。虚無僧が道中で相まみえたときは「調」の一曲を合奏するのが礼儀であったので、荒木がまずこれを奏して名乗り、丁寧に彼の名を問いた。
彼は答えて曰く、「吾は古童なり」と。古童の姓は豊田、通称は勝五郎という洒落の利いた男で、酒を嗜み尺八に長じた。当時巨匠と称された其の名を聞いた荒木は大層に悦んで、「願くは先生に従い斯道を学びたい。先生が教えを垂れれば幸いです」と志願し、これを古童は承諾した。
約束をとりつけ、古童の家に行くと、「酒を飲んでいるので明日来い」「製管をしているのでまた来い」などと、事あるごとに教授を断られた。
このようなことが凡そ二月に渡り、ある雨の日、「今日なら古童は必ず暇だろう、しかしそれでも教えないのなら古童からは学ぶまい」と荒木がその門を叩くと、古童は既に酒を飲んで醉っていた。しかし荒木を見て笑い、「これまでお前に教授しなかったのは、しばらく試していたからだ。今私はお前の志を感じ、私の知る所の秘曲をすべてお前に伝えよう」というと、荒木は大いに悦び、これより古童に従った。
本曲,外曲を学ぶこと数年、大いにその節奏を会したが、未だ其の蘊奥を究めるに至らず、古童は亡くなってしまう。
これに於いて荒木は師の號を継いで古童と称し、独り自ら斯道を研究し、励んで怠らなかった。
常に良師や友を得たいと欲していた時に、琴弾の名手で、かつて業を鈴川検校に受けた、政尾一という者があった。淡泊な性格だが酒を好み、富貴にへつらわず、名声に走らず、独りその道を楽しみ、その技の精妙なことは空前絶後と称された。荒木はその名を聞き、絲と竹は道を異にすると言えども、その至る奥義は一つであろうからと教えを乞いた。
また政尾一と共同で京風の外曲について尺八の譜を作り、黽勉従事すること多年、ひと通りの成果を挙げるに至った。その曲譜の中でも著名なものは
春の曙,越後獅子,夕顔,浪花獅子,春の調,残月,末の契,里乃曉,七小町,宇治巡,四季乃詠,西行櫻,浮寐,若菜,茶湯音頭,四段砧,深夜の月,四乃民,青柳,磯千鳥,更衣,雲井弄齋,躑躅,新都獅子,櫻盡し,名殘の月,六段戀慕,嵯峨の春,玉乃臺,三段獅子,吼噦等で、その他、枚挙するに暇がない。
荒木より以前の曲譜は、吾妻獅子,玉川,松竹梅,安宅,潮汲,江ノ島等の十数曲に過ぎなかった。荒木は常に、私が斯道に悟ったことは政尾一の助力の多かったことによると語る。
政尾一が没してしまったあとは、荒木は造化たる自然から感受し、尺八の道の助けとした。
春雨の細々と降るのを聴けば竹音の幽靜さを感に、秋風が颯々を吹くのを聞けば竹音の悲壮さを悟り、事に就き、物に触れ、斯道を闡明させることは無かった。
故に荒木の竹音には波瀾があり抑揚があり頓挫があり、悉く自然に出た。荒木の尺八を聴く者でその微妙を讃嘆しない者はなかった。実に斯道の泰斗と謂えるまでになった今日、普化尺八を善くする者は皆翁に淵源すると云う。
翁より以前は、管を製する者は管内に工夫を用いることを知らず、唯々これに漆するのみで、その竹が天然の良質を得ていなければ律に合う者は希である。
荒木はここに発明する所があり、深く意(息のことか)を管内に注いで、その音を硬する凸部があればこれを削平し、その音を散する凹所があればこれを補填し、その竹音が艶美になるかどうかを試すこと数十回、時月を重ねて初めて完成する故に、荒木の管はみな十二律に叶った。
荒木が初めてこの尺八を製管したとき、これを漢儒某に見せると、某は嘆称し変幻百出の銘を与えた。荒木の名は日に益々高くなった。
両皇后宮の召をこうむり、曲を御前にて奏した。その他皇族,大臣,華族,外國皇子,公使等の招邀に応じたるはその数を知らず、文部省の命を受けて数管を製して合衆國,獨逸國等に贈り、また文部省音楽所に於て変幻百出の管を愛重し、その模形を作り以太利國博覧会に贈ったという。
荒木は常に人に語りて曰く、
「吾が技を誇らんとするときは心が動く。心が動けば声調に粗が出て韶を致すに乏しく、気持ちを平らにして心を虚にするときは自然にその響きは和暢して優美である。」と。
荒木翁は勤倹な性格で施しを好み、晩年は少々酒を嗜んだ。今ここ65歳に老いても益壮で、篤くその道に志し、百折屈せず、遂に絶技と称せられることに私どもは感じ入り、因ってその閲歴を此の如く記したのである。
明治二十年(1887年)十二月 上原六四郎 辻本一貫
単語調査
基本はweblio辞書を用い、未収録の語については都度検索を行った。ちなみにyahoo知恵袋が本当に知恵袋のように役立った。
【致社】致仕(ちし)のことか。官職を退くこと、退官して隠居すること
【牆下】しょうか。垣根のもと
【閽人】こんじん。宮殿の門を守る人
【寓スル】仮住まいする
【孺子】じゅし。若造、青二才
【禮】うや。礼、礼儀
【慇懃】 真心がこもっていて、礼儀正しいこと
【性洒落】性<形容動詞>という文体が度々登場する
【鉅工】鉅は巨で巨工、したがって巨匠のことか
【醋】酢。ここでは酒(特にワイン?)のことか
【辭ス】辞す
【嚮】きょう。ある方向に向かう/以前、これまで
【姑ク】しばらく
【節奏】せっそう。リズム、律動
【薀奥】蘊奥(うんおう)のことか。学問・技芸などの最も奥深いところ、奥義
【刔?畫】畫は画、その前は刔(えぐる。抉)か
【孜々】しし。熱心に努め励むさま
【諛ラズ】へつらず。へつらうの否定形
【趨ラズ】はしらず
【雖𪜈】いえども。𪜈は合字
【套曲】とうきょく。前後の文脈から外曲とした
【黽勉従事】びんべんじゅうじ。黽勉とはつとめはげむこと
【豁然】かつぜん。 視野が大きく開けるさま
【浮寐】浮寝。地歌長歌物
【造化】ぞうか。 天地万物を創造し育てること。また、それをなす者。造物主
【闡明】せんめい。明瞭でなかった道理や意義を明らかにすること
【泰斗】たいと。その道の大家。『泰山北斗』
【淵源】えんげん。物事の起こり基づくところ。根源。みなもと
【恊フ】かなう
【歎稱】たんしょう。すぐれたものとして感じ入ること
【変幻百出】次々に姿や形を変えていくこと
【蒙リ】こうむり。被り
【招邀】しょうよう。招き迎えること
【韶】しょう。うつくしい、うららか/中国、伝説上の天子舜(シュン)が作ったといわれる楽曲
【和暢】わちょう。穏やか、和やかなさま。『恵風和暢』
【勤儉】きんけん。勤勉で倹約
【老テ益壯】ーえきそう。老いても益々壮んである。『老当益壮』
【百折屈セズ】ひゃくせつー。幾度失敗しても屈せず。『百折不撓』
久保田敏子氏による解説
おわりに
以上のように初世荒木古童(二代古童)は多くの外曲を制定し、製管の技法をまとめるなどの功績があった。
その弟子であり本著者でもある上原六四郎は、点符式楽譜の発明をしたとされており、その楽譜形式は今でも琴古流で用いられている。
国立国会図書館デジタルコレクションで確認できる限りでは、1907年時点で二世荒木古童と上原六四郎の共著による『八千代獅子』の楽譜が刊行されている(図1)。なお同時期には川本逸童(図2)や水野呂童の楽譜がもる。
なお都山流で古いものは1908年刊『六段の調』など(図3)が見つかった。当時は小節線がないため今よりも譜読みに難があるが、音符線形式を制定した初代中尾都山の才覚もまた図抜けていたと感じるばかりである。