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自他境界線について

自他の境界線という概念が生まれつき無さすぎて、散々人の心を踏み荒らしてきた人生だったと思う。

老若男女、言葉が通じなくとも人とはすぐに打ち解けられる。でも大人になって、違和感に気付くようになった。私がニコニコとオープンに近付いても、それを居心地悪く感じている相手がいること。(本当に22歳位まで気付かなかった。笑)
自分にとって、コミュニケーションは贈与だった。でも相手によっては煩わしいものだったのだ。

そういう人とは意識して距離を取らねばならない。褒め言葉さえ色んな意味を含んでしまうようだ。私が何の気なしに放った言葉がずっと刺さっている。(良い意味でも悪い意味でも)

自分の光が、たまに誰かを傷付けている自覚は子どもの頃からあった。この光は、相手のコンプレックスを照らしてしまう。私が生きたいように生きようとすると、知らない所で誰かを傷付けてしまう。いつしか、傷付けることに無頓着になることでしか自分の身を守れなくなったのだと思う。

すぐに人との距離感を間違える。今でも。
自分のことも、他人のことも、本を読んで勉強する日々。だから、MBTI(16personality)は興味深かった。少し理解できた気になれた感覚に安心した。ネットには、今まで不可解だったタイプの人たちの内なる声が溢れていて、愛おしかった。

私の自他境界線はとても脆弱で、誰かが泣いていれば、喜んでいれば、すぐに共鳴する。本心120%で一緒に悲しめて喜べる。それを、自他境界線が曖昧だなんて言葉で表現されてしまうのは悲しかった。
自他境界線が曖昧なのは、危険らしい。
実際、そう思う。笑

フロイトの精神分析学を知って(本で独学だけどね)、心の扱い方を学んだ。
私はさみしさを感じやすい性分だと思う。
さみしさっていうのは、他人からもたらされるものではなくて、自分で自分にもたらすものらしい。現実の自分と内なる自分が、きちんと手を繋げていないときに、さみしさを感じるんだって。
さみしさは自分にしか癒せないんだなぁと腑に落ちたとき、他人に自分の業を背負わせるのを辞められるようになった。
あきらめ、とも表現できる。でも、辿り着けたことが自信になった。


自他境界線を意識していて思うのは、相手や状態によってコミュニケーションを調整するという当たり前のことを今までサボっていたな~という事。沈黙を理解することの重要性。

今まで、他人を観察したことがあんまり無かった。よく見ていないから理解も当然出来ていなかった。
最近は、他人の感情の機微を拾える様になってきた。(最近、お友達に「(感情を言い当てるから)占い師か?」と言われたのが嬉しかった)


あ、お風呂入る時間だからここまでにしよ〜っと!

またね😊

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