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遺書替わりの手記

 あと何年、何日、生きていけるだろう。
 あとどれだけ、心を保たせることが出来るだろう。
 生きていくのが辛い。ここ最近は毎日泣いてばかりだ。泣いて、呪って、憎んで、恨んで、絶望して、失望して、表情も感情も剥がれ落ちて、生きる事で精一杯だ。

 死にたい。生きていたくない。
 こんな世界で、どうして生き続けなきゃいけないのだろう。
 
 大多数にばかり都合がよくて、そこに合わせられなきゃ「人間が出来てない」と言われる。
 たった2種類で分けられ固定された生まれた性別に合うように振る舞うことを求められ、自分の生まれ持った性別じゃない方の性別の人間を好きになってそんな人間と家庭を持つことを当然視される。そして、それが出来ない人間は悉く異端視される。
 他の点においてもそうだ。例えばここの人々は出来すぎる人にも厳しければ出来なさすぎる人間にも厳しい。皆均等、思想も同質、量産人間万歳。出る杭は打ちまくれ。こんな本当にくそったれな世界に、自分はいる。
 少なくとも自分の住む国日本は、未だそれが根強い。
 全く、自分で選べないものをよくもまあ人は納得して受け入れて生きていけるなと思う。もしかすると、納得してないのを無理に納得するために、“異質”な人間をいじめるようになっているということなのだろうか。

 付き合いきれない。

 あとどれくらい、耐えればいいのだろう。もう十分頑張った。十分、自分なりに歩み寄った。これ以上、何をすればいい。傷を増やしてまで、死を望んでまで。
 ああそうか、死ねばいいのか。死ねばもうこれ以上迷惑もかけずに済むし、これ以上苦しまずに済む。
 どうせ海外に逃げる金もアテも無いんだ。今回の選挙もあんな結果だったし、この先どんどん悪くなる未来しか見えない。「これで終わりじゃない。闘い続けろ」と多くの人は言うが、自分はそんな人々を尊敬する。そして、自分はそんなに強くなれなかったと、自分自身を、永遠に、死んでもなお侮蔑するだろう。生き続けられるのなら選挙には毎回投票に行く。けれど、弱い自分にはそれしか出来ない。その事にも、自分は自分を侮蔑し続ける。

 生き続けられるのなら、これはただのいつものぼやきや吐露で済むだろう。実際、希望は思わぬところに転がっているかもしれないから。最低で2週間、生き続けなきゃいけない用もあるし、その間に少しはどうにかなるかもしれない。
 
 けれど無理なら、これは、自死の理由を記した遺書替わりの手記となるだろう。

 今は、そうならない事を祈るしかない。

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