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意思決定支援ってなんやの?

どうも、おもさんです。

先日、はまじょぶネットワークに参加してきました。
お世話になっている芝野さんより圧を受けましたので、喜んで参加してまいりました。

テーマは「意思決定支援」についてでした。
意思決定支援っていったい何なんでしょうね。

グループワーク形式で様々な立場で就労支援等に関わっている方と討論してきました。
結論的には答えはでない。こういう討論って「答え」を求めるんではなくて、色んな立場の方が知識やら経験、雑感を織り交ぜて、何かしらの方向性が見えればいいんやと思っています。

地域包括ケアとか、意思決定支援とか、分かるようでよく分からない言葉が現場に持ち込まれるとき、大概の場合、表向きの意味合いと思惑が混在していると思います。

そもそもで言えば、人類史を見ても社会的な生き物であることは理解できるし、発達心理学上もそう。意思決定についても、何をどう考えても自分でしか決定することは出来ない。
他者にゆだねて決めてもらうのも同じ。自分では決められないから、それを自分が選んでいるだけの話。

そもそも自分の意思なんて言うのはあてにならない。


僕の場合は、綺麗なお姉さんの綺麗な足が好きです。でも、もう立派な大人やし、もう足を見るのはやめようと決心した5秒後に振り返っている自分がいました。
言葉での意思決定なんていうのは、つまるところ自分の都合のよいものに過ぎないというのが、僕としての雑感です。

意思を決定するということの背景に、自身の感情や想い、状況等あると思います。
「やりたいこと」を意思探求のベースにするのは、個人的には好きではありません。
自分に置き換えて考えてみたときに、本当にやりたいことがあるならば、それが実現していなくてもすでにやれることをやっている。
今まで療法士という立場で患者さん・利用者さんの想い、いっぱい聞いてきました。
現在の就労支援事業でも様々な想いを聞きます。
それは職員もだし、スタッフ(利用者)からも。
多くの話を聞いて共通していたことは一つ。当人にとってその必要性が高ければやるということ。
療法士時代の利用者さんの話ですが、この方は80歳代男性で脳梗塞後遺症の方でした。「外をもっと歩いて体力をつけたい。」介入当初からの希望でした。足の引きずりもなくなってきて、外歩きしやすくなってきているだろうに、生活上で歩く気配があまりない。
そこに転機が訪れました。同居しているお孫さんが保育園から幼稚園に転園し、幼稚園バスの送迎の都合上、利用者さんがバス停までお迎えにいくのが生活上必要になったのです。
ばんばん歩くようになりました。

必要が行動を作る。


この必要の背景には2種類あると思っています。一つは渇望。一つは不便・不条理。
現代はまぁいろいろと便利です。僕が生きてきた30数年ですら、世の中変わりました。どんどん便利になっていく中で、まぁ高望みをしなければ特に困ることなく生きていくことが出来ます。
何かを強く渇望すること。その事自体が少ないのかもしれない。
それよりも、現在に置かれている状況に対して、なんとかしたいという気持ち。
それが自身にとっての必然性になれば、行動の後ろ盾になります。

なので、意思の背景にある必然性、それを言葉だけでなく、行動や所作などを通してみていく。これがスタンスとしては重要だろうと思います。

意思決定を支援するというのは、仰々しい言葉だなと思います。
そもそもですね、人ってそんなに簡単に本音を言わない。
それは文化上のものなのか、慣習によるものかは定かではありません。というより、そういった影響を受けているのか、そうでないのか。
私としては常々、現状に至る前までの心理的な発達のプロセスがどうだったのかが非常に気になります。
夏目漱石が言っているでしょう。


考える漱石先生


山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

草枕より



 
こんなに短文で表現できるのは素晴らしいですよね。
ちょっと僕も同じようなポーズで写真撮ってみました。


誰が何も考えていないハゲやねん

意思決定自体が大事なんではなくて、結局自身のけつを自身で拭くことが習慣化されているか、だけではないかと思います。
そして、その気概を持ったうえで、責任の取れる範囲を広げていく。

自分で責任の取れる範囲を広げようとしない限り、他人のやさしさに触れることに感謝できますか?叱咤激励されるありがたみを感じることできますか?

そういう世界を広げる生き方もあくまで一つの生き方にしかすぎませんが、少なからずそこに共感してくれる人がいるなら、拾い上げる気概は持ちたいですよね。
責任はとれないが、大切にはしたい。
それがかっこいいと思うのならその道を進めよ、行けばわかるさ、自分。

今日はこの辺で途中下車をしたいと思います。


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