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#8 何に触れてるん?

どうも、おもさんです。

昨日はお世話になっている大坪先生の招待で神奈川県南地域心理士会の懇親会に参加してきました。
あ、実は私心理師でもあるんです。カウンセリングはしないですが、綺麗なお姉さんとお話しするのは大好きです。
第5回の心理師試験で資格取得しましたが、10分の勉強で合格したと吹聴されていますが、そんなわけないでしょう、大坪先生。
3時間はやりましたよ!
というと反感もらいそうですが、元々ボディとしての身体と日本語で言うところの「身」というものは別物だと認識しておりましたし、その「身」はいわゆる精神も包含すると考えておりましたので、精神科分野の勉強はだいぶしていた、というだけのことです。

昨日の参加者のお1人に顎関節の痛みがある男性がおられました。公開施術をする流れになりましたので、5分ほどお時間いただきました。
とりあえず口があけられ、痛みもかなり落ち着いたと。で、気になったのは腹部の緊張で、触れた印象から「あー、なんかため息つく間もなく今多忙なんかなー」と思って一度鼻から大きく息を吐いてもらいました。すると、顎関節がゆるんだので「あ、なるほど」と。
後日、確認を取りましたが身内で体調不良者が出たり、大切な方が入院されたりとが年末から相次いで息つく間もなかったとのことでした。

「触れるだけでそこまで分かるんですね」とお言葉もらいましたが、はっきりいいましょう。たまたまです。
というより、触れた瞬間や触れる以前に感じるものから推察しているだけなので、身体の状態やそのバックグラウンドを知るということを目的に触れていない。だから、たまたま分かったというだけなんです。

その後、テニス肘だという女性の症状も緩和させましたが、「させました」という表現は不適切で、見たまんまに触れたら痛みが取れたというだけです。一応、説明することは可能ですが、そんなことより「変化する自分」に気づくという方が価値が高いです。

心理士の方々とも「触れる」ということや「身」ということについて、いろいろ談義できたので楽しかった。ありがとうございました。

さて、本題。

触れるの旅路

以前、PT友達の佐々木君(今はうまい棒を使って治療する駄菓子屋の店主)主宰のNPO法人で身に気づくワークショップを行った際に、「触れる」をテーマにまとめたものが出てきましたので、転載します。

だいぶ長文ですが、「触れる」ということについて一人の療法士が何をどう考えて取り組んだかに興味があれば面白い文章だと思いますので、ぜひどうぞ。

下記転載

今回のワークショップのテーマは「触れる」でした。 この「触れる」というテーマは、いまだに考え続けているものであり、これからも考え続 ける私にとっては超重要なテーマです。 ワークショップでは、具体的なワークを通して、「触れる」ということにアプローチをし ていきますが、その背景を語る、というのは時間の都合上出来かねることも多くあるとい う課題がありました。 そこで、今回は「触れる」ということに関するわたくし個人の経験と変遷を記述し、次回 ワークショップへの参加意欲を高めたいという下心と、私の経験を踏み台にしてもらいた いという本心を表現してみました。 かなり長文になってしまいましたが、ぜひ目を通していただければ、私の笑顔が最後に浮 かんでくるのではないかと思います。 ほんのひと時、私の旅路におつきあいくださいませ。

「触れる」ことはじめ

何かに取り組むときに、最も重要なのはそのアプローチ方法です。 例えば今回のワークショップで取り扱う予定だったのは、「触れる」ですね。 療法士に馴染みのある言葉に置き換えると「触診」ということになるでしょうか。 巷には触診をテーマにした講習会や参考者がたくさんありますね。 それらに参加したり、読んで試してみたり、というのが「アプローチ方法」です。 入り口としましてはそれらのアプローチの仕方が適当と思われます。 私も同じようなプロセスを辿りました。 しかしながら、今回の私のワークショップの案内文を読んで、参加希望された方々は私の 文章に何かピンとくるものがあったのでしょう。 私は「触れる」を入り口に、様々なことに想いが巡りました。 その一端を簡単にまとめましたので、以下にご紹介させていただきます。 何かの参考になれば幸いです。

はじめの一歩

まず、皆さんが「触れる」に取り組むときに、何からはじめますか? 上記したような参考書や講習会に出ることから始めますか? 私の場合は、身近にいる「触れ方が上手い人」を真似ることから始めました。 どんな道にも先駆者は大概いるものです。 講習会等で出会う先生を真似ても良いですが、私の言う真似るは多分皆さんと少し違いま す。 言葉遣い、相手との距離感、考え方、日常の過ごし方、それら全てを真似ます。 当たり前ですが、そうした主体が、手技を行うわけですから、目先のテクニックだけ見て も、その土台が異なるわけですから差が出るのは当然ですね。これは中学生からバスケッ トボールの経験で身につけた私の常套手段でした。とにかく上手い選手を真似れば上手く なるのは当たり前です。このアプローチのメリットは、「上手くなる方向性を決めている」 ということです。それが正しい、あるいは最善というわけではありませんが、「どう取り 組むか」にまごつくよりも的を絞った行動が取れます。当たり前ですね、上手い人を真似 しているわけですから。 というわけで、私は身近にいる「触れ方が上手い人」を真似たわけです。 私が最初に真似た方は、徒手療法を主にして理学療法を組み立てる方でした。 海外の治療コンセプトなどを取り入れた手技は、当時の私には魔法のようでした。 「自分がやると力一杯で動かすのに、なぜあの先輩は力まずに動かせているのか」 このような疑問が生じると、まずは実験するわけですね。 では「力まずに動かせばどうなるか」。結果は動かないわけです。笑 よく陥りがちですが、「〇〇をしない」という行動の作り方は間違いです。 なぜなら「では、結局はどうするのか?」が分かっていないからです。 上記のような「力まない」は結果として観察された事象ですね。 ですから、「力まない」を目的とするのは間違っている。 そう気づいたわけです。

関節運動学から始めた

では、先輩との差を埋めるために、何からアプローチすれば良いか。 私が一番初めに取り組んだのは、「骨を動かす」ということでした。 簡単な話で「骨は自動運動しない」からこちらの介入の出来次第で、結果が見えやすいの ではと考えたからです。 そのため、当時流行っていた「関節運動学」を学びました。これは面白かった。 一つの手技を学んだのは、後にも先にもこれだけですが、最初に体系だった手技アプロー チを学んだということは、私にとっては重要だったように思います。 その理由としては、「触れることで効果が出る」というのを身をもって体験できたからで す。 私は拘る癖があって、当時は踵ばかり触っていました。 距骨下関節の適合性を少しいじると、立ち姿や歩きに変化が出ることが面白かったわけで す。 踵ばかり触れている私を見た別の先輩が「視野が狭い」と助言をくれました。 ただ当時の私は残念ながらその言葉の意味が分かりませんでした。 なぜなら、踵を触れて患者さんが良くなっていったからです。そして、患者も喜んでいた ので「視野が狭く、苦しい」という実感を持ったことがなかった。だから、何を言ってい るのか分からなかったわけです。 逆に私のことを「視野が狭い」というのなら、あなたがやっていることはどうか。 結局は私と違うだけであり、それは視野の問題か?単なるイチャモンか、どっちやねんと 言った感じでしたね。 生意気ですね。大方の人は「視野が狭い」とか言われれば、「そうか、私は視野が狭いの か」と納得したり、落ち込んだりしますよね。私としては「実感がないこと」に納得した り、落胆したり出来なかっただけなんです。 おそらくこれも中学時代から巻き込まれた数多のゴタゴタのおかげです。 私の通っていた中学は、市内では有数の不良校。入学早々、手を焼いた担任の先生が当時 まだ可愛かった私をクラス委員に任命しようと、なんと喫茶店でお茶をご馳走してくれま した。いわゆる買収というやつです。 私は喜んでメロンソーダとケーキを頂きました。担任の先生は、「尾森は何かをご馳走す ればクラス委員を引き受けるだろう」という魂胆だったのでしょう。私の返事は「嫌です」 でおしまい。 その時に「裏切り者!」的な発言をされたわけです。こちらとしては「は?なんの話?」 でしょう。 裏切った実感なんてないわけです。ただ担任が私にご馳走してくれた、というだけです。 ですから、その「裏切り者!」という言葉に何の実感も湧かなかった。 しかし、相手の立場から見れば「裏切られた」という気持ちがあったのかもしれない。で も、当時黒板に「う○ち」の絵ばかり書いて、授業をボイコットしようとしていた若者に そんな相手の気持ちを考えるなんていうのは面倒だったわけです。ただ頭の片隅には、そ の言葉が残っていた。だから、今こうしてこの文章を書いて考察することができるわけで す。 「自分自身に実感のない言葉に惑わされるな」は教訓となりました。 さて、しばらく踵いじりを続けていると、次第に全身的な位置関係の修正が必要なことが 見えてきました。 関節へのアプローチを通して、骨を動かせば、全身のバランスが変化する。 そうなった時に、はじめて視野を広げる必要性が出てきて、「あー、確かに自分は視野が 狭かったんだな」と納得したわけです。

動きの誘導

骨を動かせるようになると、運動や動作の誘導も上達してきました。 そこで、「動き」そのものをもう少し考えてみようとバイオメカニクスを勉強し始めまし た。 ここでも真似ました。某大学教授の講座に出て、考え方などをパクりました。正直、1週 間もあれば十分でした。もちろん、それは全ての内容を把握したというわけではありませ んよ。ただ「これは自分の役に立たない」と見切るまでが早かったんです。なぜなら、バ イオメカニクスは「動いた結果」を分析しているに過ぎないことを悟ったからです。確か に「物体が動く」ということを取り扱う場合に、力学的な考え方は有効です。ですが、そ れは生身の人間とは異なる、というのを直感的に理解していたのだと思います。 それは今になれば説明できますし、見れば分かりますが、当時は「なんとなく違う」でし た。 この直感を大事にしてよかったと思います。

感覚が大事ですよ

当時3年目くらいでしたでしょうか。現 NPO法人Presents代表の佐々木君とブログを通し て知り合い、職場も近かったことから一緒に勉強することになりました。(この集まりが HOLISM勉強会に発展するのですが、当時はおもやん道場と称してやってました。しかし とある有識者から「それじゃあ、ほぼおもさんでささやんがないじゃん」と指摘を受けて、 仕方なく改名したのでした。) 触診練習会と称して、お互いの身体を触りまくっていた時に、佐々木君から「感覚が大事 ですよ」との言葉をかけられた。実はこの言葉が私にとっての金言だった。なぜなら、そ れまで感覚的にやってきていたが、そのことを意識したこともなく「感覚を使って」と言 葉に現したことがなかったからです。 前述した直感もそうです。その言葉を意識して使ったことなどありませんでした。 と同時に先ほど抱いていた力学的解釈の弱点が明確になったわけです。 つまり、動きの主体である我々は感覚を用いて動いているのであり、力学ではそのことが 説明できない。動き説明は出来ても、動かすことは出来ない。なぜなら相手の感覚を無視 しているから、ということに合点がいったわけです。 そこで次に学んだのが「キネステティクス」でした。これも面白かった。 人が感覚をどのように使用して動いているのか、それを体感で理解するワークは目からウ ロコでした。 それを臨床応用しているうちに、本当に「人それぞれ」であることを知るようになったの です。

日野先生と出会う

「感覚」というものをもう少し掘り下げてみようとした時に、その感覚情報をどのように 処理をしているのか、を調べる際にAmazonで『脳』と検索をかけました。数多の書籍が ある中で、ひときわ目についたのが『武学入門 ~武術は身体を脳化する~』という武道 家の本でした。表紙はその方の顔のドアップ。なんじゃこれ!と思わず即購入したのが、 日野晃先生の書物でした。 そこに書かれていた内容は分かるような分からないような、分かっても出来ないというよ うなものでした。しかしながら、自身が感覚的に分かっていたことが書かれているような 気がしました。ちょうど良いタイミングで日野先生の主催するワークショップが東京で行 われるのを知り、単身乗り込んで行きました。 ワークショップ会場につき、先生らしき人を見かけました。 その歩く後ろ姿を見て、「あ、今のままではこの人にはなれない」と直感しました。つま りは現時点での自身の延長に日野先生はいないことが分かったんです。こんな経験は初め てでした。 ワークショップは、身体塾、関係塾、表現塾で構成されています。私としては、「身体」 に興味がありましたから身体塾を期待して参加したのですが、最も衝撃だったのは関係塾、 表現塾でした。 身体塾はとても端的に言えば、自身の身体をきちんと動かせているか、を徹底して突っ込 むものです。例えば胸骨の一点を感じ取り、そこを動かす。そして胸骨と肘の一点が連動 するように感覚を精緻化していくのです。一朝一夕には無理であることはすぐに分かりま した。 「分かっても出来ない」を経験したわけです。やっている方法は正しくても出来ない、と いう部分に感覚の深化、精緻化という課題があるのであり、そこに触れた時に身震いしま した。 次に関係塾や表現塾。相手の前に立つ。相手に声をかける。相手と一緒に歩くなど日常で 当たり前のように行なっていることを切り出して取り組むと、何も出来ていない、そして 何もやろうとしていなかったことに気づき、衝撃でした。あまりの衝撃に、参加を予定し ていた最後のコマは逃げ出しました。 目の前にいる人の前に立って、声をかけているのに、「私には言っていない」とか「気持 ち悪い」とか言われるんですよ。日野先生とのあまりの違いに呆然とするしかなく、しか し私の中で何かが燃え始めるのを感じていました。 ワークの最後に先生に質問をできる時間があります。 だらしなく椅子に座った人を立ち上がらせる、というワークがあったのですが、その時に 私もデモを受けました。渾身の脱力をしたにも関わらず、立たされてしまいました。思わ ず「うそでしょ」と。 私は最後の質問で、「さっきの立ち上がりは力学的に考えるとよく分からない。なぜ立て たんでしょう?」と聞くと「力学で考えるから分からないんだ」と突っ込まれました。 この突っ込みで「あぁ、私はやっぱり理学療法士として人の動きを考えているんだな」と いうことに気づかされました。以降、理学療法関連の本は全て閉じました。全く違うアプ ローチが必要だということを悟ったわけです。 日野先生との出会い以降、体験したこと、言われた言葉が頭の中をぐるぐると巡りました。 日常生活、臨床、全てにおいて何かが今までと違いました。 ただまだ確かめに行く勇気はなくて、ひたすら「体験」と「言葉」に向き合ったのを覚え ています。 その間、やはり教わったことはよく分からないが、確実に大事なものであることを感じら れたことが、この時の私の支えだったように思います。 翌年またワークショップに参加し、先生が自ら建てられた和歌山の道場での合宿等に参加 したりと関わりを深めていく中で、日野先生からお声がかかり、現在は先生の主宰する『明 鏡塾』の助手を務めさせていただいております。日野先生との関わりを通して「師との関 係」を私にとってリアルなものにし、「技術」という点で最も参考にした宮大工の技術継 承について、身をもって体験することが出来ました。 (技術ということを考えた時に、その技術が廃れてしまってはならない文化を持つものを 参考にすることを決めました。その際に神社仏閣の建立、修理を生業とする宮大工の仕事 は、廃れてしまっては文化が失われることから、確実に伝承される技術、あるいは伝承方 法があるだろうと思い、参考にしました。)

自分自身の感覚と出会う

「触れる」とは一体どういうことなのか。 それを痛感した体験があります。 臨床5年目くらいの時でしょうか。デイサービスで働いていた時に、視床出血で右片麻痺 を呈した女性を担当しました。担当といっても、当時は2時間半の間に20名を個別で見て いましたから、避ける時間は5分程度です。 右半身に強い痺れがある、とのことで相談を受けました。 短い時間でしたが、あれこれと考えてアプローチを行いましたが、良くならず、そしてよ く分からず。 利用者さんに「すみません、ちょっと分かりませんでした。」と素直に伝えた時に、その 利用者さんの頭部が光っているように見えたんです。驚いた私は、「すみません。なんと 頭が光ってるんで・・・。少し触れてもいいですか?」と聞くと、利用者さんも不思議そ うに「はい」とお答えになったので、遠慮なく頭に触れました。 数秒程度でしたでしょうか、「え、先生。痺れなくなってます」と。「どういうことです か?」と聞かれたので、「こういうこともあります」とその場は適当に答えましたが、内 心なんじゃこれです。 そんな体験が山ほど起こるようになったのは、この体験が入り口でした。 あの時の現象のカラクリは今でも分かりません。そして、それは分かるわけがないのです。 俗な言い方をすれば、あの時、あの関係において生じた互いの反応だったわけです。 こうした体験の積み重ねが、私に「触れる」とは?「関わる」とは?「人」とは?「生命」 とは?と様々な疑問を与えてくれたんですね。 そして、それらに回答する過程を「考える」というのであると初めて分かりました。

君はこの本を読みなさい

この頃、私の臨床の場は訪問でした。 訪問先の利用者さんとは本当にいろんな話題で会話をします。 その中で、「君はこの本を読みなさい」といろんな方から本を紹介されました。 紹介された本は全て読みました。 中でも精神科医の神田橋條治先生、文学者の小林秀雄氏の書籍は私に多大な影響を与えて くれました。 今思えば「この本を読みなさい」と言ってもらえたのは、利用者さんが私の人生に触れて いてくれたからでしょう。また逆に私も彼らの人生の中に入り込んだからこそ、紹介して もらえたのでしょう。 利用者さんも影響を受けた書籍を話題にして、あれこれと重ねた雑談は本当に楽しいもの でした。 このお二方の書籍から、「こころ」というものを深く考えるようになり、「感性」の深化 や個別性というテーマが私に与えられました。 そこから万葉集を読んだり、芸術に触れたりしていったわけです。 不思議なことですが、万葉集を読むと「触れる感覚」が変わるんですね。 考えてみれば当たり前ですが、俳句や短歌は心を謳っているわけですね。それに触れると いうのは、頭で解釈するのではなく、こちらも自身の感性で応じるわけです。 面白い話があります。 松尾芭蕉の有名な句で「古池や 蛙飛び込む 水の音」というものがありますね。 この歌を日本人が聞くと一匹の蛙が飛び込む水の音が響き渡るほどに静寂な空間の美しさ を感じたり、あるいはまた静寂にもどる儚さを感じたりするわけです。 さて、これをアメリカ人が聞くと「で?」と言うそうです。それがどうした?ですね。 さらに中国人がこれを聞くと「それは鬱陶しいね」と言うそうです。あちらはウシガエル が鬱陶しいくらいに生息しているからですね。 つまり、松尾芭蕉が読んだこの句を「美しい」と感じるのは、日本人だから、と言うこと であり、こうした空間の静寂さ等に美しさを見いだす繊細な感性をもっていたのが、我々 の先祖であり、文化なわけですね。 だから、文学をはじめとした芸術に触れることで、自身の「感性」と言うものを客観視す ることができる。そう気づいたわけです。

「触れる」を狭くしているのは

我々は療法士という資格のもとに、人に合法的に触れられる仕事ともいえるでしょう。 当たり前ですが、電車の中で突然人に触れれば痴漢呼ばわりされますよね。 知り合いといえどもわけもわからずに体に触れられるのは抵抗があるわけです。 治療者ー患者関係というのは、そのハードルを簡単に乗り越えさせます。 しかし、それはあくまで生理的な次元ではなく、解釈としてです。 つまり、「この人は治療者だから、何かをしてもらうために触れてもいい」、あるいは「こ の人は患者だから、私が触れて何かする」という解釈の中で成立する関係であるというこ とです。 ここを皆さん、理解してますか? そうしたことを理解せずに、人に触れる、というのは本当に無神経で気持ちが悪いもので すよ。 その昔、いわゆる触診の勉強会に参加した時に、講師であった徒手療法では権威の先生の 触れ方がめちゃ気持ち悪かったんですね。確かに「狙った組織」には触れられているのか もしれませんが、「お前には触れられたくない」という気持ちが全開になりました。あれ は傑作でした。 療法士が学ぶのは、あくまで触診であり、「触れる」そのものを突っ込んで考えたことの ある人が少ない印象です。気持ち悪い手にいくら技術をつけてもベースが気持ち悪いので、 「上手に気持ち悪い」になります。なにそれ。 改めて人に触れるというのは、一体どういうことでしょうね。 今もよくわかりませんが、その考えの幅や深さは天と地ほど変化しました。 ある種永久に答えの出ない問いかもしれません。 それで良いのです。 答えを出すのではなく、問い方の質を高めていけば良いのです。 それを問うのは誰か。他ならぬ自分ですね。 つまり、「触れる」は自分自身の程度により、狭くも広くも、浅くも深くもなるというこ とです。 私は「理学療法士」という職を選んで本当に良かったと思っています。 この職を通して得た課題、出会った方々、生まれた問題意識、広がった考えの幅など色濃 い経験を山ほどさせてもらえました。 そして、自分自身の育て方が分かった今は、皆にも自分自身を育ててもらいたいと切に願っ ています。 医療従事者は少なからず「人の役に立ちたい」という幼心に決心をつけて道を選んだ方が 多いでしょう。 しかし、「人の役にたつ」というのは考えてみれば本当に難しいことです。ある言い方を すればおこがましいわけですね。 それぞれがそれぞれに生きる主体なわけです。その前提に基づいて「人の役に立つこと」 を私は常に考えています。まずは自分自身が生きる上で役に立つように、しっかり物事を 考え、感じ取り、そして表現する稽古をしていってください。 上記は、私の些細な臨床経験から、「触れる」ということをテーマにした道のりを振り返っ てみました。どう考えてどのように行動したか。 その決定の背景には、療法士になる以前の性格や行動パターンなどが反映していることも お分かりになられたかと思います。療法士以前の資質が療法士としての仕事に多大なる影 響を与えます。それは同じく患者も、病前、そして病との向き合い方などが症状や回復に 大きな影響を与えるわけです。 「その人を見よ」などと偉そうなことは言えません。「その人に触れた時は、本当に面白 いよ。みんな、その面白さ、分かってる?」とは大声で叫びたいです。

以上

約5年前に書いた文章です。
概ね考えていることは変わりませんが、まぁいろいろと考えてきたなと感心。現在は就労支援事業をやっていますが、いずれは何らかの形で医療現場との接点を持ちたい。
その間は出来る限り、「触れないことによる治癒効果」を検証していく所存であります。

上記文章に興味を持ってくださった方、ぜひ一度身に気づくワークショップにお越しくださいませ。

さて、本日はこの辺で途中下車したいと思います。
また次回!

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