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#13 おめでとう、いってらっしゃい!

どうも、おもさんです。

昨日、一人のスタッフさんがチャレンジラボを卒業しました。来週から初めての就労へ。色々と不安な気持ちもあるでしょうが、自身で決めた方向性に対して紆余曲折ありながらも進んでいった彼をこれからも微力ながら応援したいと思います。

現時点でのチャレンジラボの設計図

2022年8月に開所し、今回2人目の一般就労への移行者が出ました。
僕らは上記のような設計にしてますが、あくまでそれは「機会創出」というだけであり、それを求めてくれるスタッフ(利用者)がいて、それぞれの目的、状況等によっては、雇用されての就労につなぐだけが事業目的ではないと思っています。しかしながら、その結論に達するにはそれ相応の試行錯誤があり、そして利用者や世間との対話が必要だと思っています。
どんな時でも「やれるだけやる」
それをしないでの目的変更や曖昧化は結局、僕らの社会的立ち位置を曖昧にすることと同じです。
うまく行く、行かないに関わらず、やれることをやっていく。
その中で自身の実力や受け入れの幅を広げていきたいと思っています。

「信用したいけど、信用できない」

今回、卒業して行く彼とはまぁ色々ありました。笑
5月末で卒業して行くことは3月の段階では決まっていたので、これからに向けてということを職員皆意識していた。
ただこれから環境が変わって行くことに対して、期待と不安があるのは容易に想像がつく。最後の最後に一悶着あり、その後の面談の際に「皆がいいことをしてくれようとするのはわかる。でも、自分は優しくされたかった」「仕事として接している以上、友達でも仲間でもない人を信用するのは間違っていたと思う」というような言葉をもらった。

もちろん、それだけで彼の言わんとすることは分からないし、腑に落ちない。であれば、自身はどこに向かって進んできたというのか。そのプロセスに自身の成長があるのにどう捉えているのか。
進んでみて、考え方が変わる。あるいは、違ったなと見切りをつける。
そういったことは普通のことだ。裏切りでもなんでもない。
ただその過程を台無しにするような言葉を持てば、それは他ならぬ自分自身への冒涜だ。そこについては容赦しない。
なぜ? それを信用と呼ぶと思うからである。

彼とは信用するということについて。それと必要との違いについて。優しさとは何なのか。色んなことを経験や思索の結果を伝えて、対話した。

信用するということは、あくまで自己責任だ。
他者に対して信用する、しないというのは、そもそもで言えば自身にとって都合の悪いものを信用するってことはしないだろう。だから、傾向として自身にとって都合の良いものを信用する。しかしながら、人は常に立体的だ。自分の見ている一面はその立体のたった一面に過ぎない。その一面を取り上げて信用するしないというのは、「信用」という言葉の価値を自ら下げるに他ならない。

彼に「人のことを信用したいのか、したくないのか」はどっち?と問うた。
そこで彼が発した言葉が「信用したいけど、信用できない」だった。涙も付随していた。
ここに彼の苦悩とその背景にある感性、色んなものが読み取れた。

それから、私自身のエピソードを話すと、彼も幼少期の現在の心情につながるような経験を語ってくれた。
そして、その時の気持ちを一緒に言語化した。

過去に由来する原因らしきものは、過去に戻って清算することはできない。
つまるところ、今からどうするか、しかない。
ただそのことを当事者も内心わかっている。そこに正論を押し付けても仕方ない。

であれば、一緒に過去の自分にエールを送りに行くのも一興ではないか。
めんどくさい?
ならば、いますぐその立場を捨てろや。

少なからずの不幸の上に立脚した商売

これは医療・介護現場からも念頭に置いていたことである。療法士として対峙する相手というのは、病であったり、怪我であったり、本人が望まぬ状態に陥った人である。出来れば会いたくない職種。そのうちの一つだろうと思っていた。福祉も同じだ。出来れば就労支援なんてものを受けなくても、仕事ができるならその方がいいと思っとる人もごまんといるだろう。クローズドでの就労なんかもそうだろう。

であればだ。であれば、自分はどういう立ち位置でその仕事につこうと思っとるんかだ。
そこのスタンスの取り方が曖昧な状態で、取り組んでいる方法や事業そのものが良いことだと勘違いせんほうがいい。

辛気臭くいっても仕方ない。どうせなら笑い飛ばせる強さを。

とはいえ、真面目な人ほど自身の無力さに嘆く。そうなっては仕事にならない。当たり前だが、自分は相手の代わりにはなれない。相手の人生のベクトルを直接曲げることもできない。どこまでいってもそんなもんだ。
であれば、少し落ち込んでいるであろう相手にどのようなスタンスで臨むかだ。
福祉という話でいったが、それはどんな仕事も同じだろう。
困りごとを解決するか、新しい未来を提案するかだ。

その時に、相手からみて自分は一体どんな人間に映っているのだろうか。
そこをなぜ真剣に考えないのか。
そして、大したこともない知識や経験を盾にしようとするのか。

向き合うということに方法はいらんやろう。
常に無力さを感じて、前に進まんとね。


昨日、彼は「これまで強くなりたいとか色んな言葉を持ってきたけど、自分らしく生きたいということに落ち着きました」と話してくれた。
彼らしいワードだ。それを今、僕がとやかくいうことではない。考えたことのまま、進んで欲しいと思う。

それがもし違ったとして、「あ、あの時はなんかおかしなこと言ってた」と互いに笑える関係になろうではないか。

これから頑張っていく彼に負けんように、こちらも頑張ろうと思った次第である。

ありがとう!いってらっしゃい!

態度と顔がでかいので、彼より後ろで映った謙虚な尾森をお楽しみください


本日はこの辺で途中下車したいと思います。
では、また!







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