時代に適応させるべきか否か、という問題の是非。それはそうとして若いジジイはカッコイイ<すがやみつる作『ゲームセンターあらし 炎のベストセレクション 1』>
時代とともに価値観は変わる。「笑えること」として許せていたものが「笑えないもの」となることもままある。いわゆる「古き良き」なんて枕言葉をつける類のものは大概一般的に「笑えないもの」になってしまったものであろう(雑にくくってる自覚はある。すまん)。
***もうちょっとこの価値観に関する話が続くけど、最終言いたい内容には全然関係ないです。***
作家が作品を「殺さない」自由
人により是非もあろうし、その是非を断じることがしたいわけではない。
僕の意見としては、出版物におけるこの手の問題に限れば、「配慮」を考えるのは編集者でいいと思っている。編集者が、会社が、「これを発行した私達が批判を受け止める」と明言し、実際に作家が守られる必要はあると思う。守れないなら作家に言って内容を変更させるべきだ。作家は、出版社が日和るような表現物であれば個人で世に出せばいい。今の時代、手法はいくらでもある。
そうなったとき、版権を持つ企業の意識改革も同時に必要になってくる。これは、現代にそぐうリテラシーを教育すること。も、無論そうなのだが、それ以上に必要に思うことがある。
「自身の企業で育てる気のないコンテンツを作家に帰属させること(手放すこと)」
である。
特に、赤松健さんや佐藤秀峰さんなどは、自身の事以上に「作家の権利」の為の活動を精力的にしているように見える。
どういった契約の形になっているのか詳しく調べていないのだが、『天体戦士サンレッド』は自費出版のKindle版が発売されている。作家自身が、過去の作品をより多くの読者に届けたいと考えた結果であろう。自身の裁量でスケールさせたいという思惑もあるのかもしれない。どちらにせよ、既に企業の中で精力的に動いてもらえないコンテンツを、自身の手で盛り上げに行く。これは新しいスタンダードになるのではないかと思った。
これを法律で整備すべきか、企業倫理の風潮で済ますべきか僕にはわからない。ただ、「コンテンツを飼い殺す」企業が文化的に悪であるという流れは確実に来ている。10年後、もしかしたら5年後、コンテンツの形は大きく変化しているだろう。その時、著作権や版権は大きな問題になる。
正直、現行法では親告罪だったり、司法の「判断次第」な部分が多すぎる。専門家ですら「違反になる可能性が高い」などの曖昧な表現を多用せざるを得ないのが現状だ。
アメリカでは浸透している「フェアユース」の考え方も、日本の法律では適用されない。アメリカに統一せよということではないが、古臭くなってしまっている部分を判例などでごまかさず、現代に即した形にする必要はあるだろう。あえてグレーを残すことは重要だが、そのためにグレーではいけない部分まで犠牲になっているように思えてならない。
専門家じゃないから的はずれなこと言ってても許してほしい。詳しい人いたらこっそり教えて。
若いジジイはカッコイイ
話がすごく脱線に脱線を重ねてわけわからんぼるぎーにな方向に進んでしまったが、本書で僕が感じたことは、止まってないジジイはカッコイイということだ。
読者が本書(ないし雑誌掲載)に求める「ノスタルジー」を理解し、大人の事情をはさみつつも、ギリギリのラインで当時を再現する。感覚が衰えていないのか、編集者が優秀だったのか、この判断は間違いなく正しい(YouTuberの差し込みが作家からの要望なのでなかったら、完全に滑っている感じはするが……)。
すがやみつる氏は御年70歳。手塚治虫や藤子・F・不二雄、石ノ森章太郎と同じ時代を生きた漫画家だ。キャリアプランに対する考え方が怜悧なのか、漫画作品を作り続けることだけでなく、様々な仕事をこなしてらっしゃるようだ。本書によれば、54歳で大学に入り、60歳で大学院卒業、現在は大学教授だという。描き下ろしの漫画も全てiPadで描かれたそうだ。
僕はこの手の話でいつもすぎやまこういちさんを思い出す。以前テレビのドキュメンタリーで拝見した姿を見て震えた。85歳オーバーにしてドラクエの若手スタッフと同じ目線で、同僚として仕事をしていたのだ。この感情はおそらく、憧れ、だと思う。
要するに、今回の記事いつも以上にまとまりがないんだけど。僕が言いたいのは、「若いジジイはカッコイイ」ってこと。
一言コメント
酒を飲みたいのではなく、居酒屋に行きたい。