戯曲 見つめ

この戯曲はさまざまな人々に助けなしでは書き上げられませんでした。改めて関わっていただけた人々に感謝申し上げます。

なおこの戯曲についてはコメントの方で、或いはDMで連絡いただければと思います。

『見つめ』
ドラマトゥルク 金井 朱里
作 山鼻涼

登場人物

ミル:ケイの妹、ハルの友人、Mの友人
ユウ:ケイの後輩、ハルの先輩、Mの友人
§1 アバン

ミル:世の中で自爆テロが起こった。テロリストが三人の若者の電脳を乗っ取り彼らを自爆させた。その三人とは私の近辺の人間である。結論から述べるのであれば、私は失った。多くのものを失った。奪われていったのか、勝手に消えていったのかはわからないが、兎にも角にも失った。その時世の中は怖かった。難民排斥運動が起こり、他者は他者としてしか存在しなかった。或いは緩やかな同一の概念で包摂されて、笑い合っている何かの器官のようにもあった。そんなふうな世の中で私は他者と出会った。


兄ケイは死んだ。兄は自爆した。自爆させられたというべきだしそんな風にして死んでいった。死体は消し飛んだ。彼のチタン殻と半導体に包まれた脳みそは何を考えていたのかは知るよしもない。彼は弱者を守りたかったと言う。しかしガラスビルの前で、自身の自爆で多くの人間を殺してしまった。
知り得ない。もちろん話を聞けばわかるのかもしれないのだが、きっとそういうことではない。


親友ハルは死んだ。彼女は自爆した。自爆させられたというべきだ。そんな風にして死んでいった。死体は消し飛んだ。彼女のチタン殻と半導体に包まれた脳みそは何を考えて死んでいったのかは知るよしもない。彼女は私が知らないところを持っていた。でもそれでよかった。国会前で彼女が死んだ意味は私には分からないのだけれども、知らなくていい。友人としての彼女を知ってればそれでいい。
知り得ない。もちろん話を聞けばわかるのかもしれないのだが、きっとそういうことではない。


先輩ユウは生きている。生き延びた。いや、死に損なったのかもしれない。二人の死ぬ場面を見てた。二人を乗っ取った人間と話してた。いや、正確には乗っ取られた二人と話していた。この人が何を考えているのか、何に傷ついてきたのかは多分想像がつく。でも知らない。
知り得ない。もちろん話を聞けばわかるのかもしれないのだが、きっとそういうことではない。


夢想家Mは死んだ。消えていった。乗っ取ったやつと一つになって海に消えていった。でもきっとネットの中でみんなと緩やかに一つになっている。海の中をたゆたう藻屑のように。ふわふわと浮かんでいる。そしてたまに氷になる。塩の味がする氷だ。奇妙でよく知らないやつだ。
知り得ない。もちろん話を聞けばわかるのかもしれないのだが、きっとそういうことではない。


●●●(アイツ)は二人を乗っ取り、殺して、一人と一つになって消えていった。何を思って何をして、やつの考えはわからない。
知りたくもない。ただそれで何が見えるのだろうか。いや見えなくていい。消えてくれ。


私は生きている。いろんなものを失って、いろんな他者を失って、生きている。自分が無くしたものでもないのだから、他者に奪われたか、勝手に消えて行ったかだ。そのことで頭はいっぱいだ。


ユウ:みんな消えていった。望んでそうなったのか、或いはそうではなくて引っ張られて消えていったのかはわからない。知りたいが、わかり得ない。けれどもそんな風に消えていったのであれば、そこにはなんらかの理由があるはずだ。そう思う。


先輩ケイは死んだ。彼は僕の知るところでは警察官だった。自爆させられた。操られていた。自身の勤める内務省の目の前で爆死していった。あたり一面の人を巻き込んで。朝、出掛けに会って、珍しく走ってた。何にもこちらに話しかけないでー昔から話しかけてくれるのだけれどもー走っていった。チャリで内務省を遠目に通った。一際目立つ大柄な男が爆発した。あたりはビルディングのガラスと、爆片で血まみれだった。後で聞いたがあれはケイだった。


後輩ハルは死んだ。彼女は難民支援に尽力する活動家だった。自爆させられた。操られていた。たった一人国会前で爆死した。その直前に彼女と喫茶店で会った。ケイのことを思い出し、怖くなって遠目からつけていた。最悪なことに爆死した。幸い周辺には人はいなかったのでフェンスと、彼女の肉体が吹き飛んだだけだった。あれはハルだった。


後輩のミルは生きている。兄と友人を殺された。宙吊りの最中で生きているのだろうか。●●●を憎んでいる、きっと。でもその憎しみがどのような質量を持ち、どのような質感なのかは絶対に僕は知り得ない。

変革家Mは死んだ。消えていった。●●●と一緒に死んでいった。いや、きっとネットのなかで浮かんでいる。互いを薄皮で区別して、互いの液体は行き来するようなそういう場所にきっといる。他者を受け付けなかった●●●と一つになり、そして他の人間ともきっと緩やかに一つになるのだと思う。

●●●は消えた。Mと一緒に消えていった。ケイもハルもMも僕の前で死んでいった。でもそんな風に殺したのはそして死んでいったのはこいつだ。憎いのはもちろんだ。ただ三人がどんな思いで死んでいったのかということは知りたい。三人が死ななきゃいけないことにはなんらの必然性はなかった。不条理でもある。でもそういうことを言いたいんじゃない、こいつはどんな他者を、三人を見たのだろうか。

僕は生きている。生かされているのか、生き抜いているのかは知らないが、生きている。三人は何を思って死んでいったんだろうか。その知り得ないことを、骨を拾う代わりに、というわけではないが、見ていたい。


それぞれ生きていたら何をこの場で書くんだろうか。どんな手つきで。それは分からない。死んでいるのもそうだし。生きていても想像だにできないだろう。それでもということだ。

§2 儀式

ミルとユウは互いに向き合っている。椅子に座っている。

ミル:何も、誰についても話したくない。話す気持ちもないということだし、必要もない。

ユウ:僕らは彼らについて話す必要があると思う。僕はケイとハルをそしてMと●●●を。君はMと●●●の死に様を見ただろう。あの、3つの早朝に、死んでいった人間のこと。その三人の存在を、僕たちは忘れちゃいけない。存在させ続けなくちゃいけない。

ミル:話したくないの。嫌なの、怖いの。なんでそんなこと思い出させるの。いっそ時を戻して、なかったことにしたいくらいなのに。

ユウ:僕らはどちらも、三人の骨も拾えなかった。その場にいたのにだ。これはせめてもの儀式だよ。

ミル:意味わかんない。こんなに傷ついているのになんでまた傷つかなきゃいけないの。

ユウ:傷ついているからこそだ。今はまだ肉が裂けて、骨も割れている。ただそのうちきっと塞がる。きっとそうだ。

ミル:なんでそんなこと分かるのよ。こんなに辛いの、さみしいの。これがどうやって埋まるのよ。あんたと私じゃ受けているものは違うのよ。

ユウ:でも傷は傷だ。死んでるわけじゃない。どんなに致命傷だろうと、後遺症が残ろうと、塞がる、塞がってしまう。今この瞬間にも三人は僕たちの中から消えていってしまっている。僕はその方がよっぽど怖いし、悲しい。君もそうじゃないのか。これは三人への弔いだ。

ミル:できないって言ってるでしょ。弔いとか儀式とか忘れるとか今はどうでもいいの。何にも考えたくないの。そんなことくらい分かってよ。

ユウ:言葉にしなきゃ、いずれ本当に僕らが知ってる三人は消えてしまう。

ミル:もういい、帰る。二度と、顔も見たくない。

ユウ:ここで待ってる、朝も夜も。

ミルはユウを一瞥し、その場を立ち去る。


§3 盲目
ユウはパソコンや、ノート、或いはスケッチブックなどさまざまな記録或いは表現媒体を机の上に広げている。

ユウ:僕から見たケイは先輩だった。どんな先輩だったのか。デカくて、正義感あふれる人間、と言えるのではないか。これは美化しているようにも思う。大学を卒業してからは警察官になり、内務省の公安部で勤める。そんな経歴はその通りのものであったのだ。しかしケイは殺された。●●●と言うハッカーに操られて殺された。自身の理想を自身で裏切る形で。皮肉な死に方だ。皮肉?誰に対してだ。彼の因果応報なのではない。そんな話はどうでもいい。彼とは誰なのか、それが本題だ。どのようにして死んでいったのか。私は遠くから彼を見ていた。というか彼が爆死するその瞬間はまだ、爆死した大男が彼だという風には知らなかったのだ。そのやけに目立つ男は遠くからだったからよく分からないが、おそらくそんなに不自然なようには見えなかった。でもそのようにして、彼はいきなり吹き飛んだのである。その時に何を考えていたのかは推測でしか話せない、これは当たり前だ。しかし、その時ケイは●●●とともにその身体にいたのか。彼と●●●はどういう存在だったんだ。でも彼は彼だ。彼は操られてたんだ。●●●と彼は関係ない、関係なくはない。だって同じところにいたのだから。彼は●●●と共犯なのか。違う!!それは違う。彼は彼だ。それ以外の何者でもない。しかし考えなくてはならないだろう。そのことを抜きにするのならば、彼のあの死にゆく瞬間はどうなる。ないものにされてしまうのか。●●●の人形として存在していたことになるのか。(この先しばらく続く、けれども今はすこし中断。このままユウはいつしか力尽き、そのまま突っ伏して夜を明かす。)


§4 傷の行方

ミルは寝転がりながら

ミル:本当に兄さんもハルもMも死んじゃったんだ。

歩き出す

ミル:みんな突然消えちゃった。これからどうすればいいの?何も分からない。何にも考えたくない。

歩く

ミル:私も死ぬ?

立ち止まる

ミル:いいかもしれない。いや、いやだ、死にたくない。まだ死ねない。でも、どうしよう。

ミル:分からない。分からない、何にもわかんない!

ミル:この先なんて分からない。今もわからない!

ミルは走る、どこかに曲がった鉄砲玉のように走り、当たっては跳弾する。

ミル:わかんないの!わかんないということもわかんないの。何にもわかりたくないの!!

そのうち疲れてうずくまる。

ミル:何にもわからないの。

そのまま寝てしまう。


§5 慰めを求めて

ミル:いつものように、といういつもはもう失われた。そんなことに気が付かないように生きていくことは一体どんな生き方なんだろうか。もう疲れた。他者がいて、その他者が奪われて、消えてその中を空風が通る。そうなるのであればもういっそのこと、その欠落した部分は初めからなかったようにして生きていけないだろうか。

ミル:そう思って私はなんの違和感もなくこの現実を受け止めようとした。なんの違和感もなくこの現実に生きて、そして未来を見ることをしようと思った。失われた「いつも」なのではなく、目の前に流れ続けるこの光景にとって自然な私であることに努めようと思った。私は三人を日常からそのまま、なかったことにすることにした。

ミル:朝起きて、母さんと話しながらご飯を食べて、いってきますって言って学校に行く。学校に行ったら友達と話して、勉強をそれなりにやって、たまには帰りに遊んで家に向かう。うん、なんだか問題なさそうな気がする。なんとか私は現実に生きていけそうな気がした。


ミル:頑張って生きていた日常には、いつしか頑張りは不要になった。全てが元に戻ったわけではない。


ミル:どうにか生きていけていたのだけれども、なんだか時々、漠然と不安になる。

ミル:その不安について、最初はまだどういうことかわからなかった。けれども段々と累積して、澱みたいに沈んでいった。ある時ふとした勢いからユウに会いに行こうと思った。理由はよくわからない。何か慰めて欲しかったのかもしれない。


ミルはユウの元へ行く、あたりは暗くなりかけている。

ユウの姿はどこにもない。ただ席の周りには多くの絵画が飾られている。ミルは驚いた様子でユウを探す。少ししたらユウが入ってくる。

ミル:朝も夜も待ってるって言ったじゃない。

ユウ:いや、少し外してた。

ミル:嘘つき。

ユウ:ごめん。

ミル:どっかに消えちゃったのかと思った。

ミルはあたりを眺める。

ミル:このいっぱいの絵はどうしたの。

ユウ:ここのところ描き続けていて、その増えたものをマスターに買ってもらって、それがこれら。

ミル:ふぅん、なんでこんなに増えたの。

ユウ:自分の言葉を信用できなくなっちゃったからかな。

ミル:え。

ユウ:ケイとかハルとかMとかのことを考えてたんだ。けれども自分で言葉を紡げば紡ぐほどその存在から遠くなっていってしまう。

ユウ:だから言葉から離れてしまった。でも見続けることはやめたくないから。

そう言ってユウはミルに座るように促し、自身もミルの正面に座る。ユウはペンをとり、メモ書きのような紙に向き合う。ずっと動かない。

ミル:そう言ってまた文字を書くんだ。ちぐはぐ。

ユウ:ここしばらくずっと書けていないよ。一文字も。

ミル:じゃあ、やめてしまえばいいのに。

ユウ:絵画よりも、文字で残したいんだ。人間の存在が、より明晰に残るように。

ミルがある絵を指差す。

ミル:綺麗だね。これは何を描いたの。

ユウ:これはケイが最後に見たであろう内務省のガラスビルだよ。

ミルはまた違う絵を指す。

ユウ:ハルが最後、僕と喫茶店で飲んだコーヒーカップ。

また違う絵を指す。

ユウ:沈んでくMと●●●から見た朝日に照らされた水面。

ユウ:どれもいやに綺麗だ。


一呼吸おいて話す

ミル:なんでユウは、そんなに、わざわざ傷つくの。

ユウ:それが儀式だから。

ミル:その儀式って必要なの。

ユウ:うん、僕にとっては。

ミル:なんでさ。

ユウ:理由なんてないよ。儀式、儀礼だから。

ミル:儀式ってよく分かんないんだけれども、どういうこと。

ユウ:意味はないよ。ただの行為。少なくとも僕にとっては、そうしなきゃ三人の死に向き合えないんだ。

ミル:もっと楽になればいいのに、忘れてしまえばいいのに。

ユウ:でもミルは本当にそう思えるの。

ミル:え、どういうこと。

ユウ:だから、本当に忘れてしまえばいいのにって思えるの。

ミル:思おうとはしているよ。そうするしかないんだもの。

ユウ:じゃあ、なんでここに来たの。何かに違和感があるから、というわけではないの。

ミル:そんな風に決めつけないでよ。何がユウに分かるの。

ユウ:ごめん、でも僕ならそう思ってしまう。

ミル:少し、不安になって来たの。ほんの少しだけ不安になったの。

ユウ:何が不安なのさ。忘れ去りたいんだろうに。

ミル:分かんないけれども、ただ漠然と不安はあるの。ここにきてユウがいなかったのを見て怖かった。

ユウ:ミルが感じる不安がなんなのか僕には理解し得ない。僕はミルじゃないから。でも僕だったらということは言える。

ミル:三人を忘れることが怖いって言い出すの。

ユウ:わからない。そうかもしれない。

ユウ:もしかしたらミルは儀式なんてなくても生きていける、この傷に僕とは違うやり方で向き合っていけるのかもしれない。それは僕にはできないことだ。

ミル:それは私にはわからない。でも多分、慰めて欲しいの。このよくわからない不安とか、あるはずもない寂しさとかを慰めて欲しいの。

ユウ:傷を舐めあったってなんの意味もないよ。これは前を向くための行為だ。

ミル:綺麗事言わないでよ。

ユウ:え。

ミル:ユウの儀式だって私には自分を慰めるためって見える。

ミル:それってそんなにダメなことなの。

ユウ:話がずれてる。

ミル:ずれてない。

ミル:今わかったけれども、私が忘れようとしているのも慰めだよ。けれどもユウの儀式も同じく慰めなんだよ。

ミル:それをあたかも三人のためとか、前に進むためとかって言って綺麗事みたいに格好つけて、他人事のようにしないでよ。

ユウ:……

ミル:私も何言ってるのか分かんなくなっちゃうじゃん。なんか言ってよ。

ユウ:別に他人事じゃないよ。

ミル:なんで分かんないの!ユウは儀式だとか、前を向くとかそんなかっこいいこと言っているけれども、結局自分の傷と向き合って、慰められることでしょ。なんでそんなに他人事に、そんなに大義名分を背負ってやるのさ。

ミル:そんなもの取っ払ってなんでできないのさ。

ユウ:……

ミル:なんとか言ってよ。

ユウ:そうかもしれない。

ユウ:だから真っ直ぐな言葉が書けなかったのかもしれない。

ユウ:だから綺麗な絵しか描けなかったのかもしれない。

ユウ:慰めを求めて、かもしれない。

§6 ケイー痛みの想起ー

ユウ:何か飲み物頼む。

ミル:ミルクティーかな。

ユウ:ミルクティーと、ブレンドください。

ユウ:砂糖はどうする。

ミル:あ、付けて。

ユウ:ミルクティーには砂糖を、ブレンドはミルクもどっちもなしで。

ユウ:それでどうするの。

ミル:何が。

ユウ:ケイについて。

ミル:私もここにいていいの。

ユウ:僕にとってはそっちの方が助かるよ。

ミル:私の不安はそれで拭えるかな。

ユウ:わからない。前にも言ったけれども、僕はミルじゃないから。

ミル:でも拭えるかもしれない。

ユウ:わからない。でもそうかもしれない。

ミル:ユウにとって兄さんって、ケイってどんな人だったの。

ユウ:ケイは僕にとって先輩だった。高校とか大学とか、もちろんずっと先輩だったわけなんだけれども、ただもっとそれよりも昔から、今まで先輩だった。

ミル:もっと昔から今までってどういうこと。

ユウ:なんだろうか、兄貴分みたいな感じ、とは少し違うのだけれども、ずっと何かを見せてくれていた人だった。それは正義とか、そういう大きいものだった。

ミル:それをユウはどうしてたの。

ユウ:反発したり、受け入れたり、それは色々さ。ミルからしたらケイはどんな人間だったの。

ミル:まず兄さんだった。すごいデカくて、頭も良くて、そんな兄さんだった。大学の間は少し疎遠になった。私も中学生とかだったから。大学を出て警察官になった時は少し安心した。私の知っているケイのままだったから。

ユウ:そうなんだ。意外だった。仲良しに見えたからさ。そんなこともあったんだ。

ミル:うん。

ユウ:ケイとミルは何歳の開きがあるの。

ミル:7つくらい。

ユウ:そういえばそのくらいなんだ。ケイって昔から今みたいな人間だったの。僕は全部を知らないから。

ミル:私だって全部は知らない。でも昔はそんなに正義漢という感じじゃなかった。私のことをよくからかって遊んでいたし。母さんとは喧嘩していたし。高校くらいの時から今みたいな感じになっていたように思うよ。

ユウ:そっか、何かあったのかな。

ミル:知らない。部活とかで忙しかったし、勉強もあったし、そういう表面上のことしか私は知らなかった。でもいろんなことに腹を立てていたよ。

ユウ:どんなこと。例えば。

ミル:格差とか、差別とか。そういうことについて本を買い込んでいたよ。自身にも怒ってたのは、少し怖かった。

ユウ:そのことについてケイから話とかは聞いた。

ミル:何にもケイは話さなかったよ。

ユウ:そっか。

ユウ:ミルでもわからないところはあるのか。いや当たり前か。

ミル:うん、当たり前だよ。何、私がなんでも知っているとでも。

ユウ:ううん。けれども僕より知っているんだろうと思って。

ミル:私もユウも、誰も知らないところだってあるんだよ、ケイ自身にだってさ。

ユウ:でもそれは一人でいてはとても少ないところしか知れないんだ。ミルがいてやっぱりよかった。

ミル:話を戻そう。昔ケイはそんな人物だったなんて私たちは話せるほど昔を知らない。覚えてないのかもしれないけれども。

ユウ:じゃあ、ついこの間の話をしようか。ケイに最後に会ったのはいつ。

ミル:その日の早朝。朝、家の前で立っていた。ケイは特になんもしないでずっと立っていたんだ。私は不思議に思って玄関の外に出ていったの。そこで少し話した。

ユウ:どんな話をしたの。

ミル:夜勤明け?とか、着替え取りに来たの?とかそういうこと。でもケイは黙りこくって、突然私の目の前から走り去ったの。

ユウ:本当に何にも言わずに。

ミル:うん、何にも言わないで、顔の表情一つ変えずに。

ミル:ユウはいつ会ったの。

ユウ:僕は爆破の瞬間を除いて、同じ日に会ったよ。

ユウ:チャリに乗って、見かけたから、近づいておはようって言った。いつもなら何かしら返ってくるのに、その時はそのまま目だけよこして通って行ったんだ。

ミル:家から走って行ったあとかな。家の時点で●●●に乗っ取られていたのかな。

ユウ:多分そうだろうね。

ミル:じゃあ、私たちがあったのはケイなのかな。もう殺されて●●●の肉人形だったんじゃないかな。

ユウ:技術的な話をすると、それはないよ。電脳は生きていて、意識がなきゃ使えないから。

ユウ:僕とすれ違った時は自爆した内務省のビルの前に向かっていたのかな。

ミル:多分ね。

ミル:私たちが見た断片的なケイって誰と、その間考えていたんだろう。一人なのかな。

ユウ:●●●と話せるのかな。話したかったのかな。

ミル:私だったら話したくないよ。

ユウ:それは僕たちの考えじゃないか。

ミル:体を一方的に乗っ取るやつだよ。話したくないよ。

ユウ:でもそれは僕らの考えだ。

ミル:そんなこと言ったら何にも言えないじゃない。

ユウ:そう何にも言えないんだ、僕たちは。

ユウ:けれども、言えないんだけれども、何が言えるのか考え続けなくちゃいけないんだ。それが儀式だ。


コーヒーとミルクティーが届く。


ミル:あほくさい、けれどもそうなのかもしれない。

ミル:前にケイは「他者は理解できない、けれども弱者は守らなきゃいけない」ってどこかで書いていた気がする。

ユウ:それがケイの信条だとしたら何を、走っていくその最中、死んでいく刹那に思ったんだろうか。

ミル:無念、怒り、悲しさ。

ユウ:そうかもしれない。

ミル:でも本当にそうなのかということは分かり得ないわけだよね。

ユウ:うん。

ユウ:でもひょっとすると、少なくとも僕が慰めを、この傷と向き合うためには、忘れないということよりもむしろ、この分かり得なさから目を背けないことが必要なのかもしれない。

ミル:え、どういうこと。


ユウ:三人が死ぬ間際まで何を考え、何に触れていたのかという絶対に分かり得ないことを、自分の言葉で無理矢理落とし込むでもなく、拒絶するのでもなく、分かり得ないまま見つめ続けることが必要なんじゃないかと思って。

ミル:それってできるの。

ユウ:わからない。でもきっと大切なことだと思う。

ミル:そう、かもしれない。

ユウ:●●●はケイの体を乗っ取った。ケイは●●●に支配されていた。

ミル:そうね。

ユウ:ケイはその中で何を思ったのだろうか。

一呼吸置いて

ユウ:もしかしたらケイを考えるにあたって●●●について考えなきゃいけないんじゃないかということが、頭をよぎったんだ。

ミル:え、何言ってんの。●●●とケイは別人よ。同じはずないじゃない。同じはずないのになんでそんな●●●のことなんて考えなくちゃいけないのよ。意味がわからない。

ユウ:でもケイは自身の体を使われた。だったら、使い捨てた●●●についても目を向けなくちゃいけないんじゃないか。でも、それはきっと辛いことだ。

ミル:なんで慰めで、傷をえぐられなきゃいけないのよ。なんであんなやつについて考えなくちゃいけないのよ。どういうつもりなの。

ユウ:わかった、ケイのついては一度中断しよう。

二人は飲み物を飲む。


§7 痛みの引き受け

ミル:ハルとはどんな関係だったの。

ユウ:後輩、としか言えないな。

ミル:本当に。私から見たら付き合ってるようにも、よくわからない関係にも見えた。

ユウ:付き合ってはいなかったよ。

ミル:でも私が立ち入れないように見えた。

ユウ:別にそんなにプライベートな話も、閉じた話題もしているつもりじゃなかったけれども。

ミル:私から見たらそうだったよ。

ミル:二人の間では何を話していたの。

ユウ:ミルはどれくらい活動家としてのハルを知っているのかはわからないけれども、運動についての相談とか、話はよくしていたよ。あとは映画とか僕が描く絵の話とか。よく夜にこういうところで話し込んでた。

ミル:そうなんだ。活動家としてのハルを私はよく知らない。知る必要がないと思ってたの。だって私の目の前ではいつも友達としていてくれたから。それ以外のハルを知る必要がなかったの。

ユウ:ミルは特別だったのかもしれない。僕の目の前で友達だったことはなかった。

ミル:本当に。でも友達っていう形に全部まとまるのは少し悔しい気がする。

ユウ:なんで。

ミル:なんか全ての物事に薄皮一枚かぶさって聞こえるの。

ユウ:それはきっと悲観するべきことじゃないよ。

ミル:そうなのかな。

ユウ:うん、緩やかな名詞で互いの関係性を維持できるのはそう簡単なことじゃない。

ミル:え、それっていいことなの。

ユウ:決められたことしか言えない、相手と決められた役割でしか接せないよりはずっといいと思う。

ミル:そうかもしれなけれども…

ミル:ねえ、ユウってハルにとってなんだったの。

ユウ:多分その時々で色々変わってた。

ミル:例えば。

ユウ:例えば…相談役とか、雑談相手だとか、あとは論客とかそういう具合に。

ミル:いっぱいなんだね。

ユウ:うん、厳密だった。でも互いの確認はしたことなかったな。

ミル:もっと聞かせて。私の知らないハルのこと。知りたいの。

ユウ:それは僕も同じさ。ハルを見つめるために。

ミル:それじゃどっちから話す。

ユウ:そっちから。

ミル:私から? いいよ。

ミル:学校ではハルとはよく一緒にいたよ。よく笑う人だった。でも真剣で怖い時もあった。昼ごはんを一緒にいつも食べていたよ。おかずを交換する時もあれば、互いにお弁当を相手に作ってきたこともあった。おいしかったよ。でもそういう笑顔とは別に、分別のない私の物言いに怒る時があった。怖かったな。

ユウ:不愉快だった?

ミル:ううん。怖かったけれども、不愉快ではなかった。というより不思議だったし、嬉しかった。明確に違うところがあっても、そこを隠さないで近くにいてくれるのが嬉しかった。気をつけるようになった。

ユウ:やっぱり特別だよ、それ。

ミル:そうなのかな。

ミル:ユウの話も聞かせて。

ユウ:よくこういう喫茶店で僕たちは会っていた。大抵はハルの方から連絡があって呼び出される形だった。団体のSNSを見ると分かると思うんだけれども、その時、ハルは運動に行き詰まっていた、というよりやり方に悩んでいた。デモをこれからはやめるべきか。それよりももっと、社会的な署名とか草案提言だとか、募金だとかそういうことを戦略的にやっていくことの方に全て注ぐべきなんじゃないか、ということを悩んでいた。難民排斥運動が加速してきたころだ。身の危険などもあったんだろう。そこで僕に相談をしてきた。僕はこう答えた。「本質的に他者を考えた上で、そもそもの運動それ自体を見直してはどうだろうか」「難民に権利を与えればいいということだけで全てが解決するわけでもないだろう」って。この点において彼女と口論になった。「権利はもちろん大事だが、そのようなことのみでの包摂は単なる支配に他ならない」「そういう軽薄性に拍車がかかるのなら運動自体も見直すべきだ」ということを僕は彼女に伝えた。彼女は僕に対して、「現実を見ろ」、そう言われた。その場は喧嘩別れみたいになった。

ミル:そんなことハル言うんだ。本当に知らなかった。

ユウ:その時僕は論客、というかおそらく相談相手だったと思う。

ミル:ユウが話す時、自分のことやっぱり多いよね。ハルの話に対してさ。もっとハルが言っていたことを詳しく教えてよ。

ユウ:そうかもしれない。ごめん。少し思い出すよ。

ユウ:確かハルはこう言っていた。
「ユウがそういうことを言えるのは難民について実感を持って知らないからだ」

ミル:うん。

ユウ:それで
「彼らがどうやって暮らしているのか見たことある?」
「ほとんど奴隷みたいな暮らしさ」
「現実を見ていないのはユウの方だ。現実を見なよ。」
「あんたがそうやって描いてきた絵や言葉はこの世界を何にも変えてこなかった」
こう確か言っていた。

ユウ:その後も彼女はデモを続けていたよ。

少し黙り込み

ミル:ねえ、わからないことについて考えるということは、今みたいなところでは難しいように思うの。

ユウ:どういうこと。

ミル:今みたいに相手のことを言葉にしようとしているのに、気づかないうちに自分の言葉にしてしまうっていうこと。

ユウ:え、あ、本当だ。

ミル:無自覚だったの。

ユウ:ごめん。気をつけなきゃいけない。できるかは分からないけれども。

ミル:いい、続けてよ。

ユウ:うん、わかった。

ユウ:それでこの後に話したのがハルが自爆するその日の早朝だったんだ。その話、聞く?

ミル:うん、聞かせて。

ユウ:ハルが死ぬその日の早朝にいきなり呼び出された。僕は絵を描いていて徹夜していたからそのままいつもの喫茶店に向かった。彼女はこの間は喧嘩別れしたからさ、と言ってきた。僕は何にも考えずにモーニングを頼んだ。そうして話が始まった。彼女の運動についての話からまた始まった。彼女曰くこれからもデモを続けるということにしたそうだ。僕は彼女の決断になんの疑義も持たなかった。なぜなら彼女にも理由があることを改めて前回教えてもらったからだ。

けれども僕の考えもやはり誤解なく伝えておきたかった。これはエゴだったかもしれない。だが伝えた。

僕はいつも使っているスケッチブックと木炭を取り出し、僕が木炭を右手で握った。その右手をハルに左手でとらせた。そして僕の手で紙に線を引いてもらった。そうして今度はハルに木炭を握ってもらった。そうやって一枚の絵が仕上がった。

なんでこんな線をこの人は引くんだろう、そういう思いがハルが描いていたときはあった。でもこの線には言葉にできないようなものがあるんだろうか。きっとあるんだろう。それはなんだろうか、こういうことが他者の本質なんじゃないか、そうハルには伝えた。

去り際、ハルは「やっぱり私のような人間はまだ存在し続けるべき、ということが分かった。」と言い残していった。


僕も店を出た。でも少し、店でのハルの振る舞いがあまりにもいつもと違っていて、ハルを追いかけていた。そしたら国会前で自爆した。


ミル:それがことの顛末。

ユウ:うん。

ミル:ケイと同じくそのときには乗っ取られていたのかな。

ユウ:多分ね。

ミル:じゃあ、●●●とユウは絵を描いていたわけ。

ユウ:正確に言えば僕とハルと●●●だよ。

ミル:おかしいって気づかなかったの。

ユウ:ごめん、気づけなかった。そこにいたのがミルだったら気がついたのかもしれない。

ミル:なんで気がつかなかったのさ。

ユウ:ハルのことを理解していると思ったことはこれまでもなかった。だからいつもと様子が違うとは思えても、変だとは思えなかった。

ミル:でも店を出たあと、後ろを追っていったんでしょ。

ユウ:う、うん。

ミル:本当に何考えていたんだろ。

ユウ:絵を描いたとき、僕は●●●とハルのどちらのものかわからない、僕からしたら区別することができない他者性に触れていた。でもハルは●●●に体を乗っ取られていたから、おそらくは、可能性の話かもしれないけれども●●●の他者性なのかもしれない。ただその時にハルは何を思っていたんだろうか。そもそもハルと●●●は明確に分離していたんだろうか。電脳を支配されても感覚は残る。

ミル:そっか、やっぱり考えるの。

ユウ:うん、やっぱり●●●について考えなくちゃケイとかハルとかについては考えられないんじゃないかと思う。きっとそうしなきゃさっきのミルの指摘みたいに自分の言葉で侵略しちゃうと思うんだ。

ユウ:この先ここに残るかはミルが決めて。

ミル:なんでユウはそんなこと話すの。

ユウ:自分自身を慰めるため、安らぐためだよ。でもミルは別の方法でもできるかもしれない。それにこれは痛みが伴う。

ミル:私はずっと三人のことを忘れようと思ってたの。でも多分ね、それは本音じゃなくてきっと忘れかけた時に何かしら痛くない形で自分の中に落とし込めるんじゃないかって思ってた。少なくとも今私はそう思ってしまう。でもそれは自分の言葉で三人を、他者を書き直すことなんだと同時に思う。だから。

ミル:ただのユウの錯覚とか空想、理想に過ぎないのかもしれないけれども、少し見てみたくなったの。それは痛みをまた受けても。


§8 ハルー不可解と戯れー

ユウ:何がハルで何が●●●なのか。区別はさっき言ったようにできない。だからこそ●●●とも向き合わなくちゃいけない。つまるところ、なんで●●●が自爆テロをさせたのかということにもだ。

ミル:なんでって、理由なんてあるの。

ユウ:何かしらあるんだと思う。それが僕たちにとって正義ではなくとも。狂人にだって内的論理はあるし、感性はあるよ。

ミル:どうやってそれを見つめるのさ。今は何にもわからない状態で、なんだったら、わかりたくもない状態だよ。

ユウ:ハルと話していた時のことを思い出す。そこを頼りにするよ。

思い出しながら訥々と朧げに口述される。

ユウ:確かこんなこんな会話だった。
「おはよう。こんな朝からどうしたの。」

ハル:「別に何にも。ただこの前は喧嘩別れになってしまったから。」

「僕としては特に喧嘩しているつもりもなかったんだけれども。ハルに言われたことはその通りだったとも思う。」

ハル:「そう、それは少し意外だった。腹を立てたのかと思ってた。」

「悪い、話の前に徹夜だったから朝ごはんを頼んでもいいかな……ありがとう。」

「腹を立てたのかということだったけれども、いや、ああいうことを言ってくれる人が周りにいてくれて助かったよ。」

ハル:「徹夜って油絵?」

「うん、そんなことより結局デモとかはどうなったの。」

ハル:「やるよ。」


ハル:「繰り返すようだけれども難民の権利を求める時に、ただ今の政治家みたいに座って書類を作っているだけじゃダメだと思ったんだ。生身の意思を私は大事にしたい。」

「そう」

ハル:「批判しないの。」

「しないよ、納得はしないけれどもね。」

ハル:「そう。」

ユウ:大体こんな会話をしていたかな。


ミル:その記憶本当に信用できるの。

ユウ:正直に言って信用できないと思う。記憶はとても曖昧なものだし、都合がいいものだ。けれども今話したものは記憶の通りだ。記憶は信頼できなくても、今話した僕は信頼して欲しい。

ミル:もう他に手段はないのだから信用する他ないじゃない。

ユウ:ありがと。

ミル:別に、それでその続きは。

ユウ:ここから先はあの実験の話だ。

ミル:あの絵を描く話。

ユウ:うん。始めるね。

「それで僕の方はこの間、他者についてうまく伝えられなかったことについて、伝えたいんだ。」

ハル:「というと?」

「他者を本質的に考えることについて。」

ハル:「いいよ。」

「ちょっと付き合って。」

ユウ:僕は正面に座っていたからスケッチブックといつも使ってる木炭を持ってハルの隣にこの時移動した。そしてさっきも言ったように僕の木炭を握った僕の右手を彼女の左手にとらせた。そして線を引かせた。

「僕だったらこんな線はやはり引けないな。」

ハル:「それは文句?」

「いや、そうではなくて、なんか理解し難いようなものを感じる。」

ハル:「何それ。」

「次、交代してみればわかるよ、きっと。」

ハル「交代、私の腕で描いてみて。」

「了解。」

ハル「何これ、こんなゆるくやっても木炭って色つくんだ。」

「むしろそうやって描くものだからね。」

ハル「変な線。細かったり、太かったり。」

「ハルはこんな線を引く気になる?」

ハル「多分引かない。好みが違うんだと思う。」

「その好みってどこから来るんだろう。」

ハル「それは育った環境じゃないかな。」

「それはそうだろうけれども、それって明晰に言えるのかな。多分無意識下での話なんだと思う。」

ハル「かもね、精神分析とかの話なのかな。」

「多分ね。まぁ、きっと僕はわからないだろうと思う。」

「他者を本質的に考えるってこういうことなんじゃないかと僕は思うんだ。」

ハル「どうだろうね。そうかも、とは言っておくよ。」

「ありがとう、このまま交代して描き進めようか。」


ユウ:こんな感じ。

ミル:どの言葉と動きがハルなのか●●●なのか本当にわからないね。

ユウ:全部ハルなのかもしれないし、全部●●●なのかもしれない。

ミル:それってハルとさ、●●●をもう分けれないってこと。

ユウ:そう言えると思うよ。

ミル:ユウは何を思ったの。絵を描いていてさ。

ユウ:何を思ったんだろう。最初、僕の手を握る力は弱かった。本当に弱々しく握っていたんだけれども、線を引くごとに力が強くなっていったんだ。段々と遠慮がなくなっていったのかはわからないけれども、僕が握り方とかで遊ぶ余地が段々となくなっていった。そこからは本当に何を考えているのか、ハルの顔を見ても分からなくなってきたんだ。その線からよく分からない物体的なものを感じるだけだった。

ミル:つまりどういうこと。

ユウ:分からない、ということを感じたんだ。

ミル:それだけ。

ユウ:うん。でもそれはすごい複雑だった。

ユウ:ミルはさ、ハルと●●●が何を考えて、僕に手を預けていたんだと思う。

ミル:二人って言えるか分からないけれども、ユウに対しては同じく分からないって思ってたんじゃないかな。あ、でもその分からないことを面白がっていたのかもしれないね。

ユウ:面白がれるかな、普通。

ミル:でも興味を持たなきゃ普通は払い除けるよ。

§9 Mー甘えと不可能性ー


ミル:Mはユウからみてどんなふうに死んでいった。

ユウ:不思議な死に方だ。僕たちにはできなかったことをして、僕たちには思えないようなことを考えて、そうやって死んでいった。

ミル:本当にMは●●●を変えたんだと思う。

ユウ:変えたさ。●●●からみればメシアだったと思う。

ミル:Mの考えは正しかったの。

ユウ:分からないよ。でも繰り返すようだけれども、僕たちにはできなかったし、想像することもなかった。

ミル:そうね。

ユウ:ミルはそんな世界に憧れはないの。緩やかに他者とつながりつつも、個を失わずに済むそんな世界。

ミル:確かに優しい世界かもしれないね。こんなふうに二人して慰めを求めるよりも楽しそうな世界だ。

ユウ:僕らはそんな世界へなんて思えばいいんだろうか。

ミル:どういうこと。

ユウ:少なくとも僕には、三人を見つめるということは喪失を埋めるために、忘れないために必要だった。けれどもその慰めは、もっと大きいかもしれない痛みを伴うんだ。その痛みは知ってはいたけれども、思っていたよりずっと痛いんだ。

ミル:どんな痛みなの。

ユウ:三人の、考えていたことを見つめ続けるというのは矛盾した行為だ。三人について自分の言葉で語れば語るほど、その三人の思いを見つめるのではなく、侵食してしまう。逆に「分からない」ということを感じていると言ってもだめだ。

その二重拘束は辛いものだ。けれどもその辛さに耐えても、三人が消えないという保証がないことが一番痛いんだ。

ユウ:Mはそれとは別の世界を見せてくれた。その意味では僕は死に損なったのかもしれないし、Mは変革家だった。

ユウ:その憧れに対して僕はどうすればいい。


ミル:Mの言う言葉は確かに存在するかもしれない。けれども私たちは現実としてここに生きている。少なくとも私たちはこの世界に具体的で個別のものとしてしか、生きれない。その意味でMは夢想家だった。

ミル:ユウがそんなこと一番分かってるでしょ。ここで生きるための責任から逃げないで。そして私に甘えないで。

ユウ:甘えてないよ。

ミル:甘えてるよ。私に慰めを求めないで。優しい言葉を求めないで。

ミル:大体なんのために私がここで話しているのか忘れたの。ユウが三人をそのまま見つめるって言って、そのことに痛みに耐える価値があると思ってここにいるの。

ユウ:ごめん。

ミル:空も白んできたよ。話を続けよう。

ミル:ユウはどんなふうにMが死んでいっていったのか覚えている。

ユウ:海に沈んでいった。●●●の脳角を片手に。

ミル:Mは●●●と一緒になったんだよね。

ユウ:うん。Mは自由に話せていたようだし、ともに共存していた、そう言っていた。

ミル:何を話したんだろう。ユウも言っていたけれども、私たちは自爆を止めることはできなかった。

ユウ:きっと、僕が一瞬憧れたかもしれない世界を見せてあげたんだと思う。

ミル:●●●はその世界に魅せられていったのね。

ユウ:Mはいつも、こことは別の世界にも希望もあるのかもしれないと、僕と話すといつも言っている。鋼鉄の全身義体に包まれて、いつも言っていた。

ミル:でも私たちはそんな世界では生きていない。Mは生きているのかもしれないけれども、私たちは生きていかれない。

§10 宙吊りの二人

ミル:今夜私たちは何を話すことができた。

ユウ:三人について話した、とは言えないのかもしれない。

ミル:見つめることはできた?

ユウ:どうだろうか、見つめることの不可能性を感じた。

ミル:そうだろうね。

ユウ:ミルはどうだった。忘れること以外に慰められそう。

ミル:わかんない。

ユウ:そっか。

ミル:コーヒーか何か頼もう。もう空だよ。

ユウ:僕はミルクティーで。

ミル:私はブレンド。彼にはミルクティーで。

ミル:砂糖は。

ユウ:欲しい。

一呼吸置く

ミル:でもこれからどうするの。

ユウ:この傷と向き合わなければならないと思う。痛いけれども。

ミル:痛いんだ。

ユウ:痛いよ。

ミル:そっか。

ユウ:ミルは。どうするの。

ミル:今日話して見つめることにすこし、興味が出てきた。

ユウ:そっか。また話す?

ミル:たまにはね。互いの傷に向き合うために。

コーヒーとミルクティーが来る。

ミル:苦いね。

ユウ:うん、そしてこっちは甘ったるい。

ゆっくりと飲む。無言。

ミル:それじゃいくね。また。

ユウ:うん。

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