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夕暮れと一番星
冷たい木枯らしが頬を撫でる季節。街路樹の葉はほとんど落ち、空が高く澄み渡っている。大学生になって初めて迎える冬、私は一つの決断を迫られていた。
さくら:これでいいのかな…。
彼女は歩道橋の途中に立ち止まった。164cmの背丈に細い身体。肩にかかる黒髪が風に揺れる。眼下には渋滞する車の列があり、その赤いテールランプが夕暮れの空を彩るようだった。
彼女の名前は遠藤さくら。控えめな性格と清楚な佇まいが印象的な一般の大学生だ。周囲からは何度も「綺麗だね」と言われることがあるが、それを特別意識したことはない。ただ、どこか浮ついた言葉のように感じて、うまく受け入れられなかった。
彼女のそばに立つ男性、○○が口を開く。
○○:迷ってるの?
さくら:うん…。
○○:でもさ、何かを選ばないと、今のままじゃ何も変わらないよ。
その言葉に、さくらはふと彼を見つめた。○○は彼女の友人であり、今は少し特別な存在だ。優しさと冷静さを併せ持つ彼の性格に、さくらは何度も救われてきた。
二人が歩道橋の上にいる理由は単純だった。大学の帰り道、二つの道の分かれ目に立ったとき、どちらに進むべきかを選ぶのに、彼女は逡巡してしまった。
さくら:○○なら、どうする?
○○:俺だったら…そうだな。渡るかな。だって、こっちに立ち止まってても、見える景色は同じだし。
さくら:でも、渡った先で後悔するかもしれないよ。
○○:後悔するのは、たぶん渡らなかったときだよ。
さくらは彼の言葉を心の中で何度も反芻した。彼の言う通りだ。自分の中で、本当に望むことは何なのかを問い続ける毎日。それを恐れている自分もいた。
「歩道橋」という選択肢が、今の自分の人生そのもののように思えた。
彼女はふと、吹奏楽部に所属していた高校時代を思い出した。当時の彼女は自分の好きなことに打ち込むことができた。仲間たちと音楽を奏でる喜びに溢れていた。
でも、大学に入り、自由な時間が増えると、逆に自分が何をしたいのかが分からなくなってしまった。そして、○○と出会ったのだ。
○○は、いつもさくらを気にかけ、どんな小さな悩みも一緒に考えてくれる存在だった。
○○:さくら、俺、ずっと思ってたんだけどさ…。
○○の言葉に、さくらの心が跳ねた。
さくら:なに?
○○:君にはもっと、自分に自信を持ってほしいんだ。俺が見てるさくらは、すごく頑張ってるし、魅力的だよ。
彼の言葉は、胸にすとんと落ちた。彼女の中でずっと張り詰めていた何かが、解けていくようだった。
さくら:ありがとう…。
○○:さあ、行こうか。俺は君がどっちを選んでもついていくから。
彼の手が、そっとさくらの手を包み込む。
その瞬間、さくらは思った。渡らなければ見えない景色がある。たとえ不安があっても、その先に何が待っているのか知りたい。
さくら:うん、一緒に渡ろう。
二人は歩き出した。歩道橋の途中で止まっていた足が、次の一歩を踏み出した瞬間だった。
木枯らしの吹く冬の夕空。その中で二人が選んだ「歩道橋」という道は、やがて一つの新しい物語の始まりを告げた。
歩道橋を渡りきった先に広がる街並みは、さくらにとって見慣れたものでありながら、どこか新鮮にも感じられた。夕日に照らされたアスファルトの道、立ち並ぶ小さな店の看板、そして遠くに見える高層ビル群。
さくら:…こんな普通の景色なのに、なんでこんなに綺麗に見えるんだろう。
○○:それはきっと、君が進むことを決めたからじゃないかな。
○○の何気ない言葉に、さくらの頬が少しだけ赤くなる。彼は本当に何気なく、こうした言葉を口にする。それが自分にとって、どれだけ大きな支えになっているのか、本人は気付いていないのだろう。
そのまま二人は、大学近くの小さな公園へと向かった。冬の冷たい風が吹く中、ベンチに腰を下ろすと、○○が自販機で買った温かい缶コーヒーを手渡してくれた。
さくら:ありがとう。…こういうの、いつも助かる。
○○:俺、こう見えて気が利くタイプだから。
さくら:そういうの、自分で言わないの。
○○:え、でもさくらに褒められると嬉しいからつい…。
ふざけたような○○の口調に、思わずさくらは笑った。それは、ここ最近で一番自然な笑顔だったかもしれない。
さくら:ねえ、○○は、これからどうしたいとか、考えてる?
○○:どうしたい…か。そうだな…。俺はたぶん、大きなことを成し遂げるとか、そういうタイプじゃないと思う。でも、誰かのそばで支えたり、一緒に何かを作ったりするのが好きなんだよね。
さくら:…私のそばで、支えてくれるのも、そう?
○○:もちろん。俺にとって、さくらは特別だから。
○○の声は、静かな公園に優しく響いた。それはどんな飾り気のない言葉よりも真っ直ぐで、心に深く届くものだった。
さくら:…特別って、どういう意味?
さくらは少しだけ意地悪な声色で聞き返した。だけど、その内心は、少しドキドキしている。
○○:それって、言わなきゃ分からない?
○○が、こちらをじっと見つめる。その瞳が真剣で、いつもふざけた雰囲気が多い彼には珍しい表情だった。
しばらくの沈黙が流れる。冷たい風が、彼女の髪をふわりと揺らす。
そして、○○がそっとさくらの手を握った。
○○:俺、さくらのことが好きなんだ。
彼の言葉に、さくらの心臓が跳ね上がる。こんなに直接的に伝えられることなんて、これまでの人生で経験したことがなかった。
さくら:…私も…○○のこと、好きだよ。
自分の気持ちを口にするのは恥ずかしかったけれど、それ以上に、嘘をつきたくなかった。正直に、心のままに答えることで、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
その瞬間、遠くの空に一番星が輝き始めた。
○○:これからも、さくらが迷うときは、俺が一緒に考えるよ。
さくら:ありがとう。でも、私も自分で前に進めるように頑張るから。
○○:いいね。それが、俺の好きなさくらだよ。
二人はそのまま、手を繋いで歩き出した。街のネオンが灯り始め、冷たい夜の風が吹く中でも、その手の温もりだけは決して消えることがなかった。
数年後。街中の本屋で、小さな展示が目に留まった。「街のフォトコンテスト入賞作品」と書かれたポスター。その中に、一枚の写真が飾られている。
そこには、あの日の歩道橋を渡る二人の後ろ姿が写っていた。夕暮れの中、手を繋いで進むその姿は、どこか未来への希望を象徴しているようにも見える。
さくらは微笑みながらその写真を見つめ、隣に立つ○○の手をそっと握り直した。
さくら:あのときの選択、間違ってなかったね。
○○:うん。これからも、ずっと一緒に渡り続けよう。
二人の手はしっかりと繋がり、その先に広がる未来を信じて、歩き出していった。