もう、感謝されるためになんて動かない
「親に感謝すべき」という言葉にずっと違和感があった。私は産んでくれと頼んだ覚えはないし、親は産んだからには育てる責任があるのだから、そりゃ育てるだろう、と思って。もちろん、愛情を注いで育ててくれたことに心から感謝している。しかし、「感謝すべき」とは思えなくて、人にそう話したら「感謝しなさい」で終わってしまったことがある。
なんでこんなことを思い出したかというと、レタスクラブという雑誌に掲載されていた山崎ナオコーラさんの連載を読んだことによる。
『私は、家事や育児への夫からの「ありがとう」がしっくりこない感じがするのだ。夫のために家事や育児をしているわけではない気がする。もっと大きな場所に向かってしている。』
特に育児はペイフォワード、つまり誰かが別の誰かに繋げることを望んでいるのであって、自分に返ってくることを望んでいるわけではないと。それがまた誰かに繋がって、社会に好循環が生まれる。
『子どもは親に「ありがとう」という必要なんてない。』
山崎ナオコーラさんは、仕事も「面白かったです」「好きです」と言ってもらうために書いているのではないと言っている。もちろん、そのような感想をもらえるのは至上の喜びだが、もっと大きな、文学史を作っていくような、社会を変えるような大きな気持ちで臨まなければ傑作など生まれない。
『多様性の時代に、他人の評価はいらない。自分で自分の仕事の良さを認識して、自信を持てばいい。<中略>真の仕事の意義は金にはないことにみんな気がつく。もう、感謝されるためになんて動かない。』
仕事では「評価や感謝は結果であって目的ではない」と常々言っていたから、この言葉には心から共感する。育児もそうだなと改めて思った。そう、すべてはペイフォワード。大きなところに向かって、毎日大きなことをやっているのだ。「家事と育児しかやってない」と思うならそれまで。何のために何をやるのか、自分が決めればいいだけのこと。
※文中の山崎ナオコーラさんの言葉は『レタスクラブ 2020年5月号(KADOKAWA)』より