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今無料で読める傑作『だいらんど』について

 どうも。奢侈(しゃし)です。


 さて、今回は題名にもある通り『だいらんど』という作品について感想とか書いていきます。

↑ここから閲覧ができます。先に読んでからこのnoteを見ることをオススメします。

 このnoteはネタバレしか書かないぐらいの勢いなのでご了承下さい。

 そして、上記サイトから皆さんに読んでいただくことで作者のがぁさん様に広告収益が入りますので敢えてコマの引用などは行いません。是非お時間お手間の許すようでしたらマンガと並行してこのnoteをお読みいただけるととても嬉しいです。




内容関連→■   無駄話→●



感想

■子供のメルヘンチックな観点が生み出す理想郷

 この作品の舞台は「だいらんど」というメルヘンな世界。いくつかの国に分かれていて、そこでは人々が思い思いに理想の人生を生きている。

 結論を言ってしまえば、この世界は現実で不運にも悲劇的な死に直面しかけた人間が来る異世界(という個人的解釈)。主人公もメリーアンもジョセもその様子が本編から読み取れる。ルーシーに関しては経歴が全くもって不明なのでその限りではないのかもしれない。

 黒幕、というかこの世界で不幸な人々を救おうとしたのが本編の序盤から頻繁に出てくるジャック。中身が木で出来た人形というのがよりメルヘンさを際立たせる。

 彼はこの子供が描いたような理想郷が人々を救うと信じて疑わない。だから、今までの国に満足せず最終的に夜の国にたどり着いた人々を理想の夢へと閉じ込める。

 果たしてこれは本当の幸福なのだろうか。これに関しては読者によって解釈が異なる部分だと思うので是非考えてみてほしい。

 これが、だいらんどの大まかな舞台設定である。




■民主主義を知らない子供だからこその『大人のくに』

 最初のひるのくにに関してはあまりにも感想が薄かったのでここで数行書くに留める。

 恐らく子供は大抵早寝早起きを徹底させられることが多いため、
  

 昼=遊び、幸せな時間

 という解釈から生まれた世界なのだろう。童話なども昼設定が多い気がしなくもない。これは考え過ぎだろうか。


 さて、ここからは大人の国について書いていく。

 大人の国は非常に統率の取れた世界であった。大統領という役職の人間が決めた法律は絶対遵守。ここが首相でなかったりするのがいかにも子供時代を彷彿とさせる。

 大統領の決定に臣民は常に従い、愚痴や反論などは全く存在しない。いかにも理想的な世界。まだ民主主義を知らない子供が抱く大人のイメージだといえるだろう。

 大人の国では主人公はどうにかして悪いことをしようと画策する。銀行強盗だったり喫煙、暴力etc....。それらをこなしていくうちに段々と主人公は幼児退行していく。

 誰にも怒られず、ただいたずらをしまくる楽しい世界の住人へと変貌を遂げたのだ。

 誰にも怒られない、というのもある種子供らしい部分だと捉えられる。怒られる=楽しい思い出だという方程式は子供には成り立たないことが多いだろう。怒られることが学びにシフトチェンジできると思う様になるのはそれこそ大人になってからのはずだ。

 子供にとっての大統領、ひいては大人への解釈が存分に含まれているこの国の回からは、悲しみを大切なものとして捉えるということが一つのテーマに感じられた。主人公が今まで生きてきた中での選択を受け入れるシーンはかなり心にくるものがあった。



●メリーアンの容貌が人らしくなっていく

 昼の国から主人公と行動を共にしていたメリーアンも元人間であったことは本編を読了した方々なら分かっていただけるだろう。

 お気づきの方も多いだろうが、メリーアンの姿は徐々に人間に戻っていっていた。マンガという絵が主役を張るコンテンツを上手く利用した技法である。

 特に大人の国にて負の感情らしきもの(嫉妬や不安)が芽生え始めたあたりの顔は一話目に比べてかなり異なっていたことが分かっていただけるだろう。

 この表現はかなり作品の謎の根幹に関わるものである。

 この作品、色々と完成されすぎている。



●パスポートの設定が好き

 これは圧倒的な個人的嗜好の話なのでぶっとばしてもらっても構わない。


 世界を行き来するためのパスポートのデザインが国柄に準拠していたのが個人的に滅茶苦茶好きだった。特に動物の国のパスポート。なんだよ、しっぽって。

 紙とか本じゃないところに子供の想像力の豊かさを感じ取って、ちょっとニヤニヤしてしまった。

 しっぽつけたら動物になれるって発想がかなり子供らしくてとても好き。何かの童話にも同じような表現があったのかな。わからないけど。



■親からの愛情の重要さ

 だいらんどにおいて、「親子」というテーマにフォーカスの向いた国が二つあった。『子供の国』と『海の国』である。

 まずは子供の国の話から。

 子供の国では、リオデジャネイロから来たジョセという記憶を持つ少年に出会う。だが、彼は主人公とは違い、以前の世界には帰りたくないという。

 何故か。ジョセは子供の国にて作り物の母に連れられながら言った。

 『もう殺される心配をしなくてもいいからね!』

 主語が母なのか自分自身なのかは分からないが、僕は話の流れ的に後者だと解釈する。

 流れというのは、「海の国」にて主人公が母親の愛情を満足に受けられていなかったという描写が存在することに起因する。ただ、確証を持てるほどの判断材料は無いので本当にどうとってもおかしくはないだろう。

 この対比がこの物語の後半の方向性を確たるものにしたのであろう。

 母親の恐怖から逃げ、だいらんどに残ることを決めたジョセと母の愛情を押し切り現実に帰還することを望んだ主人公。

 もしジョセが現実世界で大人であったならばまた結果は変わっていたかもしれない。



■「遊んでばかりいると、大人は不安になっちまうのさ」

 この台詞滅茶苦茶好き。以上。



■ルーシーは結局夢を追い続けることにしたらしい

 最後のオマケで描かれていたルーシーのその後も個人的にはかなり好きな場面である。

 夜の国に行き着くものは大抵の者がが現実への帰還を望む。主人公とメリーアンがそうであったように。ただ、ルーシーはだいらんどに残る決断をする。

 「あ~~~あ、どこにいるのよ 私の王子様!」という最後の台詞はまるでシンデレラコンプレックスからくる発言のように見える。これも童話に関連させた作者の遊び心であるならば、脱帽モノである。流石に考え過ぎかな。

 色々と主人公たちのフォローもしてくれているし、僕がだいらんどに行ったらコスプレを褒めてあげたい。


さいごに

 だいらんどは一巻だけで内容が完結するため、非常に読みやすい作品でした。名作を読み終わるとよく喪失感が襲ってくるタイプの人間なのですが、しっかりとこの作品でも感じました。

 実はこの作品を読んでから既に一週間が経過しているのですが、いまだに色あせない記憶が残っています。

 素晴らしい作品を残していただいたがぁさん先生、そしてここまで読んでいただいた皆様、本当にありがとうございます。

 それでは。

※追記(2021 10/19)

 今日久々に見返してみたら、どうやらルーシーの正体は人魚姫のようですね。アンデルセン童話の原作では、どうやら死んでしまう結末があるようなので、その直前にだいらんどに辿り着いたものと思われます。

 かなり悲劇的な結末のようなので、ルーシーが最後まで帰りたがらない理由もうかがえますね。

 滅茶苦茶久々に読みましたが、授業中にも関わらず超泣いてしまいました。子供心とはこうも尊く、心揺れるものなのだと改めて思い知らされました。












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