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記憶を関心の低いものや嫌悪を抱くものから順番に消していった時、最後に残るのは自分自身か最も関心の高いものか

「自分であること」は、ナルシストでもない限りは興味・関心の外にある事象だが、突き詰めていった際に関心度は存在するのか。

応用として心や魂のイメージ化を行った場合、その人物は最後まで自分自身の形を保つのか、それとも自分すらも消えて最も関心の高いものに変わってしまうのか。
後者の場合、ほかの記憶がないなら自分自身が「それ」であると認識するのか、それとも自分が何者かは分からないが、「それ」が大事とだけ覚えている状態になるのか。
あるいは「それ」が大事かすらも分からないが、なんとなく知っている状態になるのか。

自分自身が「それ」であると認識する

「それ」以外は存在のみならず感情などもなくなっているはずなので、自身と「それ」が別物と考えるよりは、「それ」しかない以上、当人にとっては「それ」が自身であると考えるのが妥当とは言える。

自分ではないが「それ」が大事

自分という認識もなくなっているはずなので、厳密には「それ」が自分かどうか否定というよりも分からないが、観測者からすると、試験の定義上「それ」が最も関心の高いものであると判断はできる。視覚的変化も確認できるなら、さらに確度は強まる。

自分ではないし「それ」が大事かも分からないがなぜか知ってはいる

記憶の消去が前提である以上、自身の認識、具体的な関心度合いは当人から消え去っているはずである。であれば、当人としてはなんとなく知っている程度の認識が近いか。



お粗末

「ファンタジー的深層心理ダイブをしたら、記憶喪失のはずの彼女の姿が俺に変わってた」的な妄想が発端。エセ学術的思索的文章風。

なんでその人心に飛び込んだ時に、自分の姿は保ってるんだろうねって言う疑問。変わってても幼少期とかぐらいで、あとは完全に無とか?
別物になってるって話は聞かないなって。

あと、記憶喪失で自分のことはわからんけど、ラブ系なら好きな人とか、ミステリ系なら事件の証拠とかは覚えてることはあるんだよなーってのが私の記憶の参考文献

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