生きるより、続けることの方がむずかしい
「分散と収束」との向き合い方
毎日ポーカー(キャッシュゲーム)をプレーしている上で、向き合わないといけないのが「上振れ」と「下振れ」という概念である。
トーナメントほどではないにせよ、もちろんキャッシュゲームにも分散はある。
ただ座っているだけで勝ちまくる日。なにをやってもうまくいかない日。
もちろん、長時間プレーすればするだけ、スキルの高いプレイヤーが勝ちを積み上げていく構造にはなっている。分散が収束していく、という言い方になるだろう。
けれども、一日単位、一週間単位、などの短い尺度で切り取れば、どれほど実力のあるプレイヤーでも負け込んでしまうことは仕方がない。
昨日、YouTubeで競馬騎手の川田将雅さんの2021年回顧を観ていたら、毎日ポーカーをやる生活にも通ずる、鷹揚としたマインドセットが非常に刺さった。
昨年度はリーディング(年間勝利数)で二位という好成績を収めた川田ジョッキーであったが、出だしは苦労し、初勝利までに時間がかかってしまった。けれども、一向に焦ることはなかったのだと、涼しい顔で語る。
ポーカーも競馬も「分散と収束」がある。ここに共通項がある。どれだけいい馬に乗れるか、どれだけいいハンドが配られるか。いい馬に乗せてもらっても、レースの展開や馬場の状況で負けることは当然ある。いいハンドが配られてもボードと絡まないなんてことはあるあるだろう。
自分は与えられたカード=馬で最善を尽くす努力はする。それでもどうしようもない(ときには怒りが込み上げるほど理不尽なこともある)状況が続くなかで、どうやって気持ちを切らさずに、事に取り組み続けるか。
こうしたマインドセットや大局観を学ぶ上で、とても参考になるのは案外ポーカー以外のジャンルで活躍するスポーツ選手、将棋や囲碁の棋士、ゲームプレイヤーだったりする(たとえば、以下の二冊なんかは折に触れて読み返したくなる)。
キャッシュゲーマーとして生きていく道
そもそも、キャッシュゲームだけで生計を立てている人が世界にどれくらいいるのか、日本人ならどれくらいいるのか、正確な数は誰にも分からない。
ベガスやマカオにはそれなりの数がいるのだろうが、少なくとも、ぼくが主戦場にしているナイロビでは、ほぼ皆無と言って差し支えない。
正直、まだベガスやマカオといったポーカーのメジャーな戦地で長期間キャッシュを打った経験がないので、確かなことは言えないが、大前提としてキャッシュゲームで生きていくことは可能である。
もちろん、資質は問われる。資質の構成要素はいくつも列挙できるけれど、土台となるスキル、戦略、論理、胆力ーー煎じ詰めれば、絶えず学習を続けていく姿勢などになるだろうか。
日本で名の知られたキャッシュゲームプレイヤーにじぇいそるさんがいる。
著書を拝読すると、ベガスのキャッシュゲームプレイヤーのリアルな生態を知れる。淡々とした日々だ。
繰り返しになるが、上記で述べた資質を満たす人であれば、誰でもキャッシュゲームで暮らすことは可能だと思う(オンラインはより難度が上がる、間違いなく)。
問題は、“続けられるか”どうか。そこに全ては詰まっている。
ゆるやかに死んでいく精神を守るために
毎日、カジノと自宅を行き来する。ポーカーを集中してプレーしていると、時間はあっという間に溶けていく。
前回「精神がゆるやかに死にゆくとき」というnoteで述べた問題意識も、この辺りにある。
毎日ポーカーをプレーしていると、一週間、一ヶ月、一年があっという間に経過している。その間、世界は確実に転がっている。じゃあ、まとまった時間が過ぎた後、自分に残っているものはなにか。幾ばくかのお金とポーカースキルだけ?
人生における充実度や幸福感を下支えするものはなにか。たとえば、いま読み進めている『ハーバードの心理学講義』のなかでは、3つのC: コントロール、コミットメント、チャレンジが挙げられている。
自分の意志で人生の舵取りをしているか、情熱を傾けたいものに取り組めているか、未達成の目標に立ち向かえているか。
この一年、ナイロビに腰を据え、毎日ポーカーをプレーしながら、自分の内にもたげていたのは、こうした問題意識であった。
総体としての生活を彩るために
顕在化しているキャッシュゲーマーのサンプル数が少ないので、なんとも言えないことの方が多いが、ここでもじぇいそるさんの例をみてみると。じぇいそるさんがYouTubeで活動を開始され、人気を集めていることは、収益源の複数化以上に、前項で述べた「新たなる充足感」を人生にもたらしてくれる新しい回路を獲得した意義の方が大きいのではないかと思う。
YouTubeを通じて、ポーカープレイヤーの生き方を伝えたり、ファンとの交流を通じてポーカーそのものの啓蒙にも関われる。じぇいそるチャンネルの企画や編集力の高さは、現時点では業界にもおいても群を抜いている。つい最近、最終話が公開された「ギャンブルサバイバル」なんかはテレビ番組と見紛うほどの映像クオリティだ。
毎日、淡々とキャッシュゲームだけで生きていく生活で、ぼくは「精神がゆるやかに死んでいっているのではないか」という一抹の不安を覚えた。
そこで、ひとつのアイデアとして持つようになったのが複数の活動を束ねていくことだ。ポーカーもあくまでも活動のひとつに過ぎない。こうしてnoteを書いたりする執筆活動も「活動」のひとつだ。総体としての生活を彩っていくこと、そこに力点を置いて、暮らしのあり方を模索していきたい。