#2 大人になってからの『成長』と『幸福』
こんばんわ、Ryeです。
今日は12/24、クリスマスイブです。ケーキを買って、普段より豪華な食事を食べて、世間は幸福に満ち溢れてる事でしょう。
私は先週の土日に早めのクリスマスを大切な人とエンジョイしましたので、クリスマスイブ当日である今日は、帰りに軽くデザートを食べるぐらいなものでした。
26度目のクリスマス。大人になってくるとクリスマスに限らず、イベント事の特別感というものは薄れてくるように感じます。
子供の時はクリスマスと聞くだけでそわそわし、クリスマスが近づいてくるだけで周りの景色もなんだか輝いて見えたような気がします。
今では、流石にそこまでの思いは持てません(笑)。
大人にとっての『幸福感』は子供のそれと違って来るのでしょう。
幼少期や学生時代の頃を思い出すと、『幸福』=『純粋に楽しい時間』でした。友達とゲームしている時や、体育の時間、研究室で遅くまで実験し、同期と無駄に人狼し始めたり。。。全てに幸福を感じていました。
大人になった今、そのような機会は激減しました。また、同じような事をしても昔ほど『幸福感』は得られないでしょう。
大人にとっての『幸福』とは何か。
私は、『成長』=『幸福』だと思っております。
子供の頃は、時間が無限のように感じ、好きな事をひたすらするだけの時間がありました。最たる例がゲームですかね。
ゲームにはまれば大量の時間を費やすことになりますが、一銭にはならず、正直言って得になることはありません。
❝ただ純粋に楽しい❞だけですよね。
大人になれば、時間が有限である事を意識するようになりますよね。
これは働く上で“納期”を意識したり、業務の“スケジュール”を意識することが増えるからなのでしょうか。それとも、仕事の時間はお金を稼ぐため、と割り切ってしまうため、一日の残り時間を貴重な自由時間と捉えるからなのでしょうか。そこに関してはいまいち分かりませんが。
有限に感じることで、子供の時よりも“時間の価値”が上がり、時間に対するリターンを考えるように私はなりました。
ゲーム好きだった私ですが、長時間のゲームは既に幸福とは感じません。
それよりも、貴重な時間を使って、何か自己研鑽に充てたい、、、と考えるようになりました。
資格勉強なり、筋トレなり、貴重な時間を使って“何かをやり遂げる、達成する“=『成長』することが『幸福』と感じるようになりました。
また、大人になると日常のあらゆることに普遍さを感じ、刺激がなくなります。美味しい、凄い、綺麗、などを既に十分知っているので、よほどのことがない限り特別に感じませんよね。
日常に刺激が欲しい、と最近は思うようになりNoteを含めた新たな挑戦も始めました。これも『成長』ですよね。
もちろん、何不自由ない生活を送れている事、大切な人が居ること、それにも『幸福』は感じますが、
それでも『幸福感』が物足りない、満たされない、、、、
という人は新たな事、困難な事、やりがいのある事に貴重な時間を投資し、挑戦、自己成長に繋げてみたらいかがでしょうか。
きっと、成長し、自身の魅力を引き上げ、幸福も得られますよ。
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