Facebook投稿 20.04.15

【医薬に関わる人を想う】
野口英世は自身が負った火傷で動かなくなった腕が再生したことに感動して医者を志したそうだが、自分は何も知らずに心臓病の手術を受けていたことが後から怖くなって今でも献血と医療系の番組は見られない。
でも一度、高校の時に文理選択で冷静に考えてみたことがある、「自分は医薬系で生きていけるか」を。
covid-19による医療崩壊の危機が叫ばれている中で、墨東病院での感染がニュースになったときはさすがにドキッとした。もし今救急車を呼んだとしたら墨東病院は搬送先の一つになるからである。
このように感染が確認された病院では医者や看護師が自宅待機することもあるとワイドショーで見たときに、ふとした疑問が浮かんだ。「なぜ最前線に向かった人間が休んでいるんだ」と。
間違いなく穿った見方なのだが、そもそもこんな疑問が浮かぶのはなぜかを考えたときに自分の進路選択に行き着いたのである。自分は体を張って医薬の力で他人を救うことができるかと。やはり無理だった、どうしても自分が生き長らえることが優先された。だから医薬に携わる人には素直に尊敬の念を抱いているし、体を張っているものと感じていたのだろう。この場を借りて深くお詫び申し上げたい。
その一方で医療崩壊の危機になんとなく一般市民が緊迫感に駆られているように思えないのは、医薬に対する真の意味での尊敬の念を持っておらず、「病気は頼めば治してもらえるもの」ということがあまりに当たり前になっているからではないだろうか。医療が受けやすいことは良いことだが当たり前と思うのは行き過ぎである。
つまり、(自分のようにとは言わないが)医薬に携わる人への想いが本当にあるならば、意地でも病気にならないような生活を考えていたはずである。このような国民性であれば資金投入も初めから医療に多くを向けていただろう。僕は意地でも病気にならないし病院にも行かない。

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