我がままに
ワガママは、中々できることではありません。
僕はかなり苦手としています。
とても親しい友人や家族にも、ワガママな自分は
ほとんど出すことが出来ません。
人に合わせること、譲ることを美徳として考えてきたからだと思います。
時々、ワガママがとても上手な人(良い意味で)がいますが、
強かな生き方をしているように見えて、少し憧れます。
ですが最近、極度の譲歩はかえって不義理なこともあると気が付きました。
例えば友人と食事に行く際。
何が食べたいかという話し合いになり、相手が食べたいものに合わせて
「(あなたが食べたいものなら)何でもいいよ」と答えるとします。
譲歩しているように見えますが、自分の考えていることを
相手に伝えてあげないという不義理を働くことと同義です。
例えば人と話しているとき。
相手が言ったことが聞こえなくて聞き返すけれど、
やっぱり聞こえなくて、結局適当な返事をしてしまう。
「たしかに」とか「まあね」とか。
相手の面倒を省いてもいますが、相手とのコミュニケーションを
放棄していることになります。
自分の考えを人に伝えなかったり、放棄することは
最終的には自分自身に対しても嘘をついていることと同じです。
自分の人生なのに我がままに生きられないのはおかしいことです。
僕も含め、ワガママと我がままの線引きが曖昧になってしまって
そのラインの内側にさらに線を引いている人は少なからずいると思います。
ちょっとぐらいワガママになってしまっても、対して怒られません。
一度しかない自分の人生、他人に遠慮せず、他人と理解し合い、
我がままに生きていきたいものです。