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スカッシュと私と留学生活 ー 大学編

アブストラクト

世界で最もスカッシュが強い国はどこか。答えはエジプトだ。

しかも、その圧倒的な実力差をもって他国を凌駕し、絶対的王者として君臨している。

次に強い国としてイギリスが挙げられるが、同国の代表チームにはエジプトから帰化した選手が2名いるという事実が、エジプトの強さをより一層象徴的なものにする。

では、世界で最もスカッシュの成長率が高い国はどこか。
答えはアメリカだ。

この成長の背景には、アメリカのボーディングスクールや大学が、ここ5年ほどでスカッシュのハブとしての機能を高めてきたことがある。

世界的に、「スカッシュが上手いという才能」は、アメリカの名門大学の学位をほぼ無料で手に入れる手段になっている。世界中のプロレベルの選手たちが、スカッシュ特待生として一流大学の学位を求めてアメリカへ集結するのだ。

アメリカの4年制私立大学の学費は、年間約60,000ドル(約1,100万円)。
さらに生活費や渡航費を含めると、卒業までにかかる費用は総額6,000万円にも達する。

この高額な投資に見合う価値があるとして教育市場が成り立っている以上、アメリカの大学のブランド力は揺るがない。

アメリカの大学は、自校の名前を「ステータス」としてブランディングし、世界中の若きエキスパートを引き寄せている。

スカッシュもその一例であり、学業とスカッシュの両面で秀でた学生を積極的にリクルートしているのだ。

圧倒的な環境の違い:競技レベルの高さ、大学のスカッシュ環境

中学から高校へ上がる際にスポーツのレベルが急激に上がるように、高校から大学に進む際も同様の変化が起こる。

大学に入ると、一気に競技レベルは世界レベルへと引き上げられる。

トップ20に入る大学では、1番手から3番手が各国代表クラスであり、世界ランキングを持つ選手が当たり前に存在する。

高校時代、全米大学対抗戦(Nationals)の決勝戦「Trinity vs Harvard」を観戦した際、Harvardの4番手選手がBritish Junior Openのファイナリストだった。

British Junior Openは、世界最大規模の19歳以下の大会である。

そのファイナリストがチーム内で6番手にいるということは、その空間だけで少なくとも7人の選手が彼より強いということを意味する。
本来であれば世界で2番目に強い選手が、1試合会場の中だけで7番目とは、全く意味がわからない。

こうした環境の中で、世界中のジュニアプレーヤーの半数がアメリカの大学へスチューデントアスリートとして進学し、競技と学業を両立する道を選んでいる。

発展途上国の厳しい環境下でスカッシュのみに打ち込んできた若者にとって、それは一つのアメリカンドリームである。
アメリカの大学に渡り、安定した衣食住が提供され、世界最高水準の教育を受けながら、世界最高水準の施設でトレーニングができる。
そして4年間立派にスチューデントアスリートとして勤め上げれば、卒業時には大学の名前をぶら下げ、自国での華々しいエリートのキャリアか世界でスカッシュプロ選手としてのキャリアを選ぶことができる。

中学・高校でなんとなくスカッシュを始めた私は、こういった幼少期からラケットを握り、人生をスカッシュに賭けてきた"叩き上げ"の選手が命を削る蠱毒の壺の中に身を投じることとなった。

試合やプログラムとの距離感

大学ではもちろん「学生」が本分であり、スカッシュはあくまで課外活動の一環に過ぎない。しかし、実生活の中では、スカッシュが占める割合は決して小さくなかった。おそらく、日々の思考の半分はスカッシュに向けられ、残りの半分で学業をこなしていた。そしてその領分は私にとってのスカッシュに留まらず、どのD1スポーツでも同じことだと思う。

学生生活がアスレチックプログラムに傾く理由は大きく3つある。

1.  生活リズムがスカッシュ中心に組み立てられること。
朝6時半からチームでジムに行き、コンディショニングコーチやトレーナーと共にウェイトトレーニングから始まる。
その後、授業に出席し、午後の練習に備えて15時には準備を開始。16時から18時まで高強度の練習を行い、クールダウンを経て、チームメイトとダイニングホールで夕食をとる。その後、19時半頃からようやく学業に取り組む。1日4〜5時間をスカッシュに捧げる生活。

学業の選択コマから生活リズムを組み立てる一般的な学生とは異なるプライオリティの設定の仕方が求められる。

2. 過ごす仲間がスカッシュのチームメイトになること。
チームメイトは単なる「部活仲間」ではない。スカッシュという共通の趣味を通じた存在でもあり、過酷なスケジュールを乗り越え、同じ目標に向かう戦友のような存在でもある。また試合への出場機会を賭けて争うライバルでもあるのだ。

日常でも、朝目覚めた時から、朝食、昼食、夕食と共に時間を過ごし、練習や勉強時にも共に行動する。練習時間も同じなため、選べる選択コマも被ることが必然的に多くなる。また、必須科目などはチームメイトとともに参加し、一緒に課題を解いたり試験勉強に励むことも大学を攻略する方法として非常に効果的だった。

オフシーズンには一緒に大学のイベントに参加したり週末のパーティーには一緒に出歩いたりもする。
非常に少ない一人の時間以外はほぼチームメイトの誰かしらと一緒に過ごしていたように思う。

3. 学業よりも結果がトランスペアレントに評価されること。
試合の勝敗は明確な数字として記録され、番手戦の結果次第で自分の立ち位置が決まる。学業の成績とは異なり、その結果は学内どころか一般公開されるし、半永久的に残る。そしてここには一才の言い訳の余地はない。
「努力した」ではなく、「勝ったか負けたか」が全てであり、交渉したら課題納期を延長してくれる教授もいない。

相手が強ければ当然負けるし、実力が拮抗する相手に負けた試合などは強烈な虚しさが残る。今までジュニアプロで選手経験豊富な仲間が試合後に泣いたり怒ったり、殴り合ったりする状況が当たり前に起こるし、ヘッドコーチが感情的になる事態も極めて日常的なイベントだった。

試合のシーズン中は、週末のほぼ全てが試合で埋まり、ホームゲームならまだしも、アウェイの試合では、バスで片道7時間かけて移動することも珍しくない。中には泊まりがけの遠征もあり、課題をバスの中でパソコンを開いて片付けるような生活スタイルも常習化した。

だが、この生活は決して「犠牲」だけではない。チームディナーや季節ごとのイベント、遠征先での経験や出会い、この環境だからこそ得られる熱量や感動も間違いなくあった。

まとめ:大学でスカッシュを続けた意味

アメリカのD1リーグでスカッシュを続けることは、単なる大学生活とは異なる挑戦だった。学業だけではなく、可視化された競争の中で結果を出し続けなければならない環境は、普通の学生とは異なる精神的負荷を伴う。

しかし、この環境に身を置いたことで、自分の限界を知り、コンディショニングの重要性を理解し、プレッシャーの中で冷静に対応する力を養うことができたことは大きな収穫だったと思う。

大学では一般的に深い関係を築くには多くの主体性が求められるが、D1アスレチックプログラムのような環境では自然とチームメイトとの絆が生まれる。共に厳しいトレーニングや試合を重ねる中で、お互いを支え合い、言葉以上に深く理解し合う関係ができていく。こういった経験を通じて、世界の至と所にそういった仲間ができたことはかけがえのないことだと思う。

大学でスカッシュを続けた日々は、単なる「部活」ではなく、人生の中でも特別な意味を持つ時間だった。大学のアスレチックプログラムで得たものは、間違いなく、今後の人生においても最大の財産となると確信している。

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