やはり「量」ではなく「質」だ、という当たり前の話
noteの深津さんがこのような文章を書いていました。
「フォロワー数はパワーではない」
フォロワー数の動向にばかり気を向けがちな現代人へ警鐘を鳴らすような文章でした。
特に印象に残ったのは、
正しいプロセスで集まったフォロワーには、単なるフォロワー数以上の価値がある。おなじ1フォロワーであっても、それが誰かによって、意味は大きく変わるからだ。
という部分。
ここに書かれているように、数字遊びで増やした数字には何の意味もないでしょう。
一口に「1人のファン」と言っても、その実は生身の人間ですから、誤解を恐れずに表現するならばその「質」の差はあるわけですね。
「フォロワー数がいくつか?」
ではなく、
「どんなフォロワーがいるか?」
が大事なわけであって、数字のゲームでお金を増やすのとはわけが違うのです。
一万円というお金の価値は、どんな一万円でも一万円ですからね。
10,000フォロワーの場合だと、どんな10,000人かによってその価値には雲泥の差があるということです。
フォロワー数に比例して報酬が高くなるような社会のシステムであるから、商業的なアカウントがフォロワー数を追い求めることは分かります。
しかし商業的なアカウントでもない、一般人のアカウントがフォロワー数を追い求めるのはいかがなものでしょう?
深津さんの文章じゃないですが、ドラゴンボールの世界のように戦闘力を数字で比べ合って戦っているようにしか思えませんね。
人間のもつ「承認欲求」という根の深い問題にも関わってくる話のように思いますが、今日はここまでにしておきます。
それでは。