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死にたい、死にたいという奴がいつまでも生きるんだよ。
私は生きることに対してあまり執着がない。
でもやっぱり今すぐ死ねと言われたら抵抗はするけれど、
どうしても生きなくちゃいけないという概念は持ち合わせていない。
本当に嫌なことをしないと生きられなくなったら、迷わずに死を選ぶだろう。
母は遠い実家にひとりで暮らしている。
かつて祖母、父、母、姉、私、妹と
6人いた家にいまはひとりで住んでいる。
そんな母はもうすぐ古稀を迎える。
まだ5年前はそんなに衰えを感じていなかったけど、昨年、肺の手術をした。
最近は足に水が溜まり思うように動けなくなったそう。
まだ要介護にはならないけど、確実に衰えてきている。
母は80までは問題なく生きたいといつも言っていて、もう70になるのに自分はまだ老人じゃないと思っている。
そんな母と話すと私は毎回のように早く死にたい、60歳で死ぬからと言う。
そうすると母は、
「あんたはまたそんなこと言って。
じいちゃんは60で死ぬといつも言っていて
85まで生きたんだよ。あんたもそうなるよ。」
やれやれ、また言ってるよという感じでいつも
こう返す。
そうなのかなぁ、私やっぱり生きたいのかなぁ。
でも死ぬのが絶対嫌だとは思わないんだよな。
誕生日が近づくと、生きること、死ぬことを意識するのはなぜなんだろう。
私は楽しくて、幸せだともう死んでもいいと思ってしまう。
逆に不幸で辛いと、悔しいからまだ死にたくないと思ってしまう。
だけど多くの人はそれは真逆だと思っている。
苦しく辛いから、死ぬのだと思っている。
人は幸せでないと死ぬ覚悟は持つことはできないと思っている。
全てのことは、人間はいつか死ぬという前提で世界は成り立っている。
生があるから死がある。
生まれてくる日が分かるから、死ぬ日は誰にも分からない。
生まれる時は産んでくれる人がいるからひとりではない。だから死ぬときはひとりだ。
光があるから闇がある。
終わりがあるから始まりがある。
破壊があるから創造がある。
森羅万象 陰陽五行
この世に存在するものは全てこの流れからは逃れられないただの一過性の存在なのだ。