いやね、
功績と人格は必ずしも一致しないって話なんですけど。
社会契約論を書いたルソーは、街に出て若い女の子の前に行って、ちんこだして歩いてたらしいんです。
あれだけ後世に残る事をした先生と呼ばれる人物ですら、人格に難がある。
難というか何と言うか。
僕の敬愛する司馬先生もそう。
名著を書きまくるけど、酒タバコ女の人生だったり。
僕にはこのエピソード含めてかっこよくも見えるんだけどね。
なんだかやった功績に対して「あの人は偉大だよね」ということって全く信憑性がないなと思った。
偉大じゃないって言ってるんじゃなくてね。
功績は間違いなく偉大。
でも、ある1面だけで判断するとあまりにもその人を語れてない気になるし、当事者としても乖離して褒められることは素直に受け取れない気がしていて。
生きていてもこんなことよくある。
「自分はそんなできた人間じゃない」
と本当にそんなことない褒め言葉はマジで「こいつ大丈夫か?」ってなったりする。
物事の側面どころか見え方がどうも僕とは違うらしいなんてことが。
なんて言うかさ、
女性に「可愛い」って浅はかに答えて良い場面もあれば、深く理解してても「分かるよ」って言ってあげられない場面もあるじゃん。
伝わるかなこの話。
まあ、今日何が言いたかったかっていうと
人前でちんこは出しちゃダメだよってこと。