ララチューン「点」とアメリカ生活
西洋史ドロップ。隙間時間になにを詰めるか?
やることはいっぱいある。無駄にしてる時間はない。今のうちにいろんなソフトスキルを身につける最後の機会。今できなければこれから一生できない。
留学先でどんな授業をとるか?卒業までのスケジュール。
今これを書いてるのは2024年4月2日。アメリカ留学が終盤を迎えてる中、体力と精神的に元気がなくなってきてる、そんな自分が何を考えてるかをまとめようかなって思って、下書きになってる原稿をみたら、思ってる以上に下書きにしたままの原稿がたくさんあって、自分の性格を表してるなって思った笑。いろんなことを自分でやろうと腕いっぱいに広げすぎるあまり、なにも抱えきられずに、多くのものを地面に落としちゃう。そのあとに自分にとって大切なものを拾うこともしない。何かに突出するよりも、すべてを一様に完璧にしようとして結果として注意散漫と容量以上の仕事量から何か一つを達成せずに、なんとなく疲れて寝込む。まるでレーダーチャートのすべての項目を満たすことに粉骨砕いてる。でも、中途半端にいろんなことができたり、知識を持っていたりするよりも、なにか一つの軸を見つけてそこを全力で磨き上げた方が、社会で戦っていくためにはそうあるべき。
ちなみに、この西洋史ドロップとか一段落目に書いていた下書きはちょうど一年前に日本の大学で、留学する直前最後の学期を履修していた時。一人暮らししていて、アルバイトはせず、授業は一個だけしかとっていなかった。有り余る時間を使って、当初は大学じゃできない学びをしたり、一人で国内旅行行ったり、友達と遊んだりして充実した時間を全力で送ろうとイキイキしてた。結果は、すこしでも国際留学生と遊ぶことで英語力を伸ばそうと頑張った3ヶ月だった。でも、だらけていたというのが正直なところ。YouTubeをこれまでの22年の人生で一番見ていた時期。ただ、YouTubeを見ていた時はかれらのチャンネルの軸はなにで、どう運営してるのか、とかのエンターテイメントというよりビジネスとしてその画面の裏側でどう企画を考えて、演者を決めて、撮影から編集までしているのかを毎回想像しながら観てた。一言で言うと2023年4月から7月末までの3ヶ月は、将来について悶々と想像をめぐらし、不安と共に自分は何をしたいのかを考えつつも、なにかを疲れ果てるまで追求したり、頑張ったりしたわけじゃなかった。
心機一転、ここで入ったスイッチをもう二度ときらない
昨日、ララチューンにある短編映画「点」の主題歌「カーテンコール」を聴いた。短編映画も観たんだけど、その映画からはこころを打たれ、なにか強いメッセージが胸を貫いた。先に何があるかまったくわからない恐怖と不安、今この体がある環境の中で自分ができることを全力でやってるけど成長を大きく感じられない悲観的で虚無なちょっとした迷走感。これが、浪人してる彼女が抱く姿と重なったから。
アメリカに来てから7ヶ月経って、はじめて感じる、なんだろうなこの気持ち。日本に帰れる!、いや日本に帰ってしまう涙、っていう正反対の気持ちに同時に襲われるこの不思議な感情。前者の気持ちに関しては、9ヶ月ぶりに両親と愛犬に会える喜び。日本にいる友達と会ってお互いがどう成長、変化したのかをこの目で見たい胸高鳴る気持ち。後者の気持ちに関しては、ここでできたすばらしい友達とわかれなきゃいけない痛み。ここでできた友達はほんとに刺激的でみんなすごいいい人たち。彼らからはたくさん学んだし、たくさん音楽をかけながら泥酔して遊んだりもした。厳密に言うと、かれらに別れをいうことに惜しみはない。交換留学生としてここに留学してるのは終始認識しているから、彼らとは今ある時間を全力で楽しんでるし、別れが来ればお互いまた別の道に歩き出す。それはもう4ヶ月前からこころの準備ができてる。ただ、ひとりの子を除いて。アメリカを去る寂しさや胸きつく締まる痛みはすべて彼女についてのもの。彼女のことを思うとここを離れたくないと思う。もっと彼女と一緒に時間を過ごしたい。最近はこのことばかり考えてる。彼女と自分が物理的に遠く離れて、直接会えなくなるのが5週間後に起きることを、理屈としては理解できるけど、どこか遠くのもののように感じる。どんよりとした曇りの日に、厚い雲に隠れて見えない太陽のように。いざその時が来た時に自分がどんな感情に襲われるか全く予想がつかない。意外とすんなり別れを告げて、気持ちはどこか吹っ切れて軽いのか、それとも今まで経験したことないような大切な人と離れるときの複雑な感情が胸を包むのか。どうなんだろうな。先になにがおこるかほんとに何もわからないな。
アメリカ留学を通じて、ひととして最大限に成長できた。それの成長痛として今は体力的にも精神的にもちょっと疲れてる。ありがてぇ。ジムで筋トレした後に筋肉痛になってるのと同じだ。自分の支配ができるほんの小さな輪の外でときにやさしく、ときに無慈悲に物事が進み、変化してく。やっぱりそれはすべて想像できなくて、世界の変化に目が回りそうになる。そのなかでも自分の人生は自分が決められる力がある。もう自分は止まらない。どこに辿り着くかわからないけど、その日にできることを自分が出せる精一杯の力でやりきろう。