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日のすきまセレクト集(2006年8月~2007年8月)


2006年 08月 23日

■ いつか



 医院の芝刈をしていると、吉増剛造に似た院長に、ノラ猫の屍体を埋めてくれと頼まれた。
 行ってみるとサザンカの生垣の下に、黒白の大きな猫が横たわっていた。
 この間までこの辺りを睥睨していたボス猫だ。
 目の辺りに蟻がたかっていた。
 持ち上げるとまだ死後硬直している。
 庭の片隅に穴を掘って埋めた。
 見開いた目は閉じることもなく土をかけられた。
 猫の青空はこうして閉じるのだなと思った。
 私は古竹を一本差して猫の墓とした。

 いつか薪を割っていたら、切断面にびっしり蟻の巣があった。
 もぞもぞうごめく群落に殺虫剤をスプレーした。
 動いていたものは、ピタッ、と止まって、ただの黒いシミになった。
 真夏がそこで凍った気がした。
 一拍後にはまた蝉が鳴き出して、前と変わらず陽は動いた。
 それでも確かにその時宇宙は止まり、時空に傷が出来た。
 
 仕事を貰っていた造園会社と決裂したので、盆以降は一気に暇になった。
 炎天下、住宅街をチラシ撒きながら、いのちの移ろいを思う。
 取りあえず、物を考える「すきま」は戻ってきたので、また言葉に向き合おうと思う。
 たぶん言葉しかないのだろう。


2006年 09月 01日

■ キリギリス

 
 
 オニヤンマが、昼食中のテーブルの上に音もなく現れて、しばらく空中に停止していた。
 これはこれは、と見ているうちに、また「ツィ」と線を引くように去った。
 残された場所が、寂しいような気がした。
 薪ストーブの煙突のスス掃除をしていると、漆喰色に変色した蛙が跳びだした。
 高い場所から身を投げ出したので、長いあいだ手足を開いて落ちていった。
 そんな中空を、これから艶やかな女郎蜘蛛が巣を張り、地震のように小刻みに揺らすのだろう。
 そして真夏の石の上を高速で動いていたビロード色のトカゲも、どこかの隙間に身を隠すのだろう。

 つい、っい、つい、と秋が遷(うつ)る。

 障子戸で「チョンッ、ギー、ギー!」とキリギリスが鳴いて、夜中、何かの夢見から叩き起こされた。
 捕まえて便所の窓から放つと、草の露が月に光っていた。

2006年 10月 27日

■ 向こうの山から


 向こうの山からここまでが私の身体だから、
 所々の紅葉黄葉はおまえの踊りだろう。
 渓で魚たちは虹色のまま卵を抱いている。
 この夏に死んだものもいて、屍体は鳥たちが啄んだ。
 空は高い。
 畑たちは寂しい光を浴びている。
 大根も白菜も無音を吸って大きくなる。
 あの山に登れば海までが私の身体だろう。
 樹冠から半身を出せば、この黒松も私の身体だ。
 足許には崩れたスレートの弱電工場。
 納期に追われて忙しい。



2006年 10月 21日

■ ナルAっを

 
 器の空ろな部分が実は器の用であるように、秋は生きることの虚の部分が斜めの陽に濃くなる。
 なんてこったが深くなる。
 それはそれが基底なんだけど、あんまり「穴」が深いんで膝を抱えて怯えてみる。
 この身体が非在なんよ。
 山が散る、海が散る、空も散る。

 朝、前日の剪定ゴミを山の畑に捨てにゆく。
 枝葉は腐らせて腐葉土にして再利用している。
 太い幹枝はストーブの燃料。
 無人販売所に野菜を出している婆さんが坂道を上ってきた。
 最近59歳の息子を脳梗塞で亡くした。
 婆さんの腰はいっそう曲がった。
 背負子のカゴが大きく見える。

 現場へゆく途中に安い自販機がある。
 500mlのペットボトルが90円、100円。
 仕事へゆく職人や工員がクルマで寄って買ってゆく。
 工員服を着たヤンママが隣に乗り付けて去ってゆく。
 みな無言の一日の始まりだ。

 そんなこんなが日々の気付け。
 非Aが非Bに、
 それは奇跡よ。

 今日の現場からは遠くに海が見えた。
 海の真ん中に白い船があった。
 私は無人の庭で、
 モッコクの枝を透かしサザンカの花を浴びた。



2006年 10月 13日

■ 満月のグランド

 
 満月の夜、近くのグランドで犬と走った。
 疲れてベンチに寝ころんぶと、雲の切れ間に星が見えた。
 空に風は強く、雲がごんごん流れていた。
 月光を浴び全天を航海している船がある。
 
 肺に違和を感じてスキャンしてもらったが、昔の古傷があっただけだった。
 疲れが溜まっているらしい。
 自営のアタマはいつも仕事の段取りとカネ計算ばかりで伸びた飴のようだ。
 ON/OFFの区切りがないのなら、全部OFFだと思えばいいんだろ。
 あるいはハレとケのリズムに転換する。
 ジェロニモの生活を思い出せばいい。

 人間は未だ人間にとって未知の問題であるということ。
 私は死ぬのではなく消滅するのだということ。
 最後まで得体の知れぬものに晒されるということが生きるということだ。
 犬は笑いながら走っている。



2006年 11月 03日

 ■ さやか


 柿の実が朱い。
 すすきが金と銀の風に踊っている。
 これは階層だ。
 あの日にもあの場所にも繋がっている。

 畑の腐葉土を掻き出すと、カブトムシの幼虫がごろごろいた。
 畝に運んだ中にもいたので元の堆肥山に放り投げた。
 放物線を目で追い「しまった!」と思った。
 あのイモムシは私だ。
 深く眠っていたところをいきなり捕まれ空に放られ重力に叩き付けられる。

 月がいいのでグランドで走った。
 影が前を走る。
 影に引かれて実体が走る。
 ときおり白い犬がどたばた駆けてくる。
 ぜんぶ清かな月の下。




2007年 01月 06日

■ 存在地図

 
 空にいるときも、水や地中にいることをしていないと不安になる。
 それが流れるこの身の有様なのだから、止まらないでゆけばよいのだろう。
 濡れているのは池でも雨でもなく言葉である。
 そこを魚が跳ねる。
 出来事の全体が跳ねて、言葉が生まれる。


 正月は二年ぶりに京都に寄った。
 西芳寺や天龍寺の庭を見てきた。
 夢窓疎石は庭に「自然」を取り入れたというより、「神」の超越を呼び込んだようだった。
 そのことが何なのかを考えよう。中世ということ。


 帰りに寄った東京の恵比寿ガーデンプレイスや六本木ヒルズには何も感じなかった。
 高度な空間性が売りなのだろうが、山や渓流の方が複雑で高度だった。
 どれだけ多くの構造を容れ子式に内包しているかに、質感というものは現れる。
 その意味で現代都市空間は書き割りじみた安っぽさがある。
 吹き抜けから各階の喫茶テラスが一望できる空間があったが、渓流ならあの各階層をつなぐモミジがある。
 表面的な複雑さではなく、階層的な複雑さを構成できた時、都市はより自然に近づくはずだ。


 今年は真面目に少しずつ物書きしようと思う。
 書くことは何にせよ、ある全体性に楔を打ってくれる。




2007年 01月 07日

 ■ 矛盾のまま


 年末年始のバタバタが終わり、ようやく今日、家周りの片付けに掛かれた。
 まずは詰まった下水溝の修復と物置整理。
 ないがしろにしていた身辺が整序されて、ピンボケしていた心身が焦点を結んでくる。
 こういう時間が一番好きだ。
 ふと足元を見ると、小砂利がひとつひとつ意識して列べた石敷きに見えてくる。
 なんでもないところにそんな美を発見するのが好きだ。

 年頭の感を述べるとすれば、今年から背伸びはしない。
 身辺の問題や関係だけを深める。
 それが次元を超えたものに到達する確実な路のような気がする。
 実数のラインや平面上をいくら動いても、虚数の場には行けない。

 最近知った武術家、甲野善紀の言葉が面白い。
 「矛盾を矛盾のまま、矛盾なく動く」




2007年 01月 08日

■ 移動


 元日はいつも飛行機に乗っている。
 今年も眼下に富士山が見えた。
 こちらはシートに座っているだけなのに、身体にGがかかって、気が付けば窓の外が不思議なことになっている。
 信州や飛騨の山並みも見えた。
 あの雪山の麓の襞のひとつひとつに、日々を営む村落があると思うと気が遠くなる。

 帰路は新幹線。
 家並がすごい勢いで飛んでゆく。
 あの軒々にも人が住み、暮らしがあり、喜怒と哀楽がある。
 速度は呆然と連行し、仕事も生死も事件も記憶も流し去る。
 いま瞑った眼の間を、どれだけの犬と女と自転車と山茶花が過ぎ去ったろう。
 工場とピアノと信号と僧侶も過ぎ去った。
 そんな窓の遙か上空を、
 
 や、富士山。



2007年 01月 09日

 ■ 夜空


 仕事はじめ。
 門かぶりの黒松をゆらゆらと。
 仕事して、感謝されて、おアシを戴く有り難さ。

 夕暮れ、帰宅して道具を片づけ、期待で跳ね上がっている犬と高台のグランドを走りにゆく。
 夜空を走るのはいい。
 心肺が全身と宇宙を機能させている。
 犬は犬でいっぱいだ。

 時折襲う「虚無」は放っておく。
 虚無は存在の属性であって「私」ではない。
 私はこれらの「場」そのものであるから。
 私はただ自由であるのだよ。



2007年 01月 11日

■ 後ろの扉

 
 やるべきことが山積している。
 だが、取り敢えずは薪ストーブの焚き付けの柴折り、古竹割り。
 ぜんぶ仕事先の発生材。
 捨てればゴミだが、燃やせば暖になるし、灰炭は肥料になる。
 モズがどこかで鳴いている。
 猫と犬はそれぞれの日溜まりで午睡している。

 一日そんなことをしていると焦ってくる。
 こんな悠長でいいのだろうか。
 だが、身の回りを整序すること。
 まずは半径数メートルに手を入れること。
 それを疎かにして立てた世界はどこか嘘くさい。

 京都嵯峨野で向井去来の草庵「落柿舎」を訪ねた。
 手足を伸ばせば届きそうな小部屋が三つか四つほど。
 なるほどここでなら乾坤宇宙に対峙しやすい。
 息を整えるほどの暮らし。
 問題は後ろ側のドアである。
 それは部屋の隅々に手を入れていないと気付きにくい。




2007年 01月 12日

 ■ 雑木山


 近くの雑木山に苗木の掘り取りに入った。
 持ち主の許可を得た場所へゆくまで、林道を塞ぐ倒木が何本もあった。
 この間の大風で里山は大荒れに荒れていた。
 薪になる枯枝がたくさん落ちていた。

 昔は、風が吹いた後の雑木林は薪拾いの村人達が我先に入っていた。
 落葉はかき集めて堆肥にした。
 それで山は清められ、山菜やキノコがたくさん取れた。
 山はいつも庭のように手入れされ美しかった。
 今は誰の目にも触れられない。

 都市では里山を模した雑木の庭が喜ばれ、大金をかけて作り込まれる。
 中山間地は過疎と高齢化が進み、もはや集落を維持することも難しい。
 この村も昨秋から路線バスが廃止になった。

 クロモジがあったので掘り取った。
 堆積した落ち葉を掻き分けてスコップを入れると、さっくり、根鉢が冬の日溜まりに浮き上がった。




2007年 01月 13日

■ 寒風

 
 用事でうろうろとクルマを走らせる。
 工事渋滞で何度も足止めを喰らう。

 ふと見ると、塀と塀の間を水路が流れている。
 水はこちら側へではなく、あちら側へ流れてゆく。
 水は満杯に光っている。
 きのうこんな夢を見た気がする。

 いちにち寒く風が強かった。
 アスファルトを打つ工事夫らが、みな同じ紺色のヤッケを着ていた。
 それぞれ等間隔で記号のように作業していた。
 今朝そんな夢を見た気がする。

 ガードマンは今日も旗を振っていた。
 旗がバタバタなびいていた。
 風は明日も吹くだろう。
 それは現実だろう。
 
 夜また犬とグランドへ行った。
 木の間越しに集落の灯りがみえた。
 家々の明かりと星のあかりが同じに見えた。



2007年 01月 15日

■ 掘炬燵

 
 久しぶりに山の婆さんと話す。
 深い掘炬燵には炭が赤々と燃えていた。
 雪見障子から見る庭には杉苔がうるさいくらい自生していた。

 婆さんは出がらしのお茶を何度も勧めて話がつきない。

 このあたりはマイナス20℃になることもあって、そんなときは杉の木立も割れる。
 樹氷の朝はあんまりきれいなので、家族みんなを起こしてしまう。
 孫がイノシシの群れと出会った時は、大声を出して難を逃れた。
 隣県から山菜やキノコを採りにくる業者が増えた。
 最近は山苔を買い付けにくるものもいるが、自分らはもう山に入ることもなくなった。
  …………。

 山の年寄りは自分の経験したことしか話さない。
 メディアや観念の話をしない。
 肌艶がよく頬に赤みが差している。
 山の稀人(まれびと)である客人を愛おしそうに接待する。




2007年 04月 10日

 ■ ありますな


 結句、時間というものが不可思議の極み。
 私は確実に老いて死ぬものだよ。

 いつのまにか春になった。
 一月半ばから取りかかった庭造りに漸く目途がついてきた。
 石や土やセメント、水平や垂直や合端。

 毎日ヤッケでろでろ、身体へろへろ、ヒゲぼさぼさ。

 この場所も三ヶ月近くサボってしまった。
 犬と夜のグランドで走ることも止めてしまっていた。
 月が見るたびに丸くなったり尖ったりしていた。

 分断も連続も不可思議の極み。
 カタクリの花が咲いてまた消えてゆく。
 それはあなたのどんな身体だろう。

 こんな密度を宇宙のように抱えながら、
 少しずつ染め行く山になったり、
 光散る川になったり、
 ほどけてゆく空になったりして、
 今年も春がきて、春がゆくのでありますな。



2007年 05月 06日

■ 五月


 結句、身体だということではないですか。
 ほんに切ない蝶々でありますことよ。

 夜行バスに乗って、新緑の桂離宮と修学院離宮を見てきた。
 羽化する蛹のように緊張した。
 これはどんな未知の始まりでありましたか。

 帰って犬と久しぶりにズリ山のグランドを走った。
 月の十三夜。
 月波楼にも負けない。
 在ることはいつだって不安定なのに、犬は犬は犬。
 おまえは何の蛹でありますか。
 おまえも写真のように消えますか。
 
 うすらうすらと溜まった新聞を読む。
 ゆるい言葉で世界は更新されてゆく。
 私はまだこのOSが解らない。

 誰でもない人。
 それが各々の私です。
 そんなカラダでの生活を接続する、 また五月になりました。



2007年 05月 07日

■ 花

 
 結句、「位置」ということは何でありますか。
 この五月の関係の総体に出来事としての私が問うてみる。
 モノはみな不思議な姿をしている。

 あっという間に草が伸びた。
 誰も見ない売れ残りの植木畑に花が満開だ。
 時間の次元はどうなっているのだろう。
 「さんそうろう」と鳥が飛ぶ。

 花は花の時間を生きて花開き萎れ腐り、
 葉を繁らせ枯れ落ちてまた春が来た。
 何でありますか。
 仕事を忘れて陽を浴びてござる。




2007年 05月 23日

■ 祈り


 祈るような時があり、
 祈るしかない時があり、
 オレだって、と、
 まっさらの声を出したい時があり、
 誰もが星にたったひとり突き刺さっているように思い、
 すぐ忘れ、日々の暮らしが続き、
 窓を開け、
 後ろを振り向き、
 深淵におののく。
 それでも時は容赦なく流れ、
 花が咲き、
 草を刈り、
 土を掘り、
 また移動し、
 高速で移動し、 
 土塀のように眠る。
 石を吊り、
 質量の殺意に酔う。
 また祈るしかなく、
 五体をくれてやる。




2007年 07月 01日

■ ひぐらし


 ハナミズキの木から降りて、地面に足先が触れたとき、不意に、
 この星に降り立ったという気がした。
 見上げれば透かした枝葉に空が青い。
 
 ずっと以前、塾講師をしていた時、
 教室へ向かう二輪車の背中を夕陽が差した。
 太陽は、他の惑星や衛星と一緒にこの星を照らし、私の背中を差している。
 その影が木々や電柱と共に伸びている。

 もっと以前、ひ弱な子どものころ、台風が去った河原に出て、
 ごんごん流れる雲を見た。
 雲は木星の渦巻きのように極彩色で、混沌として、命のようだった。

 時が経っても思い出すのはこんな情景ばかりだ。
 日々を繋ぐ喜怒も哀楽も、いつのまにか忘れ去っている。

 今日も暑かった。
 傍らで妻が懸命にサツキを刈り込んでいた。
 仕事帰りの山道でヒグラシの初鳴きを聞いた。




2007年 07月 02日

 ■ 長い雨


 一日長い雨が降った。
 家の両脇に流れる川にも雨が降った。

 雨が紫陽花に色をつけている。
 山梔子(クチナシ)が濡れて香っている。

 犬は犬小屋で眠っている。
 猫は窓辺で雨をみている。
 
 みんな永遠のように長い雨が降った。
 夕方になって妻が久しぶりにピアノを弾いた。




2007年 07月 04日

 ■ ねきもどき


 一日じたじたと雨が降った。
 しばらく窓辺で雨を見ていた「ねき」も、
 棚の上のダンボール箱に入り寝言を言い出した。
 猫も夢を見るのだな。

 外で野良猫が鳴いている。
 ねきと同じ赤虎のオスで、尻尾が潰れ、がに股だ。
 「ねきもどき」と呼んでいる。
 いつだったか犬に追われて家の前の桜の木を駆け上がり、
 木の股のところで降りられなくなった。
 二連梯子をかけて助けてやった。
 それから家周りによく出没するようになり、
 ねきと並んで窓辺に座ったりするようになった。
 ねきは不妊しているためか、あまり関心ないようだ。
 ねきもどきはなぜかご執心で、今日も外から呼びかける。
 ねきはダンボール箱の中で寝言を言っている。




2007年 07月 06日

 ■ 知らない顔


 今日は晴れたり曇ったり雨が降ったり、刈込んだり上ったり透かしたり。
 アタマの中で植木等の「こつこつやる奴ぁご苦労さん」が鳴りっ放しだった。

 風通しの良い高台の四阿で、三時の茶を頂いた。
 田園と阿武隈の山なみ。
 ぼんやり火照った身体を静める。
 ユウマダラエダシャクの成虫が飛んでいた。
 ハタハタと、産卵する葉を探して舞っている。
 一匹が視界から消えると、また新たな一個体がやってくる。
 カノンのように舞っている。
 
 今日もたくさんの殺生をした。
 枝裏に張り付いている巨大な毛虫をさくっと鋏で切断すると、
 緑色の体液があわれにこぼれ落ちて行く。
 とどめた心が落ちていく。
 それでも殺戮を繰り返す。

 ドウダンから黄色い蜂が舞うな、と思う間もなく、だっ、と額を刺された。
 目蓋が垂れて、家に帰る頃には、誰だか知らない顔になっていた。




2007年 08月 16日

■ 盆


 炎天。
 青田に風もない。
 墓地から下りると揚羽が頭上に二羽三羽舞っていた。

 舞っているのは死者の魂でも生者の妄念でもない。
 世界の多層だ。

 それが言葉の始まり。
 
 久しぶりに故郷の町を自転車でふらついた。
 変わるもの変わらぬもの。
 死んだ同級生の家は中学時代と同じまま朽ちていた。
 開けはなった窓から顔を出していた母親と目が合った。
 麦藁帽を目深に下げて逃げて来た。

 世界の底が抜けている。
 それを言葉に出来ないのは、もっと奥底があるからだ。



2007年 08月 17日

 ■ 慈雨


 やっと雨が下りた。
 植木畑には近くの水路からバケツで水やりしていたので助かった。
 緑たちが細胞をひらいて喜んでいる。
 日陰に集まっていた土の中のミミズたちも大っぴらに動き回るだろう。

 朝晩重ねられていたヒグラシの多重奏もめっきり少なくなった。
 代わりに秋虫たちが庭先で音を揃え始めた。
 何もかもがまた移ろいゆく。

 今日は一日家に籠もって本を読んでいた。
 書かれた言葉はいつも何かが足りない。

 炎天を歩き回る蟻の配置や、
 渓流をすばやく奔る魚の影や、
 葉脈を伝う水滴の中に、
 欲しい言葉はたくさん隠されているような気がする。
 だが身体の焦点が合わなくてうまく読み取れない。

 水平に背を曲げて歩く老婆や、
 町ですれ違うたくさんの人々、
 テレビやラジオで元気な人まで、
 気圏の中に散らばった色帯のように、
 何処から来て何処へ行くのか分からない。



2007年 08月 18日

■ 蛙


 雨の夜道にクルマを走らせていると、蛙が草藪からいくつも跳びだして来る。
 柔らかいものが宙空に跳ね、自らの重みでべしゃりと落ちる。
 そんな放物線がライトに照らされ、いくつもいくつも重なる。
 これは何かのメッセージなのだろうか。
 幾匹かをタイヤの下敷きにして、
 帰省から戻った妻を迎えに高速のバス停へ急いだ。
 




2007年 08月 19日

 ■ 縁側


 また暑さがぶり返した。
 そろそろ仕事を組み立てていかなければならないのだが、
 この夏の太陽はあんまり暴力的だ。
 今日も縁側に扇風機を持ち込んで無為に過ごす。
 猫と一緒に庭を見て過ごす。
 移り行く雲を見て過ごす。
 蝉が鳴いている。
 芝の中を忙しげに黒い虫が歩いている。
 猫はときおり耳を回したり、尻尾を立てたり、柔らかく溶けたりしている。

 世界は依然不安な断層を畳み込んでいるのだが、
 今日もその底が割れないので無為に過ごす。
 
 空がかき曇った。
 雷が鳴り、シャワーのような雨が下りた。
 




2007年 08月 20日

 ■ 雲


 雲を見ていると飽きない。
 心を吸われる。
 夏は青空に入道雲が湧き上がる。
 それだけで打ちのめされたように嬉しい。
 いつかスペースシャトルが撮った地球の写真集を見た。
 薄い大気圏に積乱雲がキノコのように立っていた。
 あの雲の下に私達の生活がある。
 なんとゴージャスなシャーレだろう。
 無の寒天培地に、多様な階層を作り上げ、その奥底に存在が立ち上がる。
 なんとまあ天晴れな水族館だろう。




2007年 08月 21日

■ 蝉


 酷暑。
 仕事を入れた。
 モーローと枝葉を鋏んだ。
 日向に出ると被爆している気になる。
 
 盆前にハサミ類を研いでおいてよかった。
 休み明けに錆びきった道具を使うのはめげる。
 乗り込んだ樹に申しわけないし、この身に失礼だ。

 砂利に落ちた葉を掃除していると死んだ蝉がいくつも出る。
 綺麗な模型のように蝉が落ちている。
 小ぼうきで掃いて箕(み)に入れる。

 命のらりるれろ。

 そのうち母が入るし、父が入る。
 人間どもがみんな入る。
 縁起まるごと流れて夕暮れ、
 今日のおアシ戴いて家に帰る。




2007年 08月 22日

 ■ 雷雨


 今朝の地方紙に、ゴルフ場に忍び込んだ男が、自販機の下敷きになって死んでいた、と出ていた。

 「休憩所には高さ二㍍ほどの自販機が二台並び、男性は一台の自販機の端から頭を出す形でうつ伏せの状態で下敷きになっていた。もう一台が扉をこじ開けられ荒らされていたことから、男性は残る自販機も開けようとして誤って下敷きになったとみられている。自販機は一台三百㌔はあるという。近くには長めのバールや厚紙で作ったお面があった。男性は身長が165㌢、やせ形で上下が紺色のかっぱをまとい、黒色のゴム長靴を履いていた。宮城県在住の五十歳前後の男性とみられ、」「ゴルフ場はクラブハウスを改装中で営業しておらず、従業員が二十日朝から駐車場に宮城ナンバーの不審車が止めてあったのを見ていることから二十日早朝までに侵入し、死亡したとみている。」
(福島民報2007/8/22)


 今日は採石場に行って、庭に使う石を積んできた。
 炎熱のせめてもの日よけに麦わら帽を被って石を選んだ。
 汗が出ると水冷になって少しは凌げた。
 それでも水筒の氷水を頭にかぶった。

 土場に石を下ろそうとしたところで雷音。
 空を引き裂くように光と音が走った。
 すぐに土砂のような雨が降った。

 ゴルフ場に忍び入った見知らぬ五十男は、
 「厚紙で作ったお面」
 「雨合羽と長靴」
 「長めのバール」
 「自販機から頭を出して」
 人知れず死んだ。
 上手くいっていれば今日の昼には隣り合わせてラーメンを啜っていたかも知れない。

 雷雨は夜になっても止まない。
 植木には佳い雨だ。




2007年 08月 24日

 ■ 堆肥整理


 日々の底が割れて立っていることもしんどくなると、堆肥整理や畑の土いじりをする。

 仕事で出る剪定ゴミは崖下の畑に捨てて、堆肥にし、時折整理している。
 太陽光と雨と虫と微生物にこなれて、枝葉は次第に腐り、湯気を出し、発酵する。

 こちらがこちらの日々を経由している間、マキもサクラもベニカナメも、ツゲもコブシもモッコクも、ツツジもマツもヤマボウシも、みんな皆それぞれの速度で腐り、発酵し、分解されてゆく。

 堆肥鍬やホークでその山を切り返してゆく。
 骨になった枝はより分けて別の山にする。
 これはこれでストーブの焚き付けの柴になる。

 ひと山崩すごとにミミズやアリやムカデやイモムシが転げ出る。
 菌糸の固まりが「むわっ」と湯気を出す。
 ここにはここの階層があり、ここの時間が流れ、たくさんの連鎖があり、生成や消滅がある。

 汗を流しながら作業していると、なぜか身毒が流れ、虚無などどうでもよいことのように思えてくる。

 畑をやっている時もそうだ。
 土は生き物だ。
 世界の向こうにはいくらでも世界がある。




2007年 08月 25日

 ■ 鹿踊り


 畑の畝立てから帰ってうどんを食べて昼寝した。
 縁側の向こうの日射しの庭で、蝉がジージ、ミンミンと波立っている。
 立ち上がる波の中を、在る物、在らぬ物が陰影する。
 夢もうつつも水底の光紋のようだ。
 午睡の後はいつも哀しい。

 連続すること、分断することのほつれ目を、ほどく様に、結ぶように、また畑で畝を立てる。

 夕暮れ、家に帰ると近くの不動堂から祭り囃子が聞こえた。
 風呂上がりビール片手に、こども鹿踊りを見た。




2007年 08月 26日

 ■ コピー


 残暑が続く。

 あちこちでテッポウユリが咲き誇っている。
 あぜ道を行くと、もう稲の香がする。

 村の老人から野仏や古文書を調査した本を借り受けた。
 涼みがてらコンビニでコピーしてきた。

 コンビニには入れ替わり立ち替わり人が現れた。
 飲食物を買い、雑誌を買い、ATMで金を下ろし、荷物を送る。
 今はネットとコンビニと宅配便があれば生きてゆけるのかも知れない。

 手元では馬頭観音や六地蔵の写真、村の年貢や借金証文の古文書が複写されてゆく。

 切り通しのようなところを通って馬の背に塩を運んだ。
 獣に襲われにくい見通しのよいところで一休みした。
 辿ってきた村々が一望できた。
 むこうに幽かに見える青い弧が海だ。

 コンビニの窓からコピーされたような夏の空を見る。
 今日は夕立も来ない。




2007年 08月 27日

 ■ 虻


 今年はアブが多い。
 山の畑などへゆくと背後をやたら飛び回る。
 軽トラの中にも入ってきて中々出て行かない。
 運転中、フロントガラスに止まった虻を叩き潰そうとして、崖から落ちそうになる。
 
 アブは叩くとスカスカだ。
 よくもこの質量であんなうるさい飛び回りをすると思う。

 アブは咬む。
 そのことを知ったのは山下欣哉さんと話していたときだ。

 欣哉さんが自作の小屋で、いつものようにソクラテスやプラトンの話を、見てきたように活き活きと話しているとき、大きなウシアブがあぐらをかいた太ももに止まった。
 20代の私はアブがいかなるものかよく知らなかったので、ソクラテスとアブを交互に見つめ、時に相槌を打ったりしていた。

 そのうち欣哉さんが「イテッ」と叫んでアブを払った。
 アブは咬むのだ。
 蚊のように血を吸うらしい。
 あとで猛烈に痒くなる。

 欣哉さんは太ももを掻きながら、また古今東西の古典を語った。

 山下欣哉さんは、私が植木屋になってしばらくして亡くなった。
 広島で被爆して、移動した長崎でまた被爆したと言っていた。
 私が知る最も自由な生き方をしたひとだった。
 欣哉さんのことは、また綴ってみたい。




2007年 08月 28日

 ■ 風の音


 雑木山のコナラにかじり付いて谷の向こうを見ると、どこかしら秋の気配がある。
 猿のように高い枝に留まったまま手甲で汗を拭った。

 そういえばさっきツクツクボウシが鳴いていた。
 蜻蛉がついっ、ついっ、と幾つもの線を引いた。
 
 掃除をしていた妻が、

  吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風を嵐といふらむ
                            (文屋康秀)

 とつぶやくので、何だ? と問うと百人一首らしい。
 ふと出てきたのだという。
 わけ分からずとも古典は暗唱して身にしておくものだ。

 今朝は雨模様だったので、仕事に出るかどうか迷った。
 夜中に猫に起こされて寝不足だった。
 猫は人間の都合など斟酌しない。
 
 合羽と長靴を用意したが、現場は足袋のまま凌げた。
 ああ、なんとか今日も一日になりました。
 午後からはもっと風が深くなった。

  秋来ぬと目にはさやかにみえねども風の音にぞおどろかれぬる
                            (藤原敏行)

 これから光は少しずつ斜めに内省してゆく。
 なぜだか知らぬがこの星は回り、周回しながら傾いて、色んなものを明滅させる。




2007年 08月 30日

■ 水


 夜中に強い雨の音で目が覚めた。
 枕に振り込むような雨の気配に、開け放った窓を閉めた。
 猫がじっとこちらを見ている。

 傍の堰堤から水がごんごん落ちる音がする。
 この濁流にもまれて山の魚たちも流されてくるのだろう。

 暗闇のなかで水の音を聴いていると、自分というものが中空に浮いてゆく。
 不可思議なものが、不可思議な世界に澄んでゆく。

 朝になっても雨は続いていた。
 家裏の里芋畑の大葉に、水滴がころころ転がっていた。
 薄暗い雨の朝に、そこだけが光って見えた。



(写真付きブログ)
https://hinosukima.exblog.jp/



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