見出し画像

日のすきま セレクト集(2009年2月~2013年6月)


 ■ 祈り 
2009.02.24


 今年50になる。
 ずいぶんアタマが悪くなった。
 
 なのに「それ」はまだある。
 日々の起き伏しを蝕んで、
 虚空に投げ出された気になる。
 
 仕事が暇なので毎日、薪割りをしている。
 鉄斧で「それ」を真芯から叩き割る。
 木喰い虫がこぼれて、鳥たちが啄みにくる。
 鳥たちは必死だ。
 
 「それ」を何と名付けようと、
 私は「それ」の現れに過ぎぬのだから、
 ただ私が上手にあらわれますよう、
 「それ」から外れて迷いませぬよう、
 起き伏し祈るしかないのだ。

 割った薪をストーブにくべて、
 炎を見つめる。
 炎は非在のように戯れ、
 かたちあるものを無くし、
 時だけが流れる。




 ■ 雨が続く 
2009.02.25

 

  雨が続く。
  かしましかったヒヨドリの声も
  今日は聞こえない。
  (アオキの実はぜんぶ喰われた)
  
  雨が続く。
  薪を取りに外へ出ると、
  山の畑の梅の木が、
  ぼんやり花を灯している。
  
  雨が続く。
  飼い犬が物憂げに、
  雨の降るのを見ている。
  (犬は今日も犬の姿をしている)

  雨が続く。
  犬が濡れ、
  世界が濡れる。
  言葉が濡れ、
  時が濡れる。
  




 ■ 時のこと 
 2009.02.25

 

 時のことを感じることが多くなった。
 ぼんやりと、流れゆくもののことを感じる。
 考えても仕様がないから、ぼんやりと感じる。
 それは感じるしかしょうがないじゃないか。
 猫があくびする。
 
 昔のことを思い出さなくなった。
 そういえばそんなことがあった、…ような気がする。
 でも、もういまはない。
 いまあるのは、おぼろな、身体の輪郭。
 内臓のような環界。
 
 あのね、
 死んでしまったものはもういない。
 そういう時間にいってしまった。
 時間にはそういう種類がある。
 時間に種類があるなんて知らなかったろ。
 
 毎日、夜明け前に起きる。
 それから、おろおろ生きる。
 こころが、満ち足りることは少ない。
 手や足を動かしているのを見る。
 そうして夜になって、
 猫と一緒に眠る。




 ■ イリヤ 
2009.02.27

 
 
 むかし九州の農村をセールスして歩いていた時のこと、
 あれは鹿児島だったか、熊本だったか、山の中の村だった。
 宿を出て、いつものようにスパーカブを走らせていた私は、
 桑畑のようなところで、どうしようもなくなった。
 
 冬だったか、春だったか、日溜まりのようなところで、
 病気でもないのに、うずくまっている自分が、
 異様な所作をしていることは分かっていたが、
 幸い辺りに人の気配はなかったし、
 ここは通り過ぎるだけの土地だった。
 
 その日は朝から、世界がずれて、
 ひとの姿を始めるのが苦痛だった。
 そうだ、いま思い出したが、
 私は、いつも、虫のように、
 魚のように、犬のように、
 ………。
 
 とうてい人に話しかけ、物売りし、契約取りする気になれず、
 私は桑畑で、
 うずくまっていた。
 空の真下に、
 引きこもっていた。
 風もないのに
 木々はざわめき、
 海川は手をつなぎ、
 姿を変えた。




 ■ 草引き 
 2009.07.24

 

 朝から雨模様で今日のお客は延期にした。
 毎日天気予報ばかりみている。
 
 雨の止み間に植木畑に出て、伸び放題になっていた草を引いてきた。
 草は雨上がりに引くのがいい。
 根が抜けやすいのもあるが、水気のなかで生きてきたことそのものが抜ける。
 それは無造作な手触りだ。
 
 地面が濡れるとなぜか蚯蚓(ミミズ)がよく顔を出す。
 渓流釣りに凝った頃はこれでよく近くの川に出た。
 水から魚を引き上げると、いのちが手のなかで跳ねた。
 それも無造作な全体の手触りだ。
 
 植木の根元に這いつくばって草を引き、今にも降り出しそうな空を見る。
 ここは水底で、
 私は魚だ。





 ■ カブトムシ 
2009.07.26

 

 太陽が額をじりじり灼くような日だった。
 できるだけ影を選んで仕事した。
 影がなくなると、フレアを浴びる宇宙船飛行士のように気合いを入れた。
 昼はコナラの木陰で弁当にした。
 蟻が舗路を忙しげに歩き回っている。
 それが蜃気楼のように見えた。
 ヒグラシが啼く頃、おアシをいただいて帰った。
 
 家に帰って道具を片づけていると、脇を流れる用水路の縁にカブトムシがいた。
 サナギの時に傷ついたのか、翅が萎縮したままだった。
 これでは自由に飛び回ったり、交尾の相手を見つけたりは出来ないだろう。
 陰気なところで動かないので、死んでいるのかと思った。
 足先でつついたら怒ったように動いた。
 
 子どもの頃、近所におが屑を山積みにしている空き地があった。
 夏の夕暮れ、そのおが屑の山から、次々にカブトムシが這い出してきた。
 これから世界は祝祭が始まるようだった。
 小学生時分の一番楽しい思い出はこのことだったような気がする。





 ■ 海の上の月 
 2009.08.10

 

 海岸沿いに温泉健康センターがあり、回数券を買って、仕事で強ばった
身体をほぐしにゆく。
 露天風呂で夜風に当たっていると、海上に月が出ていることがある。
 月光は朧に、あるいはさやかに、海面に光を垂らしている。
 それが布のように動き、生き物のように見える。
 一体となり、ゆったりと動き、そのまま砕けて砂浜に消える。
 
 妻の母が倒れて、妻は広島に帰り、ずっと病室に寝泊まりしている。
 死を不安がる母の手を握り、子どもをあやすように、娘が付き添っている。
 自分の母親が小鳥のように怯え、震えているのを見つめることとは何だろう。
 たまりかねたように妻は時折泣きながら電話かけてくる。

 昨夜からずっと大雨。
 あらゆる川は濁流となって氾濫している。
 雨はいつ止むとも知れないのに、生殖を急ぐ蝉たちが、雨の葉陰でせわしげに鳴いている。






 ■ アオサギ 
 2009.08.14

 

 遠出の仕事を終え、山に帰る途中の橋のたもとに、大きな鳥が佇んでいた。
 暗闇のなか街灯に照らされ、舞台に立つ役者のようだった。
 少し羽を広げて観客にお辞儀しているようにも見えた。
 アオサギだった。
 大水の出た次の夜だったので、巣にしていた木が流されたのかも知れない。
 それとも街灯に集まる虫たちを狙っていたのか。
 自宅で単身赴任しているような毎日、
 荒れた庭の手入れ仕事に倦み疲れ、やさぐれた気分だった毎日に、
 アオサギは孤独の象徴のように凛然としていた。
 その夜はぐっすりと眠れた。
 
 翌朝、きのうの橋のたもとを通ると、アオサギが道路脇に死んでいた。
 羽をたたんで、大きかった身体が半分くらいに小さく見えた。






 ■ オニヤンマ 
 2009.08.20

 

 家々の門口に送り火が焚かれ、死者がどこかへ帰ったと思ったら、すっかり秋めいてきた。
 耳を澄ますと草むらから秋の虫たちの声も聞こえる。
 何もここに刻んではいないのに、また季節が移ろうとする。
 さっき鳴いていた蝉が落ちたのは、どんな出来事が重なり、満ちたのか。

 生まれ生まれ生まれ生まれて、死に死に死に死んで、なお時は移ろう。
 こころは常に遅れ、見えない全体を引きずる。

 茫然と庭を眺めると、ギボウシの花がくたれている。
 その庭からオニヤンマが水平な線のようにやってきた。
 悠々と、だが必死に羽ばたいて部屋部屋を通り、開けた窓から去っていった。





 ■ びゃうびゃう 
 2010.01.12

 
  ときおり自分のOSが不具合になる。
  無の荒のに放られて、日を送る後ろで風が鳴る。
  びゃうびゃう、びょうびょう、ちょうじゃふ、ふぁふふ、、
    
  世界が張り付いて逃げ場がない。
  ひとにはなんにせよOSが必要だ。
  時を奏でる甘美な仕様。
  時と場所と私がうまい具合に作動して美しい一瞬を。
  
  全山紅葉の渓流があって、
  私は無限に手を振られ、
  もう、いいよぉ、
  と啼いたのだった。
  岩魚の語る。
  
  あおい青い海空があって、
  私は世界の向こうから、
  こちら側を、
  ぜんぶめくり返してやったんだ。
  蟹の語る。
  
  冬風の中、畑を耕しました。
  腐葉土の下には、カブトムシの幼虫が、
  ごろごろ、ごろごろ、転がっていました。
  みんな月の色をしていました。






 ■ 芙蓉 
2010.08.04

 
 久しぶりに仕事に復帰した妻と現場へ向かう道すがら、芙蓉の花が咲いている。
 芙蓉は白く儚げで真夏の強い日差しに幻のようだ。

 「もうお母さんに芙蓉の花の写真は送れなくなったんだ」と、妻は呟いた。
 妻は病床の母に携帯で季節の草花の写真を送り続けていた。

 それは早春のニリンソウであったり、カタクリであったり、初夏のマタタビの白い葉であったりした。
 住んでいる山里の季節の香りを送ることで、母を慰めようとしていた。

 だが、それもこれも終わってしまった。

 あれからヤマユリは腐(くた)れ、オニユリが咲き、ノウゼンカズラやムクゲが咲き誇る盛夏となった。

 そして、これらももうすぐ枯れ、次第に秋が色づき、また冷たい冬になるのだろう。
 この世は時だけが君臨し、とどまるものを許さない。

 存在は咲き、私たちは行き過ぎる。
 芙蓉は白く儚げで、真夏の強い日差しに非在のように立っている。






 ■ 移行
  2010.10.30


 ヒッヒッ、とジョウビタキが鳴くようになり、モズがキーィキーィと空を裂く。
 アケビの実が割れ、萩も色づいた。
 雨ごとに季節は進む。

 霜が降りると、植物とともに、目に見えない生き物たちが眠り、死に絶え、風景は清浄なものとなる。
 移行することによる清浄。

 春までに行きつ戻りつしながら、このプログラムは続くのだろう。
 そうしてまた再生のプログラムに少しずつ移行し、新しいステージが始まる。

 私たちはそのことを感じ、忘れながら年を重ねる。
 気がつけばそんな主体もいつの間にか移行し、もう自分の時間が少ないことを知る。
 祖先たちはそんな風にして墓に入った。
 私たちもそうなる。

 山の上から木々が燃えてくる。
 ケモノたちは巣ごもりし、車道に出て轢き殺される。
 落ちた木の実は食べられ、蓄えられ、忘れられて、また来る春を待つ。

 いま渓流の魚たちは水底に揺らめき、魚の時間を眠っている。
 神様には神様の時間がある。
 私たちの生活の下地のようにいつも流れて、風景を深くしている。





 ■ 一年 
 2010.12.30


 脚立を立て替えるため松の樹冠から下りると、日陰にまだ霜が残っている。
 霜で縁取られた草は美しいな。
 色んなものを眠らせて、色だけを際だたせている。
 
 一年ぶりに手入れに入るから、同じもの、変わったもの、定点観測のようだ。

 時の流れ。
 風景の質が明らかに変わって見える。
 
 風景の質。
 降り積もった時間の層が何かを変えている。
 去年の手入れの鋏跡を見ながら、今年伸びた松葉を摘んでゆく。
 毎年、毎年、同じ事をしながら、同じ事をしている自分を見つめる。

 お客さんにも一年の変容。
 家族を失ったり、巣立ってあらたな命を得たり。

 「子、川の辺にあって、曰く、逝くものは斯くの如きか、昼夜をおかず」

 老・孔子の佇まいが、その息吹が聞こえてくる。
 そしてまた、水に流されながらも、その岸に佇み、詠嘆する「場所」が、
 人間にあることの不可思議を思う。

 よいお年を。





 ■ 陽の移ろい
  2011.01.09


 冬の朝、くねくねした山道を下りる。
 陽の当たる場所と当たらない場所が、くっきり分かれている。
 山襞のわずかな加減で、光はそこで温もったり、翳ったりしている。
 こんな真冬の朝にも、いち早く陽の当たる場所がある。
 そんなところに小屋を建て住んでみたい。
 少しずつ建物を増やし、周りを整備し、植物や石や土、生き物と暮らしたい。
 それはこの世の厚みだ。

 この世の厚み。
 時は流れ、在る者は移ろう。
 一瞬は断崖で、
 世界は鱗粉のように降る。
 野が野をみている
 空が空をうつしている

 祈りでもなく、叫びでもなく、契約でも、黙示でもなく、
 どんな惨劇も苦痛も、そのまますべて、私たちでありますように。
 蝉が落ちて、蟻が運び、雷雨に流され、また草木が生えますように。
 鳥が落ちて、空が言葉しますように。
 雲も風も言葉しますように。





 ■ その後
  2011.04.10


 4/5

 出来事の意味は後からやってくる。
 日常は続けられる。
 どんなイマジュネーションとも別のところで
 出来事は起きた。
 そのことの意味がつかめないまま、
 昨日と今日が続いてゆく。
 そして日常は唐突に分断された。
 感情が麻痺する。
 人々が死に、
 古里がなくなった。
 そのことの意味がまだわからないでいる。
 風景が変わった。
 あの人もこの人も死んだ。
 でも取り敢えず今日の水を求める。
 今日の食料や燃料を求める。
 預金残高を確かめる。
 責任を誰かに求める。
 誰かの瑕疵をあげつらう。
 世界はもろい。
 そんなことは分かっていたのに、
 理解していた以上に世界はあやうい。
 私の状況はあの人よりマシだ。
 私たちは運がよかった。
 けれどその底で想像もしていなかった出来事が進行する。
 遠くにいる友人は安全な自分のところに避難してこいと云う。
 それはどんな構造だろう。
 それは何をやり過ごし、見失うことなのだろう。
 私の身体はここにある。
 この風景も、この厄災も私の身体だ。
 そのことに狂いはない。
 世界はこうなる。
 言葉はまだ何も潜っていない。
 言葉はまだ以前のままで、
 もう死んでいるのに、生き延びているつもりでいる。


 4/6
 
 内臓をやられているのに成形手術されているちぐはぐさ。
 海が膨らんで思い出も未来も持っていかれてしまった。
 それでもこの土地にへばりついている。
 森の匂いも風の手触りも自分の身体だから。
 春になった。
 陽光がやさしく降り注ぐ。
 それでも私たちのこころはどこかへ持っていかれてしまった。


 4/9

 南相馬市鹿島区大内。
 避難していた父と父祖の土地を確かめにゆく。
 烏岬も右田浜も核戦争後の風景になってしまった。
 漁船が6号国道まで流されていた。
 以前は見えなかった海が、遠く美しい帯のように見えた。
 海の色だけが美しかった。


 4/10

 神話のような日々。
 自分が無力であることも分からない。
 春うらら。
 ウグイスが鳴いていた。
 裏の畑では菜花が咲き、蝶が舞っていた。
 川の水は清く、光がまぶしかった。
 私はクルマのシートを倒し、
 胎児のように眠った。





 ■ 原発のこと
  2011.04.23


 3号機が黒煙を上げた14日は断水したお客さん宅に水を配っていた。
 午前中より午後に回ったお客さんの表情が険しくなっていると思ったが、昼のニュースで爆発の映像が流れたためと後で知った。
 その夜の原子炉の空焚き騒ぎ。
 テレビがないので、携帯ワンセグの小さい画面でニュースを見て、避難を決めた。
 
 翌朝、水戸の妹宅に向かい、その途中で燃料を補給し、南相馬の両親を救出する準備を整えた。
 16日、阿武隈高原の谷間の国道349号を北上して、川俣町の手前で、飯舘村の叔父と合流した。
 叔父は燃料に不安のある私たちの為に、途中まで両親を送ってくれたのだ。
 それから一週間、水戸で原発の推移を見守り、いわきに戻ってきた。
 両親は妹宅に預けてきた。
 父はストレスからか、下血を出し、母は持病の鬱と人格障害を悪化させ、妹家族を困らせていた。
 
 事故から1ヶ月近く経った一昨日(4月9日)、父と南相馬の様子を見に行った。
 実家のある原町区、市役所近くの家は平穏で、地震による被害もほとんどなかった。
 屋内退避区域だが、人出もだいぶあった。
 南相馬市長が切実に訴えたように、一時はゴーストタウン化していたのだ。
 
 それから父の里の鹿島区大内に向かった。
 6号国道から海側に広がっていた美田は、みな泥沼と化し、漁船がその中に幾艘も横倒しになっていた。
 集落のあった辺りは瓦礫と化し、海岸から流された黒松の巨木が、根こそぎ流されてきていた。
 父は知人や縁者の家のあったところを見つけては、声にならない声を漏らした。
 
 津波では、従姉の家が流され、旦那と舅姑を亡くした。
 私の行っていた高校の体育館で遺体を確認した、という。
 姑が長らく行方不明だったが、つい先日焼却された遺骸写真で確認できた。
 
 父の実家を守っていた長兄(90歳)は、高台にある東の畑から津波が来るのを目撃したという。
 悪魔のような黒いものが、次々に集落を飲み込んで、自分のすぐ下の集落まで来たという。
 私は子供の頃から、この高台で海を眺めていた。
 時おり、津波を幻視して、こんなものを書いた。
 
 http://www.ne.jp/asahi/hiding/base/matukichi/coo/coo08.html
 
 20年くらい前に書いたものだが、現実の津波は無論こんなものではなかった。
 それは伯父の言うように、黒い悪魔だった。
 
 
 (4月11日 午前記す)





 ■ 原発のこと 2
  2011.04.23


 前回の文章を書いた、4月11日の夕方、震度6弱の直下型地震が来た。
 玄関のガラスが割れ、柱が歪み、本が散乱した。
 震源はまさにこの地で、村を南北に貫くように地割れが出来た。
 近くの中学校の体育館は傾いた。
 また断水し、ネットが繋がらなくなった。
 
 翌日、山の水を汲みに林道を走っていた昼過ぎ、また震度6弱の揺れが来た。
 震源はふもとの町。
 苦労して鉄筋を入れ、積み上げ直した大谷石塀が、きれいに倒れた。
 
 余震が頻繁になり、4.11の夜は3分おきくらいに、発破をかけたような地鳴りがした。
 あちこちの山が崩れ、道路が寸断され、集落が孤立しそうになった。
 空き地にクルマを停め、車中で眠る人が増えた。
 
 津波を除けば、3.11より今度の方があきらかに被害が大きかった。
 私はカメムシをかみつぶしたような顔で、倒れた塀の撤去作業をした。
 夜は、脇を流れる川からバケツで水を汲んで風呂に入った。
 水は濁っていた。
 
 それから1週間して、水が出た。
 ヒネルトジャー、ひねるとジャーと言って喜んだ。
 10日経ってネットも繋がった。
 ようやく身体の器官が戻った気になった。
 
 さて、原発のことを書こうと思ったのだ。
 今度のことがあって、色々勉強してみた率直な感想は、
 原子力は思ったよりしっかりした科学だ、ということだった。
 もっと危うい綱渡りの上に成り立っているものだと思っていた。
 だから無条件に、原発が嫌いだった。
 電力会社も、国策として原子力利用を掲げる国も信用ならなかった。
 原発の雇用と補助金目当てで生活を組み立てているわが古里の人々にも、
 我慢がならなかった。
 地元自治体は、東電の事故隠しの後、県が稼働を止めていた間、
 何度も再稼働を認めてくれと、陳情書を出していたのだ。
 いつか厄災が来て、大きなしっぺ返しが来るにちがいない。
 
 そして今度の事態になった。
 東電や保安院や政府のお粗末さは、
 私たち自身の危機管理の甘さに見合ったものでしかない。
 そのことと原子力利用の科学は、別レベルで考えなければならない。
 物質の持つ力を究明しようとする科学の態度は、
 人間の叡智の現れの一つだ。
 そのことを、陰謀論や、無菌主義で覆ってはならない。
 
 風評問題に表れるように、今度のことは私たちの品性、
 人間性の構造を新たに暴き出した。
 冷静でいるつもりの者は、遠くから表徴を振りかざして、
 何か言ったような気になっている。
 自分の身体、自分の現場、自分の生活を言葉することが出来ず、
 いつも上から目線で事態を解釈する。
 東電や政府を批判することで、自分は手を汚していないと決め込むのだ。
 
 そういう「他人事」性が、現地に留まる私たちを傷める。
 私たちに欲しいのは、具体的な復旧の道筋だ。
 「がんばろう」でも、「○×が悪い」でも、「□◇の陰謀だ」でもなく、
 汚染された土地で、百姓や漁や生活が、もう一度始められること。
 野や山や庭を楽しめること。
 自分の家に帰って家族が集まれること。
 たったそれだけのことだ。
 たったそれだけのことだが、そのことの中にしか、答えはない。
 そのことが出来たとき初めて、
 私たちは未来に立てるだろう。
 
 





 ■ 植木畑 
  2011.04.24


 上天気の雨上がり。
 家の前の桜の古木から、花びらが舞い散り積もっている。
 地面がまぶしい。
 昼前、置き場の石を片付けて、午後から植木畑の除草をした。
 今年初めての草刈、草引き。
 毎年7回はやっている。
 ハコベ、オオバコ、ツメクサ、ナズナ、スズメノカタビラ、タンポポ…。
 この間まで凍土だったところに、緑のものが柔らかい。
 
 雨の翌日は、草引きにうってつけだ。
 土がゆるんで、根が引きやすい。
 引いた草は集めて置けばまた肥やしになる。
 
 地面に這いつくばって、土や植物に触れていると、
 気持ちの澱がほどけ、身体の毒が抜ける気がする。
 土にも草木にも色んな生き物がいて、たくさんの階層がある。
 それらが互いに関わりあって、たくさんのものを育て、死に、
 更新してゆく。
 
 この畑は6年前に、近くのイチゴと小松菜をやっている農家から借りた。
 年一回、松の手入れをすることで地代に替えてくれた。
 それから何度この畑で時間を過ごしたろう。
 原発が爆発したときもこの畑で木を植えていた。
 周りには誰も居ず、景色が妙に静まりかえっていた。
 
 あれからフクシマの百姓は大きな重荷を負ってしまった。
 米を買っていた南相馬の親戚も、今年は作付けできないという。
 畑を貸してくれた人も、風評被害と闘わなければならない。
 
 いったい、放射線がどれくらいのものか、
 それが人体にどれくらいの影響を及ぼすのか、
 しっかりしたデータを持っているものがどれくらいいるのかと思う。
 ほとんどが「放射線・放射能」という「言葉」に、右往左往しているだけではないか。
 その言葉が本当に、故郷や、仕事や、家族を捨てるに見合うものなのか、
 「自然」とは何なのか、
 「健康」とは何なのか、
 「生きる」とは何なのか、
 
 「放射能」という言葉と対峙して考えてみる必要がある。





 ■ 余白の音
 2011.05.01


 五月。
 山川がやさしく笑っている。
 身を構成する分子のひとつひとつが甦る。
 生きるとはこの身を何かが奏鳴してゆくことか。
 
 私たちの真ん中には空洞があり、ときおり笛のように鳴る。
 音が聞こえて初めて、私たちは自身を知る。
 自分の音色。
 生存の感覚。
 
 世界には階層があり、たくさんのレイヤーが覆っている。
 一枚の面を縦様に見ると、びっしりと層が積み重なっている。
 それぞれの層の余白を埋めるように、上の層が描かれている。
 あるいは塗り重ねられて。
 
 私には私の余白がある。
 そのことで私は疼き、私は奏動する。
 私の音。
 私の生の面には余白がたくさんある。
 それが鳴れば、私には全体が鳴っている。
 全体の音。
 私の身体性。

 今度の震災後、様々なレイヤーが重なる中、はっきりした構造がある。
 人々は、まだ何か大きな陰謀や権力があると信じて、
 それと闘わなければならないと訴えている。
 私にはそんなものがあるとは思えない。
 あるのは制度疲労で、下手な役者が自分の役回りを嘆いている三文舞台だ。

 陰謀や権力は、
 どこかに大きな権力や陰謀があるぞ、
 今度の津波も放射能も、そいつらの仕業だ、
 などどいい回っている市民自身の中にある。
 私たちは騙された。
 私たちは何も悪いことをしていない。
 これらの人々のなかに、権力は巣くっている。
 
 そのことに自覚的でなしに、三文舞台を批判してもしょうがない。
 舞台は観客席の反映だ。
 むしろ群れとなった観客の方が私は怖い。
 
 群れはそのうち暴走する。
 それを止めることは、この舞台には無理な話だ。
 舞台と観客は同じ地層にすぎないから。
 
 山川がやさしく笑っている。
 身を構成する分子のひとつひとつが甦る。
 自分の音色。
 生存の感覚。
 私の余白。
 余白の音。
 
 私は私の余白を通して、私の全体が鳴る音を探し続けるしかない。
 この日常を愛おしみながら。





 ■ 春蘭
  2011.05.11

 
 雨の雑木林で下草を採る。
 落葉が堆積したところに春蘭がある。
 林内には雨が落ちない。
 雨は林の外側を糸のように降る。
 ここは不思議に明るい。
 
 世界は痩せてしまった。
 嫌な言説ばかりが大手を振っている。
 人間を世界を単純に薄っぺらくした言葉。
 現場から遠く離れたものほどよく喋る。
 
 雨脚が強くなると田の蛙たちの声が多くなる。
 ある日いっせいに男たちが野に出、畦を塗り、水が引かれた。
 それは豊かな言葉だった。
 
 今日で震災から2ヶ月。
 いまだ避難している人が福島県でおよそ10万人。
 気むずかしげな爺様が、テレビで、
 行方不明の身内を早く捜してやってくれ、と泣いていた。
 
 グーグルアースで、津波に洗われた故郷をみる。
 画像に表される土地の名。
 
 雫(しどけ)、大甕(おおみか)、萱浜(かやはま)、渋佐(しぶさ)、
 それぞれの土地には氏神があった。
 村の辻には石仏があった。
 
 それらがことごとく、津波に流され、放射線を浴びた。
 爺さんが、婆さんが、嫁が旦那が、孫が、子がなくなった。
 





■ ヤマボウシとシャクナゲ 
  2011.05.31


 
 わたしの家には眠るひとがいるよ。
 猫と一緒にいつまでもいつまでも眠っているよ。
 わたしはひとりで身支度し、外へ出て行く。
 わたしの仕事は土を掘り、木を植えること。
 スコップひとつでどんな穴でも掘るよ。
 穴を掘ることは好きです。
 土にまみれることは好きです。
 土は星と時間のかけらです。
 わたしは星と時間にまみれます。
 
 きょうは海辺のまちに行ったよ。
 家がみんな壊れていたよ。
 わたしの作った庭も壊れていた。
 海がふくらんでみんな流された。
 木も石も流された。
 残った土留め石を何個かひろってきたよ。
 山の中に何億年も眠っていた石。
 ここまで運んでここで海をみました。
 
 家に帰ると猫だけがいたよ。
 眠るひとはいなかった。
 わたしは植木畑の手入れをしたよ。
 雨ごとに伸びた枝葉でもう緑の回廊です。
 葉陰の暮れ空の向こうに月が霞んでいた。
 ヤマボウシが薄みどりの花をつけていたよ。
 シャクナゲが緋色の花を揺らしていました。

 




■ 白いもの 
  2011.06.08


 
 今ならばウツギとマタタビ。
 野を彩り、時を深くする。
 道沿いに生えている。
 谷沿いにも見えているよ。
 白いものの。
 あれは忘れた記憶。
 緑の夢のなか、
 ぼんやりと灯っている。
 
 忘れたねえ、
 みんな忘れてしまった。
 それでもこうして生きている。
 それでもこうして暮らしているよ。
 はい おかげさまです
  ありがとう。
 
 もうすぐ半夏生も咲く。
 向こう側へ行ったひと。
 遠くへ行ったひとが帰ってくるよ。
 ここは苦しいかい。
 ここはかなしいかい。
 忘れられない夢なのかい。
  
 惨劇は空に漂っている。
 それでもひとびとは、
 きのうと同じように挨拶する。
 こんにちは。
 はい おかげさまです
  ありがとう。
 





 ■ 正しく 
 2011.06.17



 雨の降る日はもどれない
 
 犬を連れて歩くよ
 山は崩れているよ
 野はどこまでも割れているよ
 
 ららら犬と歩くよ
 
 マタタビの葉白く
 ひきちぎっても白く
 雨が降っている
 
 雨はいま世界中に降っている
 
 (正しく絶望すること)
  
 犬は跳ねよ
 ららら
 この地を言祝げよ
 





 ■ 未来の亡者
  2011.07.20


 台風雨でぬかるんだ苗畑で草引き。
 雨の後は草が引きやすい。
 ポッドキャストでダウンロードした朗読ものを聴く。
 「きけわだつみのこえ」を初めて聴く。
 震災後の気分に近いものを、戦没学徒の手記に感じている自分に驚いた。
 
 いま多くの人たちは、
 国家が体制が企業が、とさまざまな陰謀論の作成に忙しい。
 
 だが被災地で感じることは、
 ただ、かけがいのないものたちが、
 ふるさとの海が山が風が土が、
 理不尽にいためつけられた、
 さらにこれからもそれが続くだろう、
 それに輪をかけて、
 私たちの身に沿わない言説が大手を振るうだろう、
 というやりきれない日常の変容、そんな現実の連なりだ。
 
 戦中、戦後が近しいものに感じる。
 自分が生まれ育ったあの高度成長時代や、バブルの浮かれぶりこそが、
 非現実のあぶくのようなものに思える。
 
 この連休に義母の一周忌で西日本へ出かけ、
 そのあまりの変容のなさに、
 私たちは未来から来た、
 ここは過去なのだと呟いた。
 私たちはいま未来にいる。
 それは戦没学徒の手記にすでにあった未来だ。
 これは歴史なのだろうか。
 
 昼飯時、たまたまみた能の所作のDVDを見て、
 これは死者の顔だ、
 能の舞手はそのままの亡者だ、
 来世を現世に次元を綾なして舞っている、
 と不意に思った。
 
 私たちの街はまだ道路が波打ち、海岸縁には瓦礫が山なし、
 発見されない死者が傷んでいる。
 この街で日常を送ること。
 魂を現世と来世の狭間に生きさせること。
 この歴史を生きること。
 亡者のままいきること。





 ■ ヒグラシとヤマユリ 
  2011.07.23



 夕暮れに風呂に入ると、ヒグラシが聞こえる。
 そんな季節になった。
 林縁にはヤマユリが咲き開いた。
 そんな季節になった。
 
 ヒグラシは今年も、黄泉から美しい箔を散らすように音を出す。
 まいねん毎年、そこから黄泉の次元が篩(ふる)う。
 ヤマユリは薄暗い林縁に濃い香りを放ち、
 五体のメタが崩れそうになる。
 
 私は、
 と呟いて、
 わたしとは何者であったのか。
 
 未来の私が、
 今のわたしより優れている保証はないのだ、
 と、気付いて愕然とする。
 
 時は残酷に総体を刻んでゆく。
 ならばこの、いまは、現今は、
 どんな他者の紛れ込む場所なのだろう。
 私は誰のみた夢なのか。
 
 私は、
 とつぶやいて、
 ヒグラシを聴く。
 ヤマユリの香りを思い出す。
 






■ 墓の花 
  2011.08.22



 夢をみなくなった。
 見ているのだけれど、それは夢ではなくなった。
 見るのはただ現実の断片。
 夢は現実のあれやこれやで構成されるようになった。
 
 私は夢をみなくなった。
 みんなそうなのだろうか。
 映画を見ても、本を読んでも、夢のようだとは思えなくなった。
 どこかで見聞きした安い定型の偏差。
 そんなものが私を覆うようになった。
 
 今日は雨上がりに草刈をした。
 駐車場や、堆肥場の通路や、植木畑。
 ひと月以上、ほったらかしていた。
 植物は動物になってました。
 高い植木に蔓が龍のようにからみついていましたよ。
 こんなのは夢に近いのかも知れない。
 
 私は思い出すこともなくなった。
 もっと若い頃は、色んな思い出にぐっしょり濡れていたのにね。
 路地を曲がるごとに、思い出は立ち上がり、襲いかかってきた。
 歩くごとに私はずぶずぶ。
 なんて生き物をやっているんだろうと疲れ果てた。
 
 さかな。
 鳥。
 虫?
 素粒子?
 
 いや、いや、忘れてしまいました。
 あれは、あなただったのでしょう。
 
 猫が鳴くので猫を抱くと、
 猫は歳月のような生温かさで、私の膝に重い。
 この猫が生まれる前の世界を知っているし、
 たぶん、死んだ後の世界も知るだろう。
 
 外には秋虫。
 眠る私の内や外を鳴いている。
 私は夢をみない。
 思い出すこともなくなった。
  
  
 あのとき、

 海が膨らんだ。
 地が割れた。
 建物が倒れた。
 原発が爆発した。
 人間は蟻のように右往左往した。
 そのとき鳥はどこへいただろう。
 鳥のことは見なかった。
 そのとき魚はどこへいただろう。
 魚のことも見なかった。
 ただ津波にやられて、電気が止まって、
 水族館の魚がやられたらしい。
 橋の下に潰れたクルマがひっかかっている。
 道路に1mもの段差ができている。
 水道管が千切られ、蛇口の水は止まった。
 ホームセンターのポリタンクがなくなった。
 ガソリン携行缶もなくなった。
 土嚢袋も、コンパネも、ブルーシートもなくなった。
 スーパーが閉まった。
 コンビニも閉まった。
 ガソリンスタンドも閉まった。
 みな家に籠もってテレビをみていた。
 ラジオを聞いていた。
 ネットを探していた。
 
  
 あれからもうすぐ半年です。
 





■ 秋の日 
  2011.09.30


 ずっと待っているのですけれど
 それはなかなか来ないのです
 
 (今日もきょうとて日が過ぎた
  あすはどうなる もう秋だ)
 
 秋の日は水晶のよう
 稲田の刈取りも 進みました
 
 (わたしはどこまでいったやら
  遠い銀河も渦巻いた)
 
 あるのはたくさんの距離ばかり
 草刈の目を上げると
 まん丸いヤマボウシの実が
 紅く軟らかく甘酸っぱく
 (そしてその幹にシマヘビが縦にからんで陽を浴びていました)
 
 夜になってフクロウが「ほろすけ、ほう」と鳴きました
 わたしは犬とずんずん歩きました
 歩かないと脚がどんどん細くなります

 (中途半端にノートがたまる
  書きかけの言葉ばかりが)
 
 さてわたしは夜のグランドで
 犬と銀河を歩き疲れた
 たくさんの距離に
 時間ばかりが浸食していた
 犬は何年生きるだろう
 犬はどこまで犬だろう
 
 (ずっと待っているのですけれど
  それはなかなか来ないのです)

 わたしの堆肥場からは
 カブトムシがたくさん夜を飛び
 いまはもう誰もいません
 カブトムシも、死にました
 夏は終わったのですから
 闇のなかで
 カブトムシの匂いがすることは、もうないのです
 
 (今日もきょうとて日が過ぎた)

 柿の実が色づいて
 秋の斜めの日差しのなかで
 スズメバチがそれをねぶっています
 わたしはスズメバチと対峙します
 殺し殺される関係です
 
 こんな次元に重なっている
 あるいはそんな重なりが開いている
 わたしはどこまでいったやら
 遠い銀河も渦巻いた
 




 ■ 四倉風景
  2011.10.06

 
 (はさ架けの稲田に咲き遅れの彼岸花)
 
 漁師町で高い木にかじりついていると
 足下を 狂ったおばさんが行き来する

 狂った人はいつもひとりだ
 世界中に自分が満ちて
 見たこともない津波が押し寄せている

 秋は不安が形象する
 すすきの穂が はらりと開いたのは
 虚無がひとつ そこでほどけたからだ
 
 柿の実が ほとりと落ちたのは
 宇宙があまりにたくさんだからだ
 
 色は移ろい 時は重ねられる
 いまなすべきことを ただ成し遂げよ
 そして生き続けよ

 この町にも津波は襲い
 たくさんの時間を消し変えた
 
 残されたひとびとはやさしくなり
 それぞれの物語を抱きしめた

 生きることが あまりに辛いのは
 あなたが悪いからではない
 
 人間はどこから来て どこへゆくのか
 だれも分からない
 
 狂ったおばさんは何度も膨らむ津波を抱えて
 どこから来て どこへゆくのだろう
 





 ■ 半月の夜 
  2011.10.09



 半月の夜 白い犬と歩きます
 金木犀の薫りほのかに
 今日はふくろうが鳴きません

 グランドを回って 選炭場があった坂道に来ると
 向こうの山の端が 薄青くたたずんでいます
 なるほどあの山と山のあいだが谷になって
 そこにはやはり川が流れているのですね
 
 その川は私の借家の横を流れ 毎日水音をさせています
 暑い日にはその川の少し上流の方まで 犬を連れ 川に放してやりました
 犬は笑い顔で水に入り 鴨のつがいを追ったりしました
 ヤマメがときおり水面を跳ねます
 
 いつも犬を放つのは、その川にいくつかある堰のある場所で、
 4月の大きな地震で断層が走り 村を真っ二つにした地割れがあります
 このあいだまで京都の大学が調査に来ていました
 大きく穴を掘って 地層の褶曲を捉えていました
 
 わたしは毎日働いています
 今年は除染を兼ねてか 剪定の依頼が多いのです
 このあいだは福島まで遠征して仕事してきました
 南相馬から避難したお客さんの 身寄り先の
 親戚の家のお手入れでした

 連絡が取れず心配していたお客さんは 少しやつれておられました
 一緒に避難した双葉町の妹さんは
 避難の最中に旦那さんを亡くしておられました
 
 計画的避難地域解除を受けて 今度南相馬に帰るのだそうです
 妹さんとも一緒に住むのだそうです
 妹さんの双葉町の家も お二人のご実家の大熊町にも
 しばらく帰れそうにありません
 
 わたしはそのご実家のお庭の手入れにも 毎年二回入っていました
 石倉の立派な もとは造り酒屋の旧家です
 石倉の脇には 大きな大きな 金木犀がありました
 いまごろは静かに たくさんの花を散らしていることでしょう
  
 半月の夜 白い犬と歩きます
 金木犀の薫りほのかに
 今日はふくろうが鳴きません





 ■ 芒原 
  2011.10.24

 

 雨の中仕事して帰って濡れた靴下を脱ぐ。
 言葉はどこにもない。
 白い犬と闇の村を散歩する。
 山の端が薄明るいが、星はない、月もない。
 iPod で使徒行伝を聞く。
 始まりにも終わりにも言葉はあるのか。
 闇の山の切れたところに谷川は流れる。
 水音。
 ゆくものばかりで言葉はない。
 むかし描いた絵。
 自分ばかりで底がない。
 わたしとは、
 わたしが入り込めないわたしをやることではないか。
 自己史は夢幻のまやかし。
 朝。
 不幸に苛まされて小便し、顔を洗う。
 不幸の来歴に意味はない。
 幸福ばかりを追い求めよう。
 幸福は、わたしが入り込めないわたしだから。
 今ならススキが穂を満面に垂れて、野を透き通す。
 アケビが割れて熟れた内面を晒す。
 ねこが縁側で眠っている。
 日差しはななめ。
 こころは模様ばかり。
 いちめんのすすきのはら。





 ■ 記憶 
  2011.11.18

 
 
 秋の野に柿の実が、ほっ、ほっ、と灯っている。
 朝日を受けて、そこに風景は、じぶんの質点を集めているようだ。
 
 山のひらけたところに、大きなイチョウの木が立っている。
 風が走ると、斜めの光のなかを、黄金が散らばる。
 風はこのとき、一年で、一番の次元をひらく。
 
 稼ぎに山を下りる道すがら、様々な祝祭をみる。
 そこで時は止まる。
 生まれた意味も、死ぬ意味も、消滅する意味も止まる。
 
 ときどき轢かれた山のけものが、止まったままで誰何する。
 木々は裸になり、また氷雪が覆う。
 

 日々は過ぎる。
 色んなものが折りたたまれる。
 記憶も。
 
 
  ばっぱ、はらへった。
  ぺろ作ってくいろ、ぺろ。
 
 祖母が作る自家製うどんは、こども心にあまりうまくはなかった。
 台所は暗く、その壁となりは牛小屋で、
 牛はいつも薄日のなかで、哀しげに立っていた。
 
(ジェルソミーナが農家の納屋の薄暗がりで、障害のある子どもを見つける。
 そのシーンを見るとき、この牛小屋の風景を思い出す)
 
 祖父はよく村の往来の向こうから、酔って大声でわめきながら帰ってきた。
 
  おお、じょうまご、じょうまご、どれ、じっちのとこさこぉ。
  
 酔った祖父は私を抱き寄せて、無理矢理頬ずりする。
 
  じっち、痛で、いでくて、嫌んだ、じっち。
  
 髭跡が痛くて私は抵抗する。
 
 板を渡しただけの外便所には、拭き紙に新聞紙や雑誌が置かれていた。
 祖母は垂れた乳房をぶらぶらさせて、腰巻きひとつで風呂から上がった。
 
 夏のトウモロコシ畑。
 秋の稲刈り。
 畦で食べるにぎりめし。
 
 土間にはブリキのストーブがあった。
 冬はいつも薪柴が、かっかと燃えていた。
 その奥座敷に掘り炬燵があり、大人たちは会うといつも酒を飲んだ。
 
 中三の時だった。
 父と叔父が口論になり、父がいきなりビール瓶で叔父の頭を割った。
 祖母は激高する父を押しとどめようとし、逆に庭に突き飛ばされて腕の骨を折った。
 私は部活の柔道で、父を袈裟固めで地面に押さえた。
 叔父は血だらけで怒鳴っていた。
 祖父は黙って背中をむけていた。
 母はどうしていたっけ。
 月が出ていた。
 
 祖父は胃癌でのたうって死に、祖母は心臓発作で気がついたら死んでいた。
 
 ふたりとも飯舘村の小高い丘の墓地に土葬された。
 いまは土饅頭だけが残っている。
 





 ■ トラップ 
  2011.11.19

 
 
 曇天にツワブキの花が光を集めてそこだけが明るい。
 散り残った菊花も路傍に体温を残している。
 霜が降りたので、木の枝にぶら下げたハチトラップを片付けた。
 霜が降りればスズメバチの季節も終わりだ。
 
 9月の活動ぶりは凄かった。
 一日7~8匹はトラップに入り込んで休みなく蠢いていた。
 黄色と黒。
 めいめいが、めいめいの命で助かろうと必死にもがく。
 汚い動き。
 無駄な動き。
 自分の命ばかりが無駄に動いて、汚く、力尽きて、死んでゆく。
 見ていると、こころがざわついた。
 魅せられていたと云っていい。
 
 越冬した女王蜂がどこかに巣を作り、卵を産む。
 卵はミルク色の幼虫になり、蛹になり、時が満ちる。
 脱皮し、翅を乾かし、強靱な躰を得、飛び立つ。
 その後のたくさんの殺生と、生の恍惚。
 それがこんな馬鹿のような罠に入って、助け合うこともなく朽ちてゆく。
 
 私はそれを見ている。
 私はそれを見ている。
 私はそれを見ながら、見られている。
 見ているものは誰か。
 
 一度スズメバチに刺されたことがある。
 クレーンを操作して、植木を下ろしていた時、
 突然耳の後ろに金釘を刺されたような痛みが走った。
 手で叩き落とすとキイロスズメバチだった。
 全身に湿疹が出て、血圧が下がり、心臓が動悸した。
 軽いアナフィラキシーショックだった。
 それからアシナガバチに刺されても、動悸するようになった。
 
 トラップの中の蜂たちは、かさかさに乾いて砕けていた。
 よくみると、さらに小さい虫たちが蠢いて屍体を食い荒らしていた。
 黄色と黒の外殻だけが残され、砕けていた。
 庭土にあけると、風が来て散らしていった。

 私はそれを見ている。
 私はそれを見ている。
 私はそれを見ながら、見られている。
 見ているものは誰なのか。
 





 ■ 仮設 
  2011.11.24


 上の山から下りてきた紅葉が、誰かの筆のように染められて、
 仕事へ向かう谷道が、日々刻々と音色を変える。
 山は引き算を始めた。
 見えなかった幹枝が、空に線刻する。
 在るものは、もともと虚空との関係。
 生きて死に、死んで生きるは時のまぼろし。
 それでも確かに美はありうる。
 あるいは美でしかあり得ぬ。
 こんなに空っぽな筒が、
 ときおり音色を洩らす。
 
 駅裏に出来た仮設住宅を訪ねる機縁があった。
 工事事務所を連ねたような家屋は、屋根勾配がほとんどなく、
 あちこち雨漏りしていた。
 素人でも解る設計・施工不良。
 それを仕事として済ます人心の不良。
 
 警戒区域から逃れた人々が次々この町に集まり、
 人口が3万人は増えた。
 それをやっかい事のように話す原住生活者。
 
 だんだんこういう事象が増えて、
 震災とはこのことかよ。
 
 地割れが出来たり、津波に流されたり、山が崩れたことより、
 人のこころの不意の露われを傷のように突きつけられる。
 歴史が繰り返してきたことが、また繰り返される。
 聖書の世界のような、苛烈な関係性が現前する。

 見えてくるもの。
 引き裂かれたもの。
 加えられる風景。
 忘れられた思い出。
 それらすべてを包み込む喩はあるのか。
 やわらかく、美しく、すこやかな、
 あたらしい喩は作れるのか。





 ■ キンザザ星 
  2011.11.25

 
 
 夜の日課の犬の散歩。
 冬が近づくのは星空で解る。
 大気がそのまま宇宙につながってくる。
 ボタ山のグランド。
 星が全天に降りかかる。
 落葉松の枝を飾って瞬く光。
 ここはキンザザ星。
 愚か者も生きられる星。
 
 冬になれば、物理とバッハが煌めいてくる。
 素数の配列と素粒子間の力学式は近似している。
 数学と宇宙構造は同根している。
 これはバッハ。
 全天にバッハ。
 
 生活の型を日々毎日繰り返す。
 愚劣に地べたを這いずり回り、
 ただ身体と心を見つめる。
 夜は犬と歩く。
 冬が近づくのは星空でわかる。
 虚数の星。
 私と犬と星とで無限。
 無限を抱きしめる。
 ここはキンザザ星。
 愚か者も生きられる星。
 
 




 ■ まっか   
2011.12.01


 もみじ真っ赤、
 もみじ真っ赤、
 空は青。
 それから曇り、
 それから霙(みぞれ)、
 木枯らし吹いて、
 もみじ真っ赤に散りました。
 もみじ真っ赤に散りました。
 巣ごもり、
 穴ごもり、
 もみじ真っ赤に散りました。
 もみじ真っ赤に散りました。
 それから谷は暗くなり、
 それから夜になりました。
 わたしの喩は今日も見つからず、
 こうして、一日が終わってしまいます。
 また、いちにちが終わってしまいます。
 明日は水も凍るでしょう。
 山は白くなるでしょう。
 
 もみじ真っ赤、
 もみじ真っ赤、
 真っ赤散って、
 山のけものは眠るでしょう。
 まるくやわらかく
 わたしは眠いのです。
 やわらかくまるく
 こころが眠いのです。
 渓流(かわ)の山女魚も眠いのです。
 もみじ真っ赤に散りました。
 もみじ真っ赤に散りました。
 散って流れる水の奥、
 山椒魚(おれ)はぼんやり宇宙を思う。
 ずっと昔を思い出す。
 繰り返し、
 繰り返した、時(とき)の演奏。
 
 ああ、あのときの。
 いや、ごきげんよう。
 どうも、そのせつは。
 じつに、なんですな、
 半減期が数万年?
 そんなのはあっという間でしたな。

 もみじ真っ赤、
 もみじ真っ赤、
 真っ赤散って、山は白く、
 わたしは眠いのです。





 ■ 猿と月食 
 2011.12.15

 
 
 飯舘村から南相馬へ下りる山のカーブに猿の集団がいた。
 こちらを嘲るように、路傍のあちこちで、思い思いにくつろいでいた。
 猿は毛艶が良く、今年の食うことには恵まれたようだった。
 人間どもがセシウムだ、ベクレルだとうろたえていた時、
 猿は山の恵みをたらふくいただいていたのだ。

 あっちの町はカネが下りただの、
 あいつは補償金で遊んで暮らしているだの、
 被災者同士で汲々、啀(いが)み合い、
 虚無と無力、
 どんよりした空気。
  
 猿が嗤うよ!
 イノシシも嗤いながら走っているよ。
 今年は猟師も山に入らないそうだ。
  
 自分の生活が一番大事。
 けれど、震災直後の、
 あの、何かが革まる、何かが新しく生まれようとする、
 あの厳かな空気はどこへいった。

 日々積み重なる暮らしの時間は、
 昨日も今日も変わらぬ関係の牢獄、
 自分の生活が一番大事。
 
 けれど人間の、
 あのたくさんの神話はどこで生まれた。
 詩やうたや、あらゆる美しいものはどこで生まれた。
  
 猿が嗤うよ。
 イノシシも嗤いながら走っているよ。
 山はいつもより豊かだ。
 
 耕作放棄された圃場の上を食の月が煌々と。
 私は数万キロを行ったり来たり。
 月も地球も太陽も、
 孤独な速度で回ります。




 ■ 誰何 
  2011.12.23



 寒くなった。
 それでも雑木山をさまようと、日だまりに落葉が暖かい。
 地べたに寝転んでも清浄な感じなのは、
 微生物が死に絶えたからだろうか。
 聳えるコナラを根元から見上げると、
 空への長い階梯。
 土と風と光と水の、
 関わった時の流れ。
 (流れ?)
 寒くなった。
 裸の幹枝が、
 冬の空を線描し、
 地べたのこちらを俯瞰する。
 (俯瞰?)
 わたしは枯葉に寝そべり、
 茫然と誰何(すいか)する。
 あなたは誰なのか。
 これらの流れを決めた、
 あなたは誰なのか。
 この方向は、何なのか。
 (次元が足りない)
 それでも雑木山をさまようと、
 そちこちに新しい階層があり、
 遠い、記憶のような欠落があり、
 報われなかった思いがある。
 寒くなった。
 身一点、世界を招集すれば、
 逆光の梢は没陽に言葉し、
 開始する、
 見たこともない、
 誰かの距離なのであった。




 ■ 夜明け 
 2012.01.14

 

 松の内も明けて、いよいよ仕事始めという寒い午後、
 母が自殺を図った。
 携帯に、父から半泣きの電話がかかってきた。
 今、病院の処置室前だという。
 
 母は70歳。
 ここ十数年、鬱の症状を訴えていた。
 父が出かける前に、二階の母の寝室を覗くと、
 溜め込んだ睡眠薬をまさに飲み込んだ所だった。
 口に指を入れ、背中をたたいても吐かなかった。
 そのうち意識を失い、脱力した。
 父は老いた身体で二階から母を背負い下ろし、
 自車で病院に連れていこうとしたが、適わないので救急車を呼んだ。
 いま処置してもらっている、結果が出たら知らせると父は電話を切った。
 
 私はぼんやりと自分の感情を探していた。
 丁度出先から帰ってきた妻が内容を知り、
 「すぐに行かなきゃ駄目!」と、荷物をまとめだした。
 
 南相馬まで二時間半、妻が運転した。
 妻は雄々しかった。
 正月に通ったばかりの同じ道。ときおり吹雪いた。
 私の口からは、母への憤りの言葉ばかりが出ていた。

 子どもの頃から愛の薄いひとだった。
 結婚当初の苦労話の中で、
 「おまえは堕ろすはずの子だった」と言ったことがある。
 子どもの前で不用意な発言だと気づきもせず、
 母は自分の苦労ばかりを言いつのる、そんなひとだった。
 私はその時、自分の不安定な気質の説明がついたようで、
 妙に腑に落ちた。
 
 病院に着くと、胃洗浄を終えた母は、点滴に繋がれて寝ていた。
 側に憔悴した父がいた。
 母の命に別状はなかった。
 ただ看護士に、再発防止のために、今晩一晩付き添ってほしい、と言われ、妻と父を帰して、私ひとりが残った。
 
 病室には椅子しかなく、夜は暖房が切られた。
 二時間に一度くらいずつ、看護士が見回りにきた。
 この病院は震災と原発災害で閉鎖され、
 最近ようやく部分的に再開したと報道されていた。
 だがスタッフの士気は高く、気配りが行き届いていた。
 私は医療に対する不信があったが、このことに驚き、胸が詰まった。
 
 母は夜中に何度か目を覚まし、まだろれつの回らない口で、私と喋った。
 失敗した、と言った。
 あまり反省していないようだった。
 他人事のように冷静だった。
 ときおり皮肉な眼で私を見た。
 生きていても何もいいことはない。
 パチンコをしているときだけが嫌なことを忘れられる。
 遺書はもう読んだか。
 あれはもうずいぶん前から準備していた。
 生きることは地獄のようだ。
 
 母さん。
 自分のことばかり言いつのる母さん。
 私たちの何かを壊してしまった母さん。
 どんな暗い洞窟にいるのですか。
 
 それでも母は私が寒かろうと、自分のベットの毛布を使えといった。
 いつの間にか夜が明け、窓の外が白々と見えてきた。
 津波のせいか、海側の景色がずいぶん開けてみえた。
 水は病院のすぐ手前まで押し寄せた。
 この先の集落は壊滅した。
 墓地も流された。
 
 たくさんの悲しみが時の流れの中で立ちつくしている。
 それでも少しずつ時は何かを変えてゆく。
 あるものはただあるのではなく、関係のなかにあるものである。
 あるものが関係しているのではなく、関係としてあるのだ。
 止まったままの母の時が動き出しますように。
 悲しみがほぐれますように。
 
 




 ■ 雪の後 
  2012.01.26


 きのうの午後、丘の上で腐葉土を掻き集めている時に、
 雪が降り出した。
 雪は瞬く間に村中を包み込んだ。
 放り出されたカブトムシの幼虫の脚がもがいていた。
 そこにも雪が降り積もった。

 雪は無音を重ね降り積もった。
 丘の上からは、谷間の景の三分の二は空だ。
 空と集落、
 それをただ雪が繋いだ。
 カブトムシは死ぬだろう。
 
 今日は、震災の三日前に港の寺に植えた桜の手入れに行った。
 枯れた枝を下ろし、根鉢を掘って肥料をやった。
 根腐れしているかと思ったが、細根が出ていた。
 か細い根の一本一本が、あれからの月日だった。
 海が光っていた。
 
 またあちこちで道路の補修工事が始まった。
 いつだったか片腕の土工を見たことがある。
 誰よりも機敏に動き、片手で上手にスコップを使っていた。
 それは路上の舞踏のようだった。
 
 年明け一気に仕事が薄くなった。
 毎日薪割りや片付けをしている。
 夏に伐採したミズナラの木を割ると、
 シロスジカミキリの成虫がたくさん出てきた。
 さんざん食い荒らして、結局外へ出ないまま、
 エイリアンのように眠っている。





 ■ 冬の月 
  2012.02.07


 雨上がり、いつものグランドに上ると、
 山の端の月が群雲から出るところだった。
 満月に近い月が、暗い空の奥からこちらを照らしていた。
 なぜだか身動きが出来ず、しばらく見入った。
 
 きのうは山へ木を掘りに行った。
 杉の合間の雑木を掘る。
 足下のあちこちに春蘭
 連れて行った白い犬が、山の神のように駆け回る。
 すぐ横を地割れが走り、それに沿って、杉が倒れていた。
 向こうの谷からこちらの尾根まで、魔物が通った後のように。
 
 その前日は、竹を刈り出しに谷川へ行った。
 二年ほど間を空けたらひどく乱れていた。
 直線を愛おしむように竹を刈る。
 渡る風がしだいに整音される。
 夕暮れに雪がちらついた。
 
 今日は冬には珍しい大雨だった。
 家裏に作った物置にゆくと、あちこち雨漏りしていた。
 これも早く直さなければならない。
 薪割りは大体終わった。
 
 日々を鍛えなければならない。
 刻々毎日を刻んでゆかねばならない。
 お喋りはもういい。
 けれど気がつけばいつも喋っている奴がいて、
 言葉にはならない。
 





 ■ 鳥 
 2012.02.23

 
 
 庭先で焚き火していたら、
 上空高く鷹が一羽静止していた。
 時おり羽ばたいて、気流を掴んでいる。
 あんなに高いところに鳥がいる。
 
 私は地表で火を燃やし、
 燃えたものが炭になり、
 ちろちろちろちろ熾になるのを見ていた。
  
 焚き火をすると、空気が暖められて、
 向こうの景色が揺らめいて見える。
 それは何の喩だったか。
  
 海の見える風呂で身体をほぐしていると、
 目の前の大ガラスにくっきりと、鳥の衝突した跡があった。
 水平線に、化石のように張り付いた鳥のかたち。
 
 鳥は恐竜の末裔だそうだ。
 鳥の目に孤独があるのは、
 中生代からの記憶が詰まっているからだ。
 
 アオサギは1mもある大鳥で、
 谷間を翼竜のように飛んでいる。
 ある日の夜、橋のたもとの外灯の下、
 舞台役者のように見得を切っていた。
 翌朝通ると、ゴミのように死んでいた。
   
 冬になると鳥の姿が目に付く。





■ 相も変わらず 
  2013.06.02


 
 
 生活の型。
 型を鍛える。
 相も変わらず。
 
 日々、日々の型に耐える。
 時おり、美しいものに出会う。
 出会えたらめっけもの。
 出会えたなら、
 出会えたなら、そこが花。
 
 この世がひとりなら、
 花など見ぬものを。





いいなと思ったら応援しよう!