【限定色オーバーライト】 第1話
※こちらの作品はnote公式の創作大賞2023・イラストストーリー部門の投稿作になります。お題イラストは↓のリンクでご確認ください。
世界の主成分は『なんとなく』で出来ている。びっくりするほどにざっくばらん。
「早弁するなら一限にしろ!! 廊下に立ってこい!!」
早弁は早ければ早いほど許される。誰もが知っている常識だ。
「烏羽原ァ!! いい加減、その髪染め直せ!! 何度言えば分かるんだ!!」
風紀を乱すような髪色髪型は原則禁止。どころか、ストレートパーマでさえ許されない謎の不文律。明確な理由はなく、禁止だから禁止なのだと。会話交渉の余地がない。
「教室に戻って体操着から着替えたらきちんと水分補給かティラミスを摂るようになー」
学校での水分補給は原則として水かお茶かティラミスに限る。どこの小学校でも大体同じ。
水分じゃないでしょ、なんて指摘する私の方がおかしいみたいで。
世の中……なんて偉そうに語れる大層な人生を歩んできたわけじゃない。それでも、分かっていることがひとつある。
人の考え方って、地に足がついていない。フワフワ浮いていて、右へ左へ。周りが朱に染まったら、自分たちも朱に染まる。
気付いたのは随分前。小学生の頃、最悪の記憶。
昨日まで母親も友だちも『青信号』と呼んでいたのが、スイッチで切り替えたかのように『緑信号』呼びに変わっていた。全員がいっせーので緑信号と呼べば、日本から青信号という認識はあっさり消える。そのときに、知った。人って案外あやふやなんだと。
最近では、サッカー部のエースならモテるのは当然で、彼女の一人や二人は居るのが当たり前……なんて、空気が漂っている。ワールドカップだかオリンピックだかで日本代表の奇跡のような快進撃が注目されて、そんな空気がにわかに浸透し始めていた。
サッカー部はモテて当然。サッカー部レギュラーメンバーと付き合うことは、超ステータス。そんな空気的情報……所謂、ミームが全国にも広がっている。
そのミームに対して、好悪や快不快、妬み僻み……感じ方はそれぞれ。受け取り方はこの際、どうだっていい。大事なのは『広がっている』という一点だけ。
そこには、但し書きが一つだけつく。
私以外のところで、という。
グラウンドで球転がしをしているだけの子供にまでどうして特権が付与されるのか。
早弁が早ければ早いほど許される意味が分からない。
なんで髪の毛の色を変えたら指導されるのか。
ティラミスに至っては水分補給という前提から壊していてハチャメチャ。
私だけが共通認識についていけない。置いて行かれる。
だから、私は世界を捨てた。周りにどう思われるかを忘れた。流行っているかどうかも気にしないことにした。
唯一揺らがないのは私だけ。ふわふわの世の中になんか、私を預けてなるものか。
帰路の中、一人。ローファーをアスファルトの上に縫い付けて、手元の液晶端末を覗く。
視界の先には赤いランプの中に、紳士が一人、チカチカ、明滅。
端末から視線を上げたときにフッと目が留まった。自分と同じ信号待ちをしていた一人。
歩き出そうとしたはずの足が動かない。透き通る金糸をそよ風に揺らし本に視線を落としている、とんでもない美人。
普段なら声なんてかけない薄情者の私が、善行に進もうとする理由はシンプル。
ただ、面食いなだけ。
「信号、青になりましたよ」
といっても、声を掛けるだけ。
「あ、ありがとうございます」
信号待ちをしていた女性の声は、想像よりもワントーン低い。美人という印象に、クールっぽいというイメージがプラスアルファ。
本を閉じて歩き出した女性を見送りながら歩き出し……姿が見えなくなってから気付く。
「伝わったのかな……?」
青信号って呼び方があったことは、誰も覚えてないはずなのに。
◆◇◆◇◆
パニックになっていた。
Q.何に?
「一体、何、ここぉ!? 私、なんかしたかなぁ!?」
叫んだ声が、静寂の校舎中に響く。
A.さぁ? アレか。インナーカラーをいつまで経っても黒染めしない罰に異世界にでも飛ばされたのか?
帰ろうと校門に向かっていた時のこと、バケツをひっくり返したように液体を頭から浴びせられた。瞬き一つする前までは、雲一つない快晴だったから、確実に雨では無い。
果たして、不慮の事故か、嫌がらせか。後者だったら許してなるものか、と瞬間湯沸かし器の如く怒りが頂点に達し……どこのどいつだ、と瞼を開くと視界の先には校門……さらにその先には本校舎と西校舎をつなぐ渡り廊下が生えていた。
「え? なになになになに?」
振り返る。そこにも渡り廊下。
学校とセット販売されているはずの、ザワザワとした雑踏が気付けば消えている。耳栓をして布団の中に包まったかのような静寂。
喉元では声が詰まり、思考は真っ白。予告も予兆も無く、理解不能な状況に立たされていた。
「も、もしもーし。聞こえてたら返事してくださーい」
同じように周りにいた生徒に声をかけてみても時間を止めたかのように動かない。どころか、ついさっき被せられた色水……ペンキのようなものが制服を貫通して、身体中を染められていた。
バケツの水に絵の具を垂らすように、珈琲にミルクを落とすように……人型を保ったまま、液体になったみたいに混ざって染まって濁っていた。
「いやこれ私もカフェオレみたいになってるんじゃ……!?」
同じように、液体を被った……血の気が引き、焦って自分を見る。
そして、予測の半分は当たっていた。私にも……烏羽原亜桜にもペンキのような液体が被せられている。足元には青白二色ストライプが広がっていた。液体なのに柄模様を保てているのが気持ち悪い。
ただ、濡れることも、制服の端すら汚れることもなく、撥水加工でもしたかのように滑り落ちていた。
謎ペンキに染まらなかったという安堵二割。残りは、困惑。どうして自分だけ無事なのかとか、ここはどことか、このペンキは一体なんなんだとかとか。
チグハグな校舎。そこかしこに、ストライプ柄のペンキがぶちまけられている。人の内側に入り込んでいくペンキの気味の悪さに背筋が粟立つ。人も景色も色も時間も、全部が全部、曖昧模糊。
音がしない、生き物がいない。異世界というより……世界の外に爪弾きにされたみたい。
「何か……聞こえた、ような?」
遠くから響く。破裂音。このままジッとしていると、得体の知れない不安がポコポコと煮立ってくる。深呼吸一つして、そろりそろり歩き出す。唯一の音源に向かって。
何度も響く破裂音のする廊下を歩いていく。校舎内はやっぱり異常で、構造はやっぱりチグハグ。ガラス細工みたいに固まった生徒や先生は触れても反応せず。天井から降ってくるのは不自然でサイケな人工光。ずっとここに居ると視力が落ちそう。
「……ん?」
違和感に足を止める。その先には、あちこちで見たペンキ溜まり。違和感に従って、一歩引く、と……もぞもぞ。
「動い……た? 気のせいかな。気のせいだよね。気のせい気のせい……」
目を擦って。もう一回ジッと見ると……意志を持ったようにペンキが動きだし、他の点在していたペンキと合わさって大きくなり膨れ上がっていく。気のせいには到底できない。
集まり合わさります、それは人型となった。
「気のせいじゃない……!!」」
喉が引きつって、冷や汗。無機物が有機的に動いた気味の悪さ。人の形をしているけれど、ペンキのみで構成されているからどこも同じ色。表情もないので、のっぺらぼうでマネキンみたい。状況について行けずにぼぅっとしていたが、人型が私に向いている。
会話が一切通じそうにない。やばい。何をされるか分からないけれど、兎も角、やばい。
悪い想像を拾い上げたかのように、こちらに向かって走り出したペンキマネキン。彼我に距離はない。私は、ぎゅっと目を瞑った。
が、いつまでたっても痛みだとかがやってこない。ゆっくり瞼を持ち上げると、先ほどまでいたペンキマネキンが居なくなっていた。どこに行ったのか、右へ左へ視線を動かすと視界のずっと先に小さくなったソレが映った……それも、一体だけではなく複数。
自分の身体を恐る恐る見下ろすも……変わりなし。濁りも染まりもしていない。
「ほんっっっっと何……ほんとにもう……」
そこまで確認してようやく安堵の息をつく。得体の知れないマネキンは私に一切構うことなく走って行った。私と同じ破裂音の方へ。
どぽり、液体が蠢く。視界の端で再びペンキが寄り合って人型に凝り固まっていく。大きな青と白のストライプが一体、今度はピンク色の小柄なマネキンが引き摺られている。ひとつ、ふたつ、みっつ。あっちこっちで形作られるマネキンは不気味で生理的嫌悪を掻き起こす。生まれるタイミングはバラバラのマネキン。けれども走って行く先は全て一緒。一様に、音の方へ。
ジッと隠れていられるほどの冷静さは品切れ。どうにかこの辺鄙な状況から抜け出したいという焦りが、遮二無二、私を突き動かす。
進んでいく廊下、窓の向こうには、本来見えるはずの外や空はあまり映ることなく、別の教室へと繋がっていたり、お手洗いだったり、部室だったりまちまちで統一性は無い。
学校という概念をブロック玩具みたいにバラバラにして、幼児がむちゃくちゃに繋ぎ合わせたように不規則で不格好。
廊下を進んでいった突き当たりには何故かお手洗い。そして、お手洗いの一番奥の個室だけは、大きな鉄扉となっていて……そこをくぐり抜けると体育館に出た。もう、なんなのこれ。頭がおかしくなりそう。それともおかしくなってる?
混乱を貫く、破裂音……銃声が直接、鼓膜をたたく。
咄嗟、鉄扉横にあった職員机に身を潜める。
そぉーっと体育館を覗く。サイケな蛍光灯に目がチカチカ。二階部分、体育館の全周を囲う通路には何故か大量の棚がズラリ、その中にフラスコなどの実験器具が並んでいる。体育館の板張りの上に幾つもの職員机が並び書類が積み上げられている。
風邪の時に見る夢みたいな無茶苦茶な空間の中、一点に向かって進んでいく奇妙なペンキマネキン。私の頭がおかしくなったのか疑う中……視線が吸い込まれ、息が止まる。
ただ一色、銃声を響かせながら舞い踊る金糸雀色。瞬間、まるで快晴の空のように頭の中がクリアになっていく。面食いという嗜好が、パニック中の思考に打ち勝った。
幾体も産まれていたペンキマネキンは苛烈に舞い飛ぶ金糸雀を捕まえて押し潰そうと殺到。
金糸雀色……長くて綺麗なブロンドを舞わせる彼女が銃声を鳴らすと、押し寄せるマネキンが幾体も同時に破裂。まるで水風船。
撒き散されたペンキは女性を一切汚さない。浴びた全てが滑り落ちていた。私と同じように。
いつのまにか、あたりにいたペンキマネキンは数を減らしていて、軽く蹴散らしていた彼女は笑うでもなく怒るでもなく、淡々と、残っていた動く液体に銃弾をねじ込んでいく。
ペンキマネキンが殆ど居なくなり……慌てて、机の下に隠れる。頭を出していて、マネキンと間違われでもしたら大惨事。私が弾け飛んでも撒き散らすのはグロテスクな赤色だけ。
美人さんは残ったマネキン……ではない。固まったまま動かない一人の生徒に何かを突き刺していて……一体何をしているのか、目を凝らす。
落ち着いた思考で深呼吸を一つ、視界が歪む。ぐにゃり、ぐんにゃりと。
そんな変な夢を、白昼夢を昨日の帰りに見ていたのを思い出す。気付けば、何事もなかったかのように校門前に戻っていた。
時間が経つ毎に記憶からどんどんと薄れていく……なんてことは全くない。印象的すぎた夢は今でもハッキリと覚えているし、気分が滅入る。白昼夢なんて生まれてこの方みたことなし。夢と紐付けるには意識がバカみたいに明瞭だったけれどアレは夢。
それ以外に納得出来そうな答えが無いから。
「お前ら、静かにしろ。もうチャイムがなったろうが、静かにせいや」
言われなくたって。私は静かにしている。静かにしすぎて眠たくなってしまうくらい。なんだったらこのまま三角座りした膝に頭をのっけて、眠ったって構わない。
ただ、私と違って実直に静かになる生徒は少数派。殊更、仲が良いクラスメイトがいて、自分が世界の中心だって思ってそうなタイプに一度や二度の警告は届かない。
喧しさの渦潮たちは、注意によって口を噤むのが三割。口を噤んだのを見て釣られて止まるのが四割。
「いい加減に静かに話を聞け!!」
残りは、講堂で破壊できそうな生徒指導の北岡の怒鳴り声で渋々黙る。あの、前方の私にもうちょっと気を遣って声を落として欲しいんですけど……鼓膜が割れちゃう。
「本日学年集会として集まってもらったのは、新たに赴任された先生を紹介するためだ」
二階建ての体育館。その一階部分を半分使ったに講堂は学年集会等の集まりに用いられていて、今日もその例に漏れなかった。授業以外では剣道部が使っているらしく、隅っこには防具が置かれている。
「本日集まってもらったのは……」
北岡……通称、ゴリ岡の声が止まる。短足短手の割に毛深く分厚い筋肉からすぐに連想が着く通称。分かりやすいからこそ、私たちが入る前からもゴリ岡と呼ばれていたし、きっと卒業した後も同じように呼ばれ続ける由緒正しき呼び名。但し、本人に言ったらブチギレ確定。
「うーっす」
ようやく静かになった講堂の後方出入り口から……学ラン男子生徒が悪びれもせず現れた。重役出勤にも程がある。
遅刻をしたその不真面目生徒こそが臨時集会の目的……というワケでは、当然、なさそう。
ゴリ岡に視線を戻す……と誰が見ても分かるほどに、朱に染まっていく。先頭近い亜桜にはよく見える。
あちゃー。この集会、長引くかも。と、去年一年、散々近くでゴリ岡の怒り浴びせられた経験が告げる。
一度沸点に辿り着いたらもうそこからはノンストップ……何を言っているのかも分からない騒音と唾液を撒き散らす暴走機関車の完成。ひ弱な私はその燃料切れを待って小さくなることしか出来ない。一度走り出してしまえば、同僚教師すら止められない不可逆現象。
そのはずだった、のに。
「遅れて申し訳ありません、だ。やり直せ」
芯の通った、よく通る声が講堂を貫いた。
「は?」
遅れてやってきた不良生徒の声と、私たちの心の声が重なった。
「やり直せ」
講堂の前方から現れた女性が、不良生徒に対して路傍の石を見るような絶対零度の視線。
「は?」
焼き回しの一音。今度は、私たちとは重ならなず……威圧が混じっている。同じ場に居るだけで不快感が伝播する、威嚇混じりの声。
うざい、ださい、うっとい。好き勝手にするのなら一人で勝手にしろ。周りを巻き込むな面倒くさい……と思うけれど、直接言う勇気も義理も関係も無い。
「てめぇ、いきなり偉そうになんだ」
「黙れ」
「は? 黙れって」
「黙って従え、蛆虫が」
ゴリ岡のしゃがれ声とは正反対、濁音一つ混ざらない澄んだ美しいアルトが紡ぐのは、カミソリのように鋭い罵声。
これは長くなる。こじれる。不良生徒と謎美人の対決。なんだなんだ。突然のイベントに眠たげだった生徒達の目が覚めていく。
「うっぜえ、いきなアガッ!?」
動きを追えたのはきっと私だけ。誰よりも、ブロンドの麗人に視線を注いでいたから。
「あだだだァ!? はな、はなせっ」
講堂の前後、一クラス分の距離を人外染みた速度で詰めた姿が記憶と重なる。
やっぱり、件の白昼夢で見たブロンド美女と同じ。銃こそ持っていないけれど、あんな動き出来る人間がそうそういてたまるものか。
何よりも私が忘れるはず無い。
立てば容姿端麗、座れば眉目秀麗、歩く姿はトンデモ美人。そして、私は見た目地雷系の面食いオンナ。
トンデモ美人はリニア染みた速度で不良生徒の腕を掴んで関節を締め上げる。そのまま、カーテンを引くかのような軽やかに腕を動かす、と。
「コフォ」
床に叩きつけられ、吐き出されたみっともない声が響く。
胴体から倒れ込んだ不良生徒。威勢の良さも威圧も、呼気一つを最後に静まりかえる。
「まずは一つ」
氷点下の視線で見下しながら、吐き捨てる声。不良生徒の威圧が小型犬に感じるほどの重圧は、関係の無い私ですら背筋が伸びる。美人だから怒っているのが怖い……というレベルではすまない。
「……て、テッメェ!!」
この場に居る誰よりも状況を理解するのに時間がかかった不良が、大声を上げながら立ち上がる。拳を握り今にも殴りかからんと距離を詰める。
「顔はダメ……!!」
思わず声が出て、しまったと口を噤む。
「イマのナシで。あっ、続けてどうぞ」
闖入者の私に視線が集まるも……小さくなることで、何事も無かったかのように振る舞う。
いやだって、世界遺産級の顔に傷がつくのは止めないと……と内心言い訳。
「秋内ィ!! いい加減にしろよ!!」
生徒たちと一緒になっていたポカンと間抜け顔を浮かべていたゴリ岡がようやく動き出した。早さもしなやかさもスマートさも比べものにならない遅さで駆けていって、騒動の中心である不良生徒に向かっていく。
ちなみに私は秋内では無い。一安心。
「あァ!? 手を出したのはコイツからだろうが!! こいつ誰なんだよ!!」
ドスドスと筋肉をそのまま板張りに叩きつけながら追いついたゴリ岡。それから秋内と呼ばれた男子生徒。そして、謎美人。秋内の一言は、皆が抱いている疑問だった。
「北岡先生、手を出さないでいただけますか? まだ指導の途中ですので」
「墨波先生、こいつには言い聞かせておきますので、この場は一旦私に任せていただけませんか」
「まだ途中です。そう言ったのが、聞こえませんでしたか?」
ゴリ岡の口が、不服に引き結ばれた。
生徒どころか、教師からさえ畏れられている古株で筋骨隆々の生徒指導が、いいところ二十代半ば小娘一人に呑まれている。ゴリ岡の半分以下の細腕。腰の細さはゴリ岡の足一本分と言われたって納得するほどの無駄の無いモデル体型。そのフィジカル差は絶望的、一捻りにしてしまえるだろうに、ゴリ岡の表情には畏れ混じりの緊張。
この場においてただ一人の部外者は、私の頭の中以外、全ての空気を支配。
「続きだ。さっさとやり直せゴミ虫」
「な、なんなんだよテメェはよ」
ゴリ岡が止める側に回っていて、オロオロしている。去年一年間では一度も見ることの無かった光景に困惑。
「言われたことすらできんのか? 羽虫が」
墨波と呼ばれた女が一歩踏み出す。秋内の腰が引ける。あと、虫好きすぎないか?
「何がだよ!!」
声色には僅かの畏れが含まれていた。ワケの分からない状況。ゴリ岡ですらビビる謎の女。そりゃあ、怖い。
「ミイデラゴミムシの分際で遅れてきて申し訳ございません。今後は羽化できるように努力します……そう、反省を述べろと言っている。三度は言わんぞ」
「はぁ、だからなん」
「黙れ。早くしろ」
秋内が閉口。美人の苛烈な表情は凄まじい。だからといって、言うとおりにするわけがない。秋内ではなくたって自身の尊厳を踏みにじるような言葉を、大勢の前で言えない。
「最後だ。反省を述べろ」
近づく。手を伸ばせば届くような距離に。怒られないのであれば変わって欲しい。
数秒の間……そして。
「んなこと言うわけ」
「そうか」
秋内の拳が振りあげられ、すぐに止まる。
「後で懲罰だな」
ぐらり、身体が揺れ……そのまま崩れ落ちる。板張りに叩きつけられる前に、襟をつかむブロンド。そして無造作に、けれども、傷はつけないように講堂に転がした。
目にも留まらぬ早業。目の前で同級生が失神させられるという衝撃映像。
「紹介が遅れたが私は墨波金糸雀」
混乱がピークに達するのと反比例するように……カナリアと名乗った美人は朗々と語り、持ち場へと戻る。
「数年前に導入された特殊非常勤として赴任した」
特殊非常勤……ニュースか何かで聴いたことはあるけれど、興味も無いことを覚えてはいない。
後で調べたところ、あらゆる教科を担当できる物凄いエリートで、昨今の教員不足を埋めるための政策の一環で生まれたのだとか。その分、なるまでのハードルは高いけれど、給料も比べものにならないほど高いのだとか。
「幾つもの教科を担当できる教師という立場が故、顔を合わすことも多いだろうから、先に挨拶をさせてほしいと北岡先生に頼ませてもらった」
この場に集められたというのも、カナリアの一存。
「そして、風紀限定解除がされている」
そっちは随分と話題になっていたから、調べなくとも知っていた。だから、思わず大きなため息がこぼれる。
最悪だ、と。
「過ちは徹底的に潰す。乱れは徹底的に矯正する。分かったな?」
風紀限定解除……体罰懲罰を許された者たち。相手に怪我を負わせない限り前時代的な罰も許される。指導の正当性があれば、強権を振るうことが許される特権的立場。
「分かったのなら今すぐ気をつけ!!」
板張りの行動には怒号が乱反射。けれど、その言葉は誰にぶつかること無く小さく萎んでいく。誰も彼もが、傍観者。当事者意識なんて欠片も無かった。
「誰も分かっていない、と。二年A組出席番号十四番、B組七番、C組二十九番、D組八番、十一番、三十番、前へ出ろ」
当然、その言葉も何度か跳ね返るだけ。全クラスが揃っている集会なのだから、居ないはずが無い。けれども、他人事。自分一人が前に出て、火の粉を浴びるなんてイヤに決まっている。
「アレとおなじようなのがまずは六人、ということか?」
床に仰向けに伸びている秋内に視線を向けた。本当に害虫みたいに扱われている。コンプライアンスも何も、あったもんじゃない。身体以上に心を折る。仮にも教師が堂々と行っていいことではない。
無作為に呼ばれた生徒が慌てて立ち上がったのを見て……胸をなで下ろす。危なかった、あと少し数字がズレていたら私が当たっていた。せふせふ。
「遅いな」
D組だけ多くない? なんて文句は喉元で止める。虫扱いが一人増えるのが想像つくから。
「学年としての連帯責任だ。今すぐこの場で腕立て三十回」
二十代どころか十代でも十分通用する女教師。しかし、美人というパーツで組み上げられると備わるはずの親しみやすさ等の加点要素は一切在庫なし。説明するという気遣いも売り切れ。
「取り組むのが最初の者は三十回。二人目は四十。三人目は六十……」
動かない無差別で呼び出された六人に、絶対零度の視線を滑らせてから秋内に視線を向ける。
「最後は、アレと同じだ」
動かなかった六名が顔を合わせ……一人の男子生徒が両手を突き、腕立て伏せを始めた。遅れ、連鎖するように腕立てを始めるも……出遅れた女子が状況を悟り、涙目になる。
「貴様が一番遅かったな。後で生徒指導室に来い」
素行の悪くなさそうな……どころか、真面目そうな女子だというのに一切の逡巡ナシ。秋内のように罰される理由があるのなら兎も角、これは理不尽。
「そこのC組の阿呆二人。随分と体力も気力も有り余っているらしいな。生徒指導室で待っているからな」
小声で言葉を交わしているのを目敏く……いや、耳敏く拾い上げ、問答無用で呼び出し決定。動揺によるざわめきは、たった二つの見せしめで一瞬で抑えつけられた。
良かった。小声で喋るような友だちが居なくて。
「私は貴様らの味方ではない。正しさの味方である……つまり、貴様らが正しい限り、味方であるということだ」
時代と逆行するかのように導入された制度は、マスコミ野党、国民から猛抗議を受けた。
だが、門の狭さ故に殆どの人間には関係のない制度。
そして、その狭き門を突破した人間は、ワイドショーで指摘された問題の一欠片さえ起こすことのない超人ばかりが選ばれ……一定の効果を上げている。
というのは、後に知った話。このときの私は精々、時代遅れな体罰上等教師が来たという認識だけ。
「精々、私を上手く利用しろよ」
鼻を鳴らし、背筋を伸ばすカナリアセンセ。滅茶苦茶が起こっているのに、話し声ひとつ聞こえてこない。
「ご質問よろしいでしょうか!!」
静まりかえった中、空気の読めない……いや読まない大声が貫いた。
「構わん。名乗ってから述べてみろ」
「ハッ」
もうやめてくれ。ただ一人でも、お腹いっぱいなのに。キャラの濃い生徒会長まで出張ってきた。
「二年D組、河海です!! 墨波先生の正しさとは一体何を指しているのでしょうか!! 何を指針にするか分からなければ、利用もできないかと!!」
「ほぅ」
口答えとも取れる質問に、センセが面白そうに目を細める。しかし、そこは我が学年の名物会長一切物怖じしない。あと、声がデカい。
「良い質問だ。答えよう」
「ありがとうございます!!」
「あと、そこまで声は張らなくても良い。きちんと聞こえている」
「了解しました!! 声量を抑えさせていただきます!!」
いや、絶対分かってない。
「線引きはシンプルだ。定められた校則に従っているかどうか、だ」
「裏を返せば、校則に定められていれば問題なし!! ということでしょうか!!」
「その通りだ。いい加減な線引きは好まん。ルールとして漏れているのであれば正しく定めた上で、指導するのが本来有るべき姿だろう。最低限、法や条例、倫理に著しく背いていたら論外だがな。校則に放火してはいけませんと載っていないからといって見逃すわけにもいかん。あと声は抑えても構わん。聞こえている」
話を聴いてるだけで頭が痛くなる。顔は確かにドストライク。だけれど、自由の欠片も無い堅苦しい矯正的な考え方はツーアウト、ツーストライク。
「それは今の我が校に相応しくない校則の見直し及び廃止も行うということでしょうか!! 規則が増えるばかりであれば、遵守する側の負担増が見込まれるかと!!」
「当然だ。相応しくない校則があるのなら話をもってこい。筋が通っていれば動いてやる。それから、声が大きい」
「墨波先生!! 流石に生徒に校則を変えさせるのは」
「正しく規則を敷こうとしているの何の問題が?」
「しかし!! 規則とは従うもので好き勝手に変えさせるのは風紀が乱れる原因に」
「相応しくない規則に従っている方が問題でしょう。生徒自身が校則を正しく定めようとしているのに水を差すのが教師としての正しい判断でしょうか?」
秋内に向けた罵声とは正反対の言葉の棘。チクチクと、正論と嫌味が入り交じった鏃。
ゴリ岡は見るからに頭に血が上っている。教師としての階層構造の頂点が入れ替わることへの不快感が、見ているだけの生徒にすら伝わってくる。
顔が真っ赤で、普段ならばとっくに沸騰、吹きこぼれている。不思議なことに大爆発したところで、ゴリ岡が墨波センセに勝っているビジョンが見えない。
「こ、このようにきっちりと規律を重んじる先生であり、いくつかの授業にヘルプで入ってもらう形になるので、くれぐれも失礼の無いようにっ」
真っ赤な顔のまま爆発しないレアなゴリ岡は、咳払いとともに強制的に話を打ち切った。
成績優良生徒である私、烏羽原亜桜。内心で、うげ、とうな垂れていた。成績優良と素行不良は両立する。
「基本的に、生徒指導室にいらっしゃると思うので、困ったら頼るといい……とても、頼りになる先生だ」
ゴリ岡が言葉を選んでいる。それだけのことが、この学校の生徒にとっては衝撃的なのだ。
(夢で逢いましたよね……なんてナンパ師じゃあるまいし。っていうか、一方的に見ただけで逢ってすらいないじゃん)
その衝撃とやらも、私にはあんまり関係ない。私には夢で見た美人と再会した奇跡の方が重大事件。メンクイを自覚している私的点数は合格ラインどころか、見たことの無い高得点を叩き出している。お近づきになりたい……とは思うけれど。
ただ……
(絶っっっっっっ対、合わない。言い切れる)
校則やら、風紀とか、暗黙の了解とか、空気とか。そういうのが気に食わない。そして、それを圧迫して押しつけてくる人間は、嫌い。文頭に、大だとか、クソだとかが引っ付くくらいに。
(気にはなるけど、それだけだし)
積極的に関わった日には、何を『ご指導』いただくことか。
(スルー、かな)
私は一人だけ、センセを知っていた。けれど、消極的無関心を選ぶことにした。
明日からも昨日までと変わらず、一人で静かに過ごしていくのだ、と。
全話は以下のリンクから!!
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第2話
第3話
第4話
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第6話
エピローグ