物事を二元に分裂させた時は、「これは自分の心の考え」だと理解する。
物事を客体化しないためには、心の中で一歩下がって、「知覚するすべては、ただ自分の心の中の考えである」ことを理解します。理解する意欲が必要です。
客体化されたものは私自身の単なる「心の中の考え」です。そのつど、自らの考え/信念をマインドに戻して、「恐怖に基づいた思考に触れる」ことがポイントになります。
私たちは自分が信じているすべてのことを意識的に認識しているわけではありません。無意識に信じていることには、結びついている数多くの「仮定と前提」があり、その一つ一つを探求するために、外界を鏡のように使い、気づいていなかった自分のこと見始めましょう。
客体化は間違った考えで、非現実的な考え、永遠ではない考えです。
そんな自らの心の中の投影アイディアを見ること/見ようとする意欲によって、客体化されたものを信じずに、ただ思考を観察できる「私」(”I”)があるという感覚を得られ始めます。その感覚は、思考に順序をつけず、思考に意味を読み込ませることなく、連想することもなく、ただそれらの思考を見守ることができる感覚です。
(逆に世界の思考形態は、主体と客体が分割され、さまざまな構成要素を関連させ、リンクさせますが、本当はそれらは何の関係もないのです)
「”私”がある」という感覚を得るには、物事をorder(=順序づけ)しない意志が必要です。