だれかを助けることは、隠された動機がある。これをしると、自分の奥深くにある信念が分かるようになる。
誰かを助けるとき、その根底には隠された動機があったりする。
・「誰かを助けることで、自分は無力ではなく、力のある存在だと証明したい」(無力感の打ち消し)
・「あなたを助けることと引き換えに、私を愛してください」(特別な関係への期待)
助け方には二つある
・「力」を軸とし、物事を理想的に整えることで助けようとするやり方
・「受容」を軸とし、無力で未熟で悪なる存在を受け入れることで助けようとするやり方
どちらもその表現形態は違えど、最終的に「他者の心」を平安にし喜びにできるやり方だと考えている。
そしてどちらも「私とあなたは異なっていて、力の差があり、善性の差があり、対等ではない」と言っている。対等ではないからこそ助けられるし、弱いあなたがいてくれたから、私は強者だと証明できる。邪悪なあなたがいてくれたから、私は善なるもので純真だと証明できる──そう暗に言っている。
力は王を連想させ、受容は女神を連想させる———それは「神になりたかった」という願いである。