愛は救うために攻撃はしない。それは愛ではない

攻撃は救済ではない。
罪悪感を抱くもののみがこれを思い描ける。
愛を攻撃だと取り違えて考えることができてしまう。罪悪感を取り消されれば、そのような思いは笑い声で吹き飛んでしまうようになるだろう。
罪悪感とは、神の子のinnocenceの否定である。
神の子を見えなくすることで、目に見えるものは罪を犯した存在であり、処罰するに値するものとなっている。

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