役割の関係を手放して、コミットメントの関係にシフトする

数多の関係性はその名前にちなんだ「役割」を、お互いに振り分ける。その役割をお互いが実行するように監視するのだが、そうした思惑はほとんど意識されることなく、無意識の内で自分と相手に役割の遂行を求めている。
例えば、「父親」「母親」「子ども」「彼氏」「彼女」「上司」「スタッフ」…などなど。
こうした関係の本質は、以下に集約される。

・「寵愛を受け取るため、相手の望みを叶え続ける」─「相手を救済し続けるために自らの力の増大を求め続ける」

それは一時的にはうまくいき蜜月のような時間を過ごすかもしれないが、やがて破綻する。なぜならどちらの役割も「犠牲」の感覚が常につきまとい、苦しいからだ。相手からの愛を得るために要望に応え続けるのは、自分をポッキーのように細く小さく捩れさせ歪ませる努力をしなければならないし、相手を救うために救えるほどの力を求め続けるのもスーパーマンではないので限界を迎える。

役割の関係は、互恵性で成り立っており、互恵性はいいように語られやすいが実際はただ苦しい関係を構成する土台でしかない。
そうではなく、二人の関係が「自らの無意識の信念を暴露し、解放するため」に使われるなら、その目的でつながるならば、こうした犠牲の感覚は溶けてゆきら最後には「神の愛」が残る








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