コロナの影響で、クビになった。 1ヶ月前に宣告をうけた。 人生初の体験だったからか、笑ってしまった。 『うちの会社は、会社から解雇はしない』 と契約に言われ、安定して体に無理がない仕事と 思い入社した。 こんなとき、みんなはどう感じるだろう。 私は、こんなとき自分はクリスチャンでよかったと 感じるのだ。 クリスチャンになって得する事はない。 願いが叶ったり、いきなり人格者になったりもしないし。 でも、世の中から見たら絶望だと感じられる事が 絶望ではなくなって、人生の
契約をかわした 仕事は続けて、何か多く激変したことはない。時間が状況をおさめ 何も変わらず日常が続いていた。出会った女性が家族が違う地へ向かうため 去った。これは少々寂しかったが、役目が終わったのだと感じた。 しかし、儀式の必要がなくなった。 さらに時がたち、私の人生を私は楽しめているのだろうか?と考えるように なった。どうやって生きようと考えていたが、どう生きてみようかと 考えるようになった。この違いをわかるだろうか? 仕事を辞め、旅に出ることにした。そう渦
自分の中に潜む魔物は、いつからいたのか? 私には幼少期のときから存在していた。意識をしだす前から。 では、渦は私の産まれる時にすでに私の内部に存在していたのではないだろうか? 渦を育て大きくしてしまった原因は確実に私の自身であると 確信しているが、渦を造り上げたのは私ではないのではないだろうか? では、どこから産まれたものなのか? そしてこの体内の魔物は、私だけのものなのか? カフェで隣の席に座って携帯で話している女性の話が聞こえてくる 会話相手と誰かの話をし
限界がきていた もう自分自身ではどうにもできない限界 どんなに経験があろうが、生活が安定しようが 考えられることはやってきた。自分のできる事はすべて 『いるのなら、助けてください。』 深夜、一番暗い時間 目を閉じているのに眩しいと感じる その眩しい光は目を閉じていても部屋全体を昼間のように 明るくしているのがわかった。 目を閉じて数分しかたっていないはずが朝になっていたのかと 思うほどに明るく、しかし怖くはなかった。 怖くはないが、恐れはあった。 光がと
会社の部下が会社のお金を持ち逃げして消えたことから 始まり社内の従業員が一人、また一人と退職していった 新しい従業員は入るが、隣のお店の子に手を出し退職 ついに上司から呼ばれ、私自身の環境管理に言及 私の性格の問題にまで言及されてしまう 自分の問題、私が悪影響の根源であると罵倒される状況に 私はついていけなかった。性格の欠陥は自分で十分知っていた 怒られることは仕方がないのかもしれない。 なにせ、生活に嘘をついて生きてきた人間が真っ当な人間で あるはずがない
『渦は消えるよ』 この女性は渦の正体を知っているのか? いやいや、渦と名付けたのは私で誰に言ってもいない この人も渦と戦っているのか?この人は渦に勝ったのか? 知りたいことは山ほどあったが、渦の話はそれ以上するのを辞めた。 聞いてはいけない気がしたからだ。渦は誰かにどうにかしてもらう ものではないことを私は経験から知っていた。 深く聞けば聞くほど渦は消えなくなる気がした。 渦に知能があるとは思わないが、私の中にこびりつく渦には耳がついて いるかもしれない。こ
生きてるうちにできる事、死んでからできることは違うのでは ないかと思っている。誰かに教わったわけではないが 生の意味、死の意味、死後の意味わざわざ死の壁を越えて 行く道なのだ。生きてる期間と死後の期間の長さは 死後の期間のほうが長いと考えられる。 100年前の霊がいたりすることを考えると長い可能性が高いと 考えられるからだ。短い生の期間はなんなのか? 生きてる時にしかない何かのミッションがあるのだと思う それは物ではない。死んだらもっていけないからだ。 じゃ
死にたいと思ったことはありますか? あります。でも一番無駄な行為と思っているのと 一番損だとも思っている。 人は必ず死ぬのだ。タイミングが違うだけで。 渦が襲うときほど、死ねないと強く思うのだ。 渦が襲う戦いの中でも必ず見えているものがある それは一筋の光だ。妄想でも何でもなく一筋の光は 常に私の視界の遠くに存在している。そこに向かえばいつか死ぬのだ 今死んだらその光は何なのか知ることはできないだろう 今死ねば渦は消えないままだろう。こんなに私の体内に充満し
つなぎとしか思ってなかった仕事を辞め、都会に引っ越した やけくそだったが、人生の探し物は見たことない場所に あったりするのではないかと思ったからだ。 傷ついたと認めるのが癪で、思い出となるような匂いの残る 全てを見たくないと蓋をした。 都会で就職し、仕事が意外と楽しくなり、数年は目まぐるしく変わる 仕事の内容と責任と成果と役職というステイタスに 生きる力をみなぎらせていた。 仕事は、渦を強くはしなかったが、消してはくれなかった。 仕事しかしない日常になれた頃
居場所を確かなものにするために 婚姻を結ぶのが近道だと思った。この勢いで つながっていれば海の町にいれる。渦がなくなる。 と思っていた。人の感情の動きなんて全く考えずに。 彼がけがをして入院をすることになったと知らせが友人から 入った。仕事が休みの日にお見舞いに病室に向かうと 見つめあい、顔を近づけて小声で楽しそうに話す彼と 看護師の姿があった。私に気づくと彼は彼女の腰に手をまわし 笑っていた。恥ずかしそうに手をどかそうとする彼女の顔が 私はしらけていた。
永遠の生を求める人もいれば、早々の死を選ぶ人もいる。永遠の若さを求める者がいれば、若さを良しとせず大人ぶる者もいる。 それとこれとは違うと思うだろうか?若さを求める事と大人ぶるのは違う道理なのか?ないもの手に入らないものを求めるということで何も違わないのだ。経験の浅い若いものが経験の深みを装い大きく見せることと、通り過ぎてきた道を懐かしむように二度と手にできない過去の何かを恋い慕う ないものを求めること、失ったものを求めることは同じことだと感じる。 それがゆえに、今を愛
あけすけに笑う彼は、住民の人気者らしかった。 晴天の海の町は、穏やかで静かだった。時々遠くから聞こえる 人の笑い声よりウミネコの鳴く声のほうが鮮明に聞こえてくる 波の音はうずうずする黒いものを少しずつ食べて波が 持って行ってくれる感じがした。 誰かが消してくれるものではなく、場所なのかもしれない。 この場所が私の渦をいつか消してくれるのかもしれない。 この地に私の居場所を作れば、ここにいられる。 どうにかしてここに居場所を作ろうと必死になった。 地域活動に必
誰もこんな渦と戦ってない。 自分自身では消すことはできない。 もし私以外に戦っている人がいるとするなら 消してくれる人と一緒にいるのだろう。 それを運命の人と言っているのだろうか? 誰でもよいわけではないのだ。それならとっくに 私の渦は消滅しているはずなのだ。 しかし、渦は消えるどころか強くなっているのだ。 心から好きな相手、そうでもないけど安心する相手 自分を愛してくれる相手、すれ違っただけの人、人気者 既婚者・・・。消してくれるならどんな人でもよかった
今人生のどの部分に立っていて、どこの位置にいるのか わからなかった。 人の普通とは何か、普通な人の日常とは何か おかしいと思われないようにまぎれるためには 自分を常に客観的に確認し位置を知る必要があった そうしないと、気を抜くと道を脱線して集団から 離されていくような恐怖があった。 そんな疑心暗鬼の中、手探りの道探しは 渦を活発にさせた。 ある日の夜、いつもの儀式で落ち着こうとしているとき 過去の記憶か、それとも妄想か 『私の元へ・・・』 背中の中心か
17歳になるころ、体の発育とともに 男女が存在する意味に興味がではじめる 触れ合うということに不思議と魅了していく 男性に包まれることの安心感は 私の儀式以上の効果があった。 女性とハグした時にはない感覚は私に 男性という存在の必要性を強く感じた。 女性の存在価値を男性の存在があるが故のものなのでは ないだろうか・・・。とまで考えた。 溺れていったのだ。 しかし触れ合いの効力は、強い薬のように 効力のあと強い渦が私をいつも以上に襲うようになった。 渦は
15歳になり、人間関係の歪みを味方につけて 渦の存在は強さをました。 気が付くと1日に1回は儀式をしなくてはいけなくなった 16歳になり、家族がそれぞれの人生を歩むようになり 家から1人、また1人といなくなっていった。 悲しいと思う前に、現実を日常に見せかける事に 必死になった。 お弁当を1時間かけてつくる。母親が作ったようにつくろう。 学校では、日常を過ごす。 学校、バイトを終えて深夜に家に帰る。 家族を立て直すために引っ越してきた静かな家。 捨てられ