書くことと歩くことは似ている

おはようございます。

ちょっと色々信じられないです。

7月8日の金曜日、いつもと何も変わらない日常がはじまると思ってました。

大学で文化人類学の講義受けてて、何気なくTwitter見たら安倍さん撃たれたニュース流れてきて

教室の中で何人がその事実に気づいてるか分からないけど、熱心に授業してくれてる教授はまだそのことを知らないわけで、「先生!安倍さん撃たれたらしいよ!」と教えてあげたい気持ちでいっぱいでした。が、大人数いる教室でそんなこと叫ぶ勇気は当然ないわけで。

次の目的地に向かうとき、上手く呼吸ができなかった。

いつもこういうことが起こると、目の前の平和な光景とのギャップに奇妙な感覚を抱いてしまう…駅のホームにいる人たちは、一体いま何を感じているのだろう。

歴史に残るようなものを作りたいと日々思っているのに、歴史に残らないような日々が最も幸せなんだろうとか考えてた。

その日はもう、歩くしかなかった。クソ暑い日だったけど、ただただ、次の目的地の三軒茶屋まで歩いた。

歩いている時、そして何かを書いているとき、心をなんとか保っていられるように思う。そういう意味で、歩くことと書くことは似ているし、今書いてるこの文章は誰のためでもない、自分の気持ちを落ち着かせるための言葉でしかない。そんなオナニーみたいな駄文を自由に書ける場があることに救われています。読んでくれてる人には感謝しかないです。

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