自由を手に入れたわたしが、会社を辞めるまで

長年付き合っていた彼と別れた私の開放感はすごかった。

もう時間の使い方も、お金の使い方も、人付き合いの仕方も悩まなくていい!!!

傷つけたな、こんな私と付き合ってくれてありがたかったな、なんて感傷にももちろん浸ったが、長年心の奥底で燻っていた、自分で決めて、自分で行動したい欲求が大爆発した。

ひとり旅も、男友達と飲みに行くのも、やりたい放題だぜ!!
と実際に思ったわけではないけれど、それは徐々に行動として現れ、「彼がいるからこうでなければならない私」の消滅は、
「自由って素晴らしい…」
という気持ちを、私の体の隅々に染み渡らせていった。
(そう、元彼は束縛が激しかった)

***

別れる前、「もし彼と一緒にいるなら」のif構文で出来上がっていた私の日常は、「海外に行く」という発想すら消し去っていた。

「もし彼と一緒に住むなら、これぐらい貯金していって…」と、自分が将来存在する時間も場所も、自分が稼いだお金の使い道も、全てそっちに引っ張られていた。

ところがどっこい、将来の予定に費やすものとして抑えられていた全てが、一瞬にして私の元に還ってきたのである。

だがしかし、それでも私はまだ「海外に行く」という思考回路を忘れていた。

なぜだろう。
今の会社に居続けたい?
いや、私が入社した目的を達成できそうにないし、
それを達成するための労力をさくほど、この会社に愛情も情熱も注げそうにないし、
日本の伝統的な組織に所属することも、
「サラリーマン」として振る舞うことにも向いてないのも薄々わかってきたし、
自分の中で腹オチしないことが多すぎる。
あれ、じゃあここで勤め続ける意味って?

そんな時、「海外」のことを思い出させてくれたのは旧友だった。

お茶をしながら、近況なり仕事の愚痴なり、それぞれの生活を一通り共有。
その延長で不意に彼が私に放った、

「そろそろ海外進出?」

あれ、そうだ、これだ。そういえば、だ。
一気に開眼した。「そうだ、私は海外に行きたかったのだ」と。

***

それから考えた。
そもそも一体私は何がしたいのか。

とりあえず本屋で海外大学院と、数学IIICの本を買った。
そしてそれを眺めながらスタバにこもり、自分の生きている間にやりたいことリストと、仕事の年間タイムラインと予定貯蓄額を手帳に書き出した。

ちなみに数学の本は、晩年文系で生きてきた私の夢である、「理系になる」という足掛かりとして購入した。結局開くことはなかった。今でも実家のダンボールの中で眠ったままである。

そんなこんなで、なんとなく、「もう一度勉強したい」と考えているのがわかった。

***

会社の行き帰り、満員電車に揺られながら、毎日計画を練った。

理転の可能性も含めて、大学院進学の情報を集めた。
海外の大学院に行くのに必要な語学力とお金。
自分の専攻を続けるのであればイギリスが強い。
スイスや北欧も良さそう。
海外留学の奨学金はわりと高い壁。
理転をするにはやはり学部からやり直す必要があるようで、資金と年齢的に厳しい。

調べれば調べるほど、情報は過多になり、仕事中心に流れて行く日常の中でまとまった考える時間が取れず、これだ!と次の一手を決めきれずにいた。

***

いろんな情報と考えが、ぐるぐるグルグルしながらとった長期休暇。久しぶりのひとり旅に出た。

結果、そこで出会った人たち、過ごした時間のおかげで、自分の現状の何に不満があって、何に希望を抱きたいか、気持ちの整理がついた。

それまで「まあ辞めるだろうな」と思っていた会社も、「よしもう辞めよう」と吹っ切れた。

それからは、海外大学院を目指すため、自分の現状にあった道を模索しようと決めた。
留学エージェントに連絡したり、直接話を聞きに行ったり、海外に出る前に日本でやっておきたいことにも少しずつ手をつけたり。

旅先で吹っ切れてから、上司に「辞めます」と言うまでの1年は、
近年になくすがすがしくて、いろんな理不尽も、「その先があるから」と乗り越えられた、というか、もう気にならなかった。

***

「辞めます」と上司に伝えてからは、引き止めてもらえたり、驚いてもらえたり、残念がってもらえたりもした。
どれもこれも、社会人になってから自己肯定感が急激に低下した私にとってはありがたかった。この会社で数年「働いていた私」の存在を 、ここで出会った人たちとの関わりを、最後の最後に感じることができた気がした。

元彼との別れで「自由」を手に入れてから約2年、さらなる自由を謳歌するため、私は「会社員」の肩書きを捨てた。

さよなら、東京。
さよなら、満員電車。
さよなら、東京を消費して、東京に消費された私。

自分の部屋で過ごす東京の最後の夜、初めて電車で寝過ごして、家までタクシーに乗った。
入社一年目、夜中の3時に初めて仕事からタクシーで帰った夜を思い出した。

あの頃、こうなることを想像してたっけ?

5年前、夜の首都高の光を窓ごしに眺めながら、私は何を考えていたのだろう。きっと、「私、社畜だなぁ…」なんて、今ある未来のきっかけにもなる、ほんのはし切れの感情だったのかもしれない。

そっか、私はもう自由なんだ。
希望と不安と、でもやっぱり希望が大きくて、家路で余分にかかったタクシー代も、その日は気にならなかった。

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