『菊魁物語』#2
第2話 『苺大福』
吉原遊郭から約1キロ離れた場所にある町、
天原遊郭。
今宵も町は光り輝き、
遊男を求め多くの女性たちが集う。
「菊魁様。いらっしゃいますでしょうか。」
少年は菊魁の部屋の前にいた。
菊魁専属の使いの一人、
甘いマスクの少年、コマ。
彼は主に菊魁の身の回りのお世話を担当している。
菊魁からの返事はなく、
部屋の中は静かだった。
「あれれ、もしかしてまだ起きてないのかな?」
コマはそっと戸を開け中を覗いた。
「おい、開けていいなんて言ってないだろ。」
部屋の窓辺に寄りかかる菊魁の姿があった。
煙管を加え、こちらを睨みつけている。
月の光に照らされるその姿は、
毎日菊魁を見ているコマでさえも息を飲むほどの美しさだった。
「すみません、声がしなかったので寝ておられるのかと。お客様がもうすぐご到着されるとのことです。菊魁様もそろそろご支度をなさってくださいな。」
着物で散らかる部屋をコマは素早く片付け始めた。
「俺行かないから。」
「え?」
「支度なんてしねぇ。昨日の客も、その前の客も散々だった。もうお前たちには期待しない。どうせ今日の客もクソだ。」
コマに背を向け、
夜空を眺める菊魁。
表情は見えないが、
きっと不貞腐れているのだろう。
かわいらしい...菊魁様。
子供っぽいところあるよなー。
まあ僕の方が子供なんだけど。
「数々の無礼を、どうかお許しください。最近の審査が正確に行われていなかったため、本日の客は急遽僕が選ばせていただきました。今日は絶対大丈夫ですから、僕を信じてください。」
コマがそう言うと、
菊魁は不機嫌そうにこちらを見た。
「着替え、持ってこい。」
「承知致しました。」
「お客様、失礼致します。」
部屋の戸が開く。
「は、はい!!」
眼鏡をかけたおかっぱのふくよかな女性。
本日の客だ。
「大変お待たせ致しました。菊魁様がお見えになりました。今宵が菊魁様、そしてお客様にとって素敵なお時間になることをお祈りしております。」
「と、とんでもございません!!素敵なお言葉、感謝致します!」
コマがいなくなると、
菊魁が部屋に入ってきた。
白を基調とし、金箔色の刺繍が施された着物を身に纏ったその姿の美しさと存在感は異常なものだった。
「き、きききき菊魁様...!!!!!」
客は目をキラキラ輝かせ菊魁を見ていた。
じんわりと目に涙を浮かべ、
満面な笑みを向けた。
「とても綺麗なお着物でございますね!素敵でございます!」
「ふっ。だろ?」
菊魁の笑った顔を見て、
客は顔を真っ赤にさせショートした。
「おいあんた、大丈夫か?顔が真っ赤だぜ。」
「はっ...!申し訳ございません!菊魁様の笑顔があまりに眩しすぎて!」
「そんな緊張しなさんな。せっかくなんだから、落ち着いて楽しもうぜ。」
「あ、ありがとうございます...!!私、菊魁様にプレゼントをご用意させていただきました!受け取っていただけますでしょうか?」
「ああ、なんだい?見せてくれ。」
客はかわいらしい桃色の包みを剥がし、
高級酒と、一つの箱を取り出した。
「こちらは有名な高級酒と、私の実家で甘味処を営んでおりまして、お店の名物の苺大福をプレゼントさせていただこうかと...!」
菊魁は苺大福と聞いた瞬間、
客の顔に近づき目を輝かせた。
思わず客は後ろに仰け反る。
「ちょ、ちょ、菊魁様!少し距離が...!私の心臓が止まってしまいます!!」
「あんたなんで俺が苺大福好きなこと知ってるんだ!?しかもこの店、俺がいつも使いの奴らに頼んで買ってきてもらってるとこだ!」
「そ、そうなのです!菊魁様の使いの方たちがいつも大量に買って行ってくださるので、もしかしたら菊魅様への贈り物なのかなと思いまして...私のお店の苺大福が菊魁様の好物だっただなんて、とても嬉しいです!今日の苺大福は、苺とあんこの他に、ホイップクリームを入れさせて頂きました!お口に合うかどうか...」
「ホイップクリーム!?あんた、天才だろ!苺大福の中にホイップクリームを入れるなんて、そんなもんうまいに決まってる!ホイップクリーム入りの苺大福も販売してくれ!明日からだ!明日以降俺はそれを食い続ける!」
「...ふっ...ふはは!あははは!!」
興奮する菊魁の姿を見て、
客は思わず笑ってしまった。
「な、なんだよ、急に。」
菊魁は少し頬を赤らめ、
不機嫌そうに客を見る。
「も、申し訳ございません!菊魁様があまりにかわいくて、つい...。甘いものがとてもお好きなのですね。嬉しいです!早朝から仕込みをすれば、明日からすぐに販売できると思いますよ!」
「...嬉しい。ありがとな。」
菊魁は優しく笑った。
客はその笑顔を見て、
またしても心臓が止まりかける。
「あんたのほっぺも、桃色に染まってもちもちだな。苺大福みたいだ。触ってもいいか?」
「え!え!え!」
「嫌ならいいんだが」
「い、嫌なんて!!とんでもございません!!こんな私のほっぺでよければどうぞお好きなだけ触ってください...!!」
客がそう言うと、
菊魁は躊躇することなくほっぺを思い切りムニッと摘んだ。
菊魅の手は細く、冷たく、
熱くなった頬をひんやりと冷ましていく。
気持ちの良い冷たさだった。
「ムニムニだな。」
「え、あ、そ、そうですよね...私こんな太ってて、眼鏡で...地味なやつですよね...」
先程までの笑顔は消え、
客はしょんぼり悲しい表情を浮かべた。
「...悪い。そんなつもりで言ったんじゃないんだ。」
客の顔を見て、
菊魁も眉を下げ、悲しげな表情で呟いた。
「も、申し訳ございません!!私、余計なことを...」
菊魁は客の手を握った。
「まだ時間はたっぷりある。持ってきてくれた酒でも飲みながら、あんたの話しを聞かせてくれないか?」
その言葉を聞いて、
客は思わず泣きそうになるのを堪えた。
「は、は、はい...!喜んで...!」
酒をあけ、静かに乾杯した後、
客は自分の話しをし始めた。
「私、昔から自分の見た目に自信がないんです。美人な人たちを見ると、あーなんて自分はダメな人間なんだろうって思ってしまうんです。できる努力は精一杯して、心だけは強くあろうと思っても、元々容姿に恵まれた人たちには敵わない。」
菊魁は酒を飲みながら、
黙って話しを聞いていた。
「でも...私、菊魁様に救われたんです!3年前、友達に誘われて天原に来たことがあったんです。そのときちょうど菊魁様も何かご用があったのか、使いの方と町にいらしていました。町にいた人たちはみんな菊魁様に夢中で、美女の貴族の方たちは菊魁様に猛烈なアピールをしていました。いいなぁ、顔に自信がある人たちは菊魁様相手にも自分をアピールすることができるんだぁって...。でも菊魁様はそんな美女たちに見向きもせず、美女たちにぶつかって転んでしまった庶民の女性に手を差し伸べ、服についた砂を払ってあげていました。美女たちではなく、その方がつけていたブローチを、綺麗だなって褒めていました。」
客は酒をグビッと一口飲み、
菊魁を真っ直ぐと見つめ話しを続けた。
「そのとき思ったんです。菊魁様はその方の身につけているものや、心をちゃんと見てくれている方なのだと。位や容姿の美しさに興味なんてないのだと、目に見えない大切なものを、この方は見てくれているのだと。そう思ったんです。だから私、どうしても菊魁様に会いたかったのです!あのときのお礼が言いたかった。私は貴方様の立派なお心に救われたと。ちゃんと会ってお伝えしたかったのです。本当に、ありがとうございます。」
うるうると目に涙を溜める客の頬に、
菊魁はそっと優しく手を添えた。
「あんた、名前は?」
「え...?私の、名前?」
「そうだ、教えてくれ。」
「...ゆ、湯木あんこと申します...」
「はは、あんこか。かわいい名前だな。」
菊魁はあんこのほっぺをフニフニと愛おしそうに触った。
「俺の名前は、ミツっていうんだ。秘密だぜ、あんたには教えてやる。」
「あ、あ、あ、ありがとうございます!嬉しいです...ミ、ミツ様...素敵なお名前です...!」
「あんたの名前に比べたら地味だよ。」
ミツはあんこの頬を両手で包み込み、
目を真っ直ぐ見つめた。
「顔なんてどんなに美しくても、次第に枯れていくものだ。歳を重ねればみんなそうなる。永遠じゃない。だけど人の心は永遠なんだ。あんこ、あんたは綺麗だよ。優しいやつだ。選んでくれた包み紙も、着ている着物も、その髪飾りも、あんこの綺麗な心を現しているんだよ。その美しさを顔だけのしょうもないやつらと比べるな。胸を張れ。美しいとは、あんこのような心の綺麗な者のためにある言葉だと、俺はそう思う。」
「ミ、ミツ様ぁぁ....」
あんこは大粒の涙を流した。
ミツは手で涙を優しく拭った。
「俺に会った客たちは皆第一声に必ず俺の顔を褒めた。でもあんこは俺の自慢の着物を褒めてくれた。嬉しかったよ。もしまた苦しくなっちまったら、またここに来ればいい。話し聞くぜ。」
「そ、そんな...また会ってくださるのですね...嬉しいです、嬉しすぎて、夢のようです...!何年後になるかわかりませんが、またいつか...」
「客としてじゃねぇよ、俺の友人として。遊びに来てくれ。」
「え、え、え、え、え、ゆ、友人だなんて...こんな、こんな私がなってもよろしいのですか?ミ、ミツ様ぁぁぁぁ...!!」
「泣き虫なやつだな。」
ミツはあんこの頭をポンポンと撫で、
泣き止むのを待った。
数時間後。
「失礼致します。菊魁様、お時間でございます。」
時間になり、コマがミツを迎えに来た。
「じゃあまたな、あんこ。」
「はい!ミツ様!」
ミツはあんこの肩をポンと叩き、
部屋を後にした。
「とても素敵な時間を過ごさせていただきました。生涯忘れることはありません。本当に、本当にありがとうございました!」
あんこはコマに向かって笑顔で感謝を述べた。
「それはそれは、僕も嬉しいです。どうぞ気をつけてお帰りくださいませ。」
「はい!ありがとうございます!」
あんこを見送った後、
コマはミツの部屋へ向かった。
「菊魁様、いらっしゃいますでしょうか?」
「ああ。」
戸を開けると、
ミツはまた部屋の窓辺に寄りかかり、
あんこからもらった苺大福を食べていた。
「いかがでしたか?先程のお客様は。」
「ああ。楽しかったよ。」
「お名前、お教えしたのですね。随分とお気に召されたようで。」
「なんだ、なんか言いたいことでもあんのか?」
「とんでもございません。菊魁...いいえ、ミツ様。僕を信じて正解だったでしょ?」
「...調子にのんな。あと苺大福はあげねーぞ。」
「はは、どうぞお好きなだけ食べてくださいませ。明日も素敵なお客様であることをお祈りしております。ごゆっくりお休みくださいませ。」
「失礼致します。」と一礼をして、
コマは部屋を後にした。
足早に廊下を歩く。
「ふふ。かわいかったなぁ、ミツ様。あんな嬉しそうな顔をされたのはいつぶりだろうか。やっぱり僕の目に狂いはなかったな。」
ルンルンとスキップをしながら、
先程まであんこと菊魁がいた部屋を片付けに向かった。
しばらくすると、
東の空から朝日が顔を出そうとしていた。
苺大福でお腹がいっぱいになったミツは、
布団に入り眠りについた。
さて、次の夜の客は如何に。