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『虚』









「うっわ!!こいつゲロ吐きやがったよ!」




とある高校の男子トイレ。



ゲラゲラとうるさい笑い声が
コンクリートの壁に反響して響く。



僕は使い古された便器を
ゴシゴシと拭いて汚れた雑巾を
無理やり口の中に押し込まれた。



味は、しなかった。



いや、少し苦いか。
なんだか酸味も感じる。



ゴワゴワと乾ききった雑巾の食感。
口の水分が奪われていく。



ただただ臭くて、
数え切れない人たちの
尿と便の汚れが黄ばんでこべりついた
便器を拭いた、雑巾。



あまりのショックと気持ち悪さに、
昼に食べたお弁当のおかずや米が胃液と共に
全部出てきた。



黄色だったり、茶色だったり、緑だったりの
カスが口から溢れ出る。



黄色は卵焼きで、茶色はからあげか。
緑はきっと、ブロッコリーのカスだろうな。








ここでは毎日のように、





僕はいじめを受けている。









「笹田をいじめるのまじで飽きないわ。昨日もお前のくっせぇ下半身の写真撮ってやったもんな?ちゃーんと顔も映してやったからさ。タイミング良いときにばらまいてやるから楽しみに待っとけよ。」



「克也ー、もったいぶんなって!今日さっそくばらまけばいいじゃん!大バズり間違いねーって!」


克也の取り巻きたちが言う。


克也はニヤニヤと口元を緩ませていた。


目には光がなく、
なのに口元は笑っている不自然な表情は
とても不気味で背筋がゾワッとした。


「焦んなって、楽しみは先まで取っておきたいタイプなんだよ。なぁ笹田?この写真、お前の家族が見たらどんな顔すんだろうな?」



「ちっちゃくてかわいそう!って泣きわめくんじゃねーの!?」




「ハハハハ」と笑う声が僕の頭をガンガンと殴ってくる。まるで鉄の棒で頭を何度も何度もぶん殴られているような感覚。割れそうだ。








ああ。

僕が一体この人たちに
何をしたっていうんだろう。








「さっき雑巾飲み込めなかった罰だ。」



克也は学年で一番体格がよく、
身長も190センチ近くあった。



そんなやつの大きな拳が、
僕の顔面に勢いよく振り下ろされた。






















地獄のような時間が終わり、
僕は殴られた頬を擦りながら
屋上でぼーっと空を眺めていた。







あーあ。




このまま死のうかな。








ガチャッ







屋上の扉が開く音が聞こえた。





「笹田、ここにいたのか。」




同じクラスの春川だ。




学年のみんなが克也に逆らえず、
いじめに合ってる僕のことを無視する中
春川だけは話しかけてくれたり、
気にかけてくれたりしてくれていた。





「昼休みが終わっても戻ってこないから心配したよ。...その顔、また克也にやられたのか?」




「...春川。僕もう限界かもしれない。」




「え?」




「毎日毎日ひどいいじめに合って、最近はとくに過激化してる。実は昨日、僕の下半身の写真を無理やり撮られたんだ。僕の顔も映ってる。ばらまくって言ってた。あいつなら絶対にやると思う。そんなことされたら本当に終わりだ。先生たちは問題になることを避けて見て見ぬふりをして、親になんて絶対に言えないし、他のやつらも克也には逆らえないからって、僕に...大丈夫の一言も言ってくれないんだ...!こんな世界で生きてたって何にもならない。今の日々がこの先ずっと続くくらいなら、僕は今すぐにでも死にたいんだ。」








「...じゃあ、一緒に死ぬ?」




「...え?」




予想外の春川の言葉に、
一瞬頭が真っ白になった。




「実はさ、俺もいじめられてるんだ。克也たちに。」




「え...?春川も?」




「うん。これ見て。」




春川は制服のシャツのボタンを取った。

シャツの下には、複数のアザや傷があった。

あまりにも痛々しく、
僕は思わず目を背けた。




「これ、全部克也にやられたんだ。たぶん俺が笹田に構ってたことが気に食わなかったんだろうな。俺は笹田みたいに毎日じゃないけど、放課後とか時々暴力を振るわれてるんだ。」




「そ、そんな...僕のせいで...」




「それとさ、俺も撮られたんだ。下半身の写真。」




驚きで僕は目を見開いた。




「え...!春川も?」




「ああ。3日前かな...限界がきて、思わず克也の顔を叩いちゃったんだ。そしたら無理やり。笑っちゃうよなー。あいつ、ばらまくとか言って俺たちを脅してるけど、もしかしてそっち系の趣味があったりしてな!」




「は、はは...た、確かにそうかもね。」




「だからさ、死ぬなら一緒に死のうよ。笹田の言う通り、誰も助けてくれないこんな世界で生き続けたってなんの意味もないと俺も思う。もうきっと限界なんだよ、お互いに。俺も死にたいよ、笹田と一緒に。」




「春川...」





春川の言葉を聞いて、
心がスっと軽くなった。




心の中でぐちゃぐちゃに絡まっていた糸が、
スルスルと解けていくような感覚。




春川も同じ気持ちだったんだ。
苦しかったのは僕だけじゃなかったんだ。




最低かもしれないけど、
その事実が僕の心を救った。




死にたいのは、僕だけじゃないんだ。








「わかった。一緒に死のう。一緒に天国へ行こう。僕と春川、二人だけで。」





「ありがとう、笹田。」









二人で屋上の高い柵を越えた。



たった一歩。



たった一歩を踏み出せば、



簡単に死ねる。







克也からも解放される。



もう二度といじめに合うこともない。



苦しい思いをすることもない。








だけど、





死ぬ、のか。





死ぬって、なんなんだろうな。




死んだらどうなっちゃうんだろう?




天国って本当にあるのかな?




そもそも自殺した人でも
ちゃんと天国に行けるのかな?




死んだら、すべて終わり。




辛かった日々が終わるけど、




僕の人生も、すべて終わる。







心臓がバクバクと高鳴る。



冷や汗がじんわりと滲み出てくる。



体が震える。







「笹田、怖いのか?」




「い、いや...怖くなんか、ないよ...」




「またこの柵を越えて戻ったら、地獄の日々が待ってる。俺たちまだ高2だぞ。あと一年以上も耐えられるわけがないよ。死ぬ以外で俺たちが救われる方法はないんだ。笹田。」




「わ、わかってるよ。」




「大丈夫。ほら、手を繋ごう。俺の合図で一緒に飛び降りるんだ。お前が俺たちを死に追いやったんだって、克也に見せつけてやろう。」








そうだ。



そうだよな。



見せつけてやるんだ。



僕たちが死んだら、
きっとあの克也でも少しは心が痛むはず。



後悔させてやるんだ。



僕たち二人で。









「決心がついたよ。春川、いこう。」




「笹田、本当にありがとう。お前がいてくれて、本当によかった。」




涙目になる春川を見て、
僕の目もじんわりと熱くなった。




「僕もだよ。今までありがとう、春川。」




「じゃあ、行くよ。せーの...」









僕は迷うことなく一歩踏み出した。


地面から足が離れ、
空中へ飛び込んだ。


重力で体が下へ落ちていく。






それは一瞬の出来事。

















あれ?










繋いでいたはずの手が離されていた。



屋上に立ったままでいる、春川の姿。



涙は枯れ、
光のない瞳で落ちていく僕を見ていた。







え、なんで?






グチャッ

















笹田の体は勢いよくアスファルトへ打たれ、
砕け散った。






赤黒い血と肉が辺りに飛び散り、
近くを歩いていた生徒の悲鳴が
学校中に響き渡った。















「死ねるわけないじゃん。」













ボソッと呟き、
俺は柵を越えた。




スマホを開き、電話をかける。











「...あ、もしもし?克也くん?春川だけど...うん、言われた通りにやったよ。笹田は死んだ。だから約束通り俺のあの写真、消してくれるよね?」

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