福島泰樹短歌絶叫コンサート「炎える母」
2023年3月10日19:30-吉祥寺「曼荼羅」にて、短歌絶叫を観に行く。
福島泰樹さん(僧侶・歌人)が毎月10日に行っている短歌絶叫コンサートは今年なんと38年目。数年前に夫と観に来てからご無沙汰だったのだけれど、最近ご縁があり、先月、今月と伺える機会に恵まれた。
今日3月10日は、東京大空襲があった日だそうだ。毎年3月は宗右近の「炎える母」を絶叫してきたのだという。
ピアノの生演奏が、福島先生が紡ぐ世界を盛り上げ、また絶妙なタイミングでステージに静寂をもたらす。
福島先生が発する短歌、詩、言葉、そして声は、78年の時を軽々と飛び越え、ステージを昭和20年3月10日深夜0時にしてしまった。
不吉に照らされる赤い照明のなか、東京で一夜にして10万人が亡くなった絨毯爆撃の様子を語り始める。
テキストは宗右近氏の「炎(も)える母」だが、福島先生の口から迸る言葉たちは、その夜の空襲警報、逃げ惑う人々、焼夷弾を受けて燃え上がる街の光景を目に浮かび上げさせる。残酷極まりない大虐殺(ジェノサイド)、街を飲み込む火の海、そして父と母に苦しさを訴えながら炎のなかで死んでゆく子供達の姿を絶叫する。
助けを求めながら、最後は長い悲鳴に変わる声が、福島先生の口から発せられた瞬間、その光景か目の前に広がった。
その瞬間、背中から腕から鳥肌がたち、恐ろしさに圧倒された。
全身を揺さぶる焦燥感、生への希求、そんなものたちを炎の巨大な足で踏みつけながら、その晩東京を襲った爆撃は街を焼き尽くす。
テキストには、炎のなかで母の手を離してしまった作者の後悔と哀しみの言葉が溢れる。だが、福島先生は、そこに「声」という表現をもって伝えることにより、朗読よりも歌よりも生々しく鬼気迫る光景を造りだした。
まるで阿鼻叫喚の坩堝となったその場が見えるようだった。
混乱、恐怖、そして絶望と交差する模索。その夜爆撃を受けた人々に去来したであろう無念の思いをも手渡されたような気がして、「絶叫」を聴いている間、ひたすら怖かった。
めくってはいけないのだよアスファルト母さんぼくの骨どこですか
福島先生の戦争をよんだ歌のひとつだ。「絶叫」することで皮肉にも息吹を感じさせる哀しい歌だ。
福島先生は、その声だけで群衆や騒乱や狂気をも表現し、無辜の人々の思いを掬い上げる。
もっと聴いていたい、だけどもあまりに辛く、もう聴きたくない。
そんな思いで心が千々に乱れた頃、最後の絶叫が響き、幕が降りた。
画家の日高安典さんが軍から召集され出発する直前まで描いていた絵の話、ブルガリアの青年の詩の話、福島先生の話は多岐に渡り、そしてそれぞれの人を語る静かな口調に、迫る思いを感じた2時間だった。
次回も行こう。
濃密で時に恐ろしく、だが深く考えさせられる時間を求めるために。
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